寂源(読み)じゃくげん

朝日日本歴史人物事典 「寂源」の解説

寂源

没年:万寿1.3.2(1024.4.12)
生年康保2(965)
平安中期の天台宗の僧。一説に天徳4(960)生まれ。左大臣源雅信と源穆子の子。俗名は時叙。寛和2(986)年,右少将のときに出家したので大原入道少将と呼ばれた。皇慶の弟子となり,長和1(1012)年,伝燈大法師位にあるとき,胎蔵界,金剛界の両部灌頂を受ける。密教を学びながらも長年にわたり常行三昧を修し,同2年京都・大原に勝林院を創設し,阿弥陀坐像を安置した。姉に藤原道長の室倫子がいることもあって,道長,頼通をはじめ貴族たちの信仰を集めた。毘沙門天が彼を護り,臨終のときには正念して往生(一説に即身成仏)したという。

(三橋正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寂源」の解説

寂源(2) じゃくげん

1630-1696 江戸時代前期の社僧,書家
寛永7年生まれ。藤木敦直(あつなお)の子。今出川晴季(はるすえ)の養子。寛文9年(1669)筑後(ちくご)(福岡県)高良(こうら)大社座主(ざす)となる。高良山植林の基をひらいたことで知られる。書を賀茂流の祖の実父本庄道芳(みちか)にまなび,詩歌にもすぐれた。元禄(げんろく)9年2月23日死去。67歳。京都出身。俗名は藤木宗直。法名は別に実源。編著に「高良山十景詩歌」。

寂源(1) じゃくげん

960/965-1024 平安時代中期の僧。
天徳4/康保(こうほう)2年生まれ。源雅信(まさのぶ)の子。母は藤原穆子(ぼくし)。天台宗。右近衛(うこんえの)少将在任中の寛和(かんな)2年比叡(ひえい)山にのぼり,皇慶(こうげい)について出家,顕密二教をきわめる。長和2年(1013)山城(京都府)大原に勝林院をひらいた。治安(じあん)4年3月2日死去。60/65歳。俗名は時叙(ときのぶ)。通称は大原入道少将。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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