星野立子(読み)ホシノタツコ

デジタル大辞泉 「星野立子」の意味・読み・例文・類語

ほしの‐たつこ【星野立子】

[1903~1984]俳人東京の生まれ。高浜虚子次女虚子に師事し、俳誌玉藻たまも」を主宰。「ホトトギス同人。著「立子句集」「笹目」など。

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20世紀日本人名事典 「星野立子」の解説

星野 立子
ホシノ タツコ

昭和期の俳人 「玉藻」主宰。



生年
明治36(1903)年11月15日

没年
昭和59(1984)年3月3日

出生地
東京市麴町区富士見町(現・東京都千代田区)

旧姓(旧名)
高浜

学歴〔年〕
東京女子大学高等部〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲四等宝冠章〔昭和50年〕

経歴
俳人高浜虚子の二女として生れ、大正14年「文学会」の指導的立場にあった星野天知の息子・吉人と結婚。虚子と同じく鎌倉に住み、昭和5年女流俳誌「玉藻」を創刊。9年には「ホトトギス」同人となり、中村汀女と共に女流の双璧の評価を得た。45年脳血せんで倒れて以来、句作療養の毎日を送っていた。著作に「立子句集」「実生」「玉藻俳話」「大和の石仏」「虚子一日一句」など多数。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「星野立子」の意味・わかりやすい解説

星野立子
ほしのたつこ
(1903―1984)

俳人。高浜虚子(きょし)の次女。東京に生まれる。幼時病弱なため一家とともに鎌倉に移り、鎌倉高女、東京女子大学高等学部卒業。1925年(大正14)『文学界』同人星野天知(てんち)の息吉人に嫁し、まもなく俳句を始めたが、その才と父の指導で頭角を現した。30年(昭和5)6月『玉藻(たまも)』創刊、中村汀女(ていじょ)と女流の双璧(そうへき)とみられた。53年(昭和28)北・南アメリカ、56年インド、ヨーロッパを巡歴した。繊細な感覚で情感のこもる『立子句集』(1937)や『玉藻俳諧(はいかい)』(1981)ほかがある。

福田清人

 吾も春の野に下り立てば紫に

『『星野立子集』(1978・俳人協会)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「星野立子」の解説

星野立子 ほしの-たつこ

1903-1984 昭和時代の俳人。
明治36年11月15日生まれ。高浜虚子(きょし)の次女。父に師事し,杉田久女(ひさじょ),中村汀女(ていじょ)らとならぶ女性俳人として知られる。昭和5年俳誌「玉藻(たまも)」を創刊,主宰。「ホトトギス」同人。句集「立子句集」「笹目(ささめ)」などのほか,随筆集もおおい。昭和59年3月3日死去。80歳。東京出身。東京女子大高等学部卒。
格言など】滝見茶屋大鉄瓶のたぎりをり

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367日誕生日大事典 「星野立子」の解説

星野 立子 (ほしの たつこ)

生年月日:1903年11月15日
昭和時代の俳人。「玉藻」主宰
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報