桂文治(読み)カツラブンジ

デジタル大辞泉 「桂文治」の意味・読み・例文・類語

かつら‐ぶんじ〔‐ブンヂ〕【桂文治】

[1846~1911]落語家。6世。江戸の人。名人といわれ、道具・鳴り物声色こわいろ入りの芝居噺しばいばなしを大成した。

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精選版 日本国語大辞典 「桂文治」の意味・読み・例文・類語

かつら‐ぶんじ【桂文治】

  1. 六代。落語家。四代の長男。前名、文楽(三代)。後名、楽翁。江戸の人。道具入り芝居噺(しばいばなし)を得意とし、「上野戦争」「高橋お伝」「西郷隆盛」などの際物(きわもの)を上演。弘化三~明治四四年(一八四六‐一九一一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桂文治」の意味・わかりやすい解説

桂文治
かつらぶんじ

落語家。

初代

(1774―1816)桂派の祖。大坂で寄席(よせ)を創始し、芝居咄(ばなし)を興行。『蛸(たこ)芝居』『竜田川(たつたがわ)』『崇徳院(すとくいん)』などをつくる。文化(ぶんか)13年11月29日に伊勢(いせ)・四日市で客死。

[関山和夫]

2代

生没年不詳。初代の実子文吉。大道具入り芝居咄に長じた。3代目から文治は上方(かみがた)と江戸に分立。上方では、2代目の門人文鳩(ぶんきゅう)の弟子九鳥(生没年不詳。京都の人で滑稽(こっけい)咄の名手)が3代目を継ぎ、4代目を、俗に長太文治といわれた3代目の門人慶枝(けいし)(生没年不詳)が継いだ。そして5代目の名跡は、初代文治門人の幾瀬(いくせ)(のち月亭生瀬(つきていいくせ))が預り、そのまま絶えた。

 江戸では、2代目三笑亭可楽(からく)の門人房馬(ぼうば)(?―1857)が、初代文治の妹を妻とした関係でやはり3代目を名のった。この江戸の3代目の前名から桂文楽は始まる。

[関山和夫]

4代

(1819―67)3代目の養子。のち初代桂才賀(さいが)を名のる。

[関山和夫]

5代

(1830―61)4代目の門人。文太郎といったが、2代目文楽から、5代目文治を襲名。音曲師。

[関山和夫]

6代

(1846―1911)4代目の実子由之助。3代目文楽を経て6代目を襲名。その名は当時のしりとり歌に「桂文治は噺家(はなしか)で……」とまで歌われ、道具入り芝居咄を得意とした。

[関山和夫]

7代

(1848―1928)大阪の2代目桂文団治(ぶんだんじ)が襲名。

[関山和夫]

8代

(1883―1955)本名山路梅吉。6代目の養子。1922年(大正11)襲名。

[関山和夫]

9代

(1902―78)本名高安留吉。1960年(昭和35)翁家(おきなや)さん馬から襲名。

[関山和夫]

10代

(1924―2004)本名関口達雄。1979年(昭和54)に襲名。99(平成11)~2004年落語芸術協会会長。

[関山和夫]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桂文治」の解説

桂 文治(10代目)
カツラ ブンジ


職業
落語家

肩書
桂派宗家(10代目),落語芸術協会会長,日本演芸家連合副会長

本名
関口 達雄(セキグチ タツオ)

別名
前名=桂 小よし(カツラ コヨシ),桂 伸治(カツラ シンジ),雅号=関口 籬風(セキグチ リフウ)

生年月日
大正13年 1月14日

出生地
東京・雑司ヶ谷

学歴
工専中退

経歴
初代柳家蝠丸の長男として生まれる。昭和21年桂小文治に入門、桂小よしを名乗る。23年二ツ目で桂伸治となり、33年真打ちに昇進。テレビ演芸の草分け的番組「お笑いタッグマッチ」に出演して人気を集めた。54年10代目文治を襲名、桂派10代目宗家となる。普段から和服で過ごし、江戸の言葉遣いにこだわった江戸落語の重鎮で、江戸っ子気質を押し出した軽妙洒脱の芸風で知られ、高座では黒紋付きで通した。人情噺怪談噺には目をくれず落し噺一筋に活躍、とぼけた味の爆笑落語が持ち味で「源平盛衰記」「お血脈」「やかん」などの地噺は“文治流”とも呼ばれた。書道、彫刻、盆栽など落語界きっての多芸としても有名で、中でも南画は書壇院展で特選を繰り返し、東京都美術館の審査員も務めた。平成11年から落語芸術協会会長を務め、16年80歳を機に最高顧問に退くことが決まっていたが、会長の任期最後の日に急逝した。他の得意噺に「二十四考」「親子酒」「道具屋」など、著書に「噺家のかたち」がある。

所属団体
日本演芸家連合,落語芸術協会,書壇院

受賞
芸術選奨文部大臣賞(第46回 平7年度)〔平成8年〕 勲四等旭日小綬章〔平成14年〕 芸術祭賞(優秀賞)〔昭和56年〕

没年月日
平成16年 1月31日 (2004年)

家族
父=柳家 蝠丸(初代)

伝記
定本 寄席界隈艶噺落語大看板列伝―枝雀・文治・柳昇・馬生・小さん最後の噺家 こだわり文治の泣きどころ酒と博奕と喝采の日日 三遊亭 円右 著,林 秀年 編落語ファン倶楽部 編中島 英雄 著矢野 誠一 著(発行元 三樹書房白夜書房うなぎ書房文芸春秋 ’10’09’05’97発行)


桂 文治(9代目)
カツラ ブンジ


職業
落語家

本名
高安 留吉

別名
前名=橘家 咲蔵,翁家 さん好,桂 三木弥,桂 文七,柳家 さん輔,翁家 さん馬(9代目)

生年月日
明治25年 9月7日

出生地
東京市 日本橋区小伝馬町(東京都 中央区)

学歴
錦城中〔明治38年〕中退

経歴
大正7年橘家円蔵の門に入り橘家咲蔵を名乗った。11年大阪で修業、桂三木助の門に入り桂三木弥。12年帰京、桂文治の門下となり桂文七。14年柳家小さんに入門、柳家さん輔となって真打。昭和11年翁家さん馬を襲名。古典、新作の両面で活躍、35年9代目桂文治を襲名した。

受賞
勲四等瑞宝章〔昭和50年〕

没年月日
昭和53年 3月8日 (1978年)

家族
養子=翁家 さん馬(10代目)

伝記
定本 寄席界隈艶噺忘れえぬ落語家たち五代目柳家小さん 芸談落語長屋の知恵馬楽が生きる―五代目蝶花楼馬楽寄席界隈艶噺落語家―懐かしき人たち 三遊亭 円右 著,林 秀年 編興津 要 著柳家 小さん,川戸 貞吉 著矢野 誠一 著遠藤 智子,加藤 貴子 著三遊亭 円右 著興津 要 著(発行元 三樹書房河出書房新社冬青社青蛙房創樹社三樹書房旺文社 ’08’08’03’86’86’86’86発行)


桂 文治(6代目)
カツラ ブンジ


職業
落語家

別名
幼名=由之助,前名=桂 文楽(3代目),後名=桂 大和大掾(3代目)(カツラ ヤマトノダイジョウ),号=楽翁

生年月日
天保14年

出生地
江戸(東京都)

経歴
江戸の4代目桂文治の長男。7歳から高座に登り、「下谷上野の山かつら、桂文治は噺家で」と子どもの尻取歌にまでうたわれた名人。18歳で3代目桂文楽となり、慶応2年6代目文治を襲名。「上野戦争」「高橋お伝」などの際物を得意とし、明治10年からは、西郷隆盛に扮しての芝居噺「西南の役」が大評判となった。芝居通であることからも落語家、講談師による芝居をも演じ、世評を高めた。また、面相がしゃくれ顔のため“ちりれんげ”と呼ばれた。41年大阪の2代目桂文団治に7代目を譲って3代目大和大掾となる。晩年は楽翁と号した。

没年月日
明治44年 2月16日 (1911年)

家族
父=桂 文治(4代目)

伝記
落語名人伝 関山 和夫 著(発行元 白水社 ’92発行)


桂 文治(8代目)
カツラ ブンジ


職業
落語家

肩書
落語協会会長

本名
山路 梅吉

別名
前名=翁家 さん勝,桂 才賀(4代目),桂 慶枝,翁家 さん馬(7代目)

生年月日
明治16年 1月21日

出生地
東京

経歴
明治31年義太夫の竹本梅太夫から翁家さん馬の門に入り翁家さん勝と名乗った。35年6代目桂文治の養子となり桂才賀の名で二ツ目。39年大阪で桂文枝に入門して桂慶枝。大正2年東京に帰り翁家さん馬で真打となった。11年8代目桂文治を襲名した。大正末から昭和30年代まで文治として活躍、芝居噺に長じ「祇園祭」を得意とした。落語協会会長。

没年月日
昭和30年 5月20日 (1955年)

家族
養父=桂 文治(6代目)

伝記
談志絶倒 昭和落語家伝 立川 談志 著,田島 謹之助 写真(発行元 大和書房 ’07発行)


桂 文治(7代目)
カツラ ブンジ


職業
落語家

本名
平野 治郎兵衛

生年月日
嘉永1年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
明治8年初代文団治に入門。初代米団治を経て、2代目桂文団治を名乗り、41年7代目桂文治を襲名、大阪に戻った。

没年月日
昭和3年 9月18日 (1928年)

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改訂新版 世界大百科事典 「桂文治」の意味・わかりやすい解説

桂文治 (かつらぶんじ)

落語家。(1)初代(1773-1815・安永2-文化12) 上方最後の辻咄家松田弥助門下。上方で寄席を創設し,芝居噺の創始者で,《崇徳院(すとくいん)》《蛸芝居》などの作者。(2)2代は生没年未詳。初代の実子文吉。名手とうたわれた。3代になって,この名称は上方と江戸に分かれた。(3)上方。3代は生没年未詳。2代文治門下文鳩の弟子で滑稽噺の名手九鳥。4代は生没年未詳。3代の門人慶枝が襲名し,長太文治と呼ばれた。5代を初代門人月亭生瀬があずかり,以後絶えた。(4)江戸。3代(?-1857(安政4)) 2代可楽の弟子翁家さん遊。文治ののち初代桂文楽から大和大掾(やまとたいじよう)となる。4代(1819-67・文政2-慶応3) 3代の養子才賀。5代(1830-60・天保1-万延1) 美声の音曲師で,2代文楽となる。(5)6代(1846-1911・弘化3-明治44) 4代文治の長男由(よし)之助。3代文楽から文治を襲名。〈下谷上野は山かつら,桂文治ははなし家で〉と尻取り歌にうたわれた名手。《西郷隆盛》《上野の戦争》などの道具入り芝居噺で有名。(6)7代(1848-1928・嘉永1-昭和3) 大阪の2代桂文団治が襲名。(7)8代(1883-1955・明治16-昭和30) 本名山路梅吉。義太夫語りだったが,6代文治の養子になり,4代才賀となる。大阪へ修業に出て慶枝となったが,帰京後,7代翁家さん馬で真打昇進。のち文治を襲名。《祇園祭》は有名。(8)9代(1892-1978・明治25-昭和53) 本名高安留吉。4代円蔵に入門して咲蔵。2代桂三木助に師事して三木弥,のち7代さん馬(8代文治)門に転じ,さん馬から文治を襲名。《片棒》《不動坊》など,飄逸な芸の持ち主。(9)10代(1924-2004・大正13-平成16)本名関口達雄。柳家蝠丸(ふくまる)の実子。伸治から襲名。滑稽噺の名手。
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20世紀日本人名事典 「桂文治」の解説

桂 文治(10代目)
カツラ ブンジ

昭和・平成期の落語家 桂派宗家(10代目);落語芸術協会会長;日本演芸家連合副会長。



生年
大正13(1924)年1月14日

没年
平成16(2004)年1月31日

出生地
東京・雑司ケ谷

本名
関口 達雄(セキグチ タツオ)

別名
前名=桂 小よし(カツラ コヨシ),桂 伸治(カツラ シンジ),雅号=関口 籬風(セキグチ リフウ)

学歴〔年〕
工専中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞(優秀賞)〔昭和56年〕,芸術選奨文部大臣賞(第46回 平7年度)〔平成8年〕,勲四等旭日小綬章〔平成14年〕

経歴
初代柳家蝠丸の長男として生まれる。昭和21年桂小文治に入門、桂小よしを名のる。23年二ツ目で桂伸治となり、33年真打ちに昇進。テレビ演芸の草分け的番組「お笑いタッグマッチ」に出演して人気を集めた。54年10代目文治を襲名、桂派10代目宗家となる。普段から和服で過ごし、江戸の言葉遣いにこだわった江戸落語の重鎮で、江戸っ子気質を押し出した軽妙洒脱の芸風で知られ、高座では黒紋付きで通した。人情噺や怪談噺には目をくれず落し噺一筋に活躍、とぼけた味の爆笑落語が持ち味で「源平盛衰記」「お血脈」「やかん」などの地噺は“文治流”とも呼ばれた。書道、彫刻、盆栽など落語界きっての多芸としても有名で、中でも南画は書壇院展で特選を繰り返し、東京都美術館の審査員も務めた。平成11年から落語芸術協会会長を務め、16年80歳を機に最高顧問に退くことが決まっていたが、会長の任期最後の日に急逝した。他の得意噺に「二十四考」「親子酒」「道具屋」など、著書に「噺家のかたち」がある。


桂 文治(9代目)
カツラ ブンジ

大正・昭和期の落語家



生年
明治25(1892)年9月7日

没年
昭和53(1978)年3月8日

出生地
東京・小伝馬町

本名
高安 留吉

別名
前名=橘家 咲蔵,翁家 さん好,桂 三木弥,桂 文七,柳家 さん輔,翁家 さん馬(9代目)

学歴〔年〕
錦城中学〔明治38年〕中退

主な受賞名〔年〕
勲四等瑞宝章〔昭和50年〕

経歴
大正7年橘家円蔵の門に入り橘家咲蔵を名乗った。11年大阪で修業、桂三木助の門に入り桂三木弥。12年帰京、桂文治の門下となり桂文七。14年柳家小さんに入門、柳家さん輔となって真打。昭和11年翁家さん馬を襲名。古典、新作の両面で活躍、35年9代目桂文治を襲名した。


桂 文治(6代目)
カツラ ブンジ

明治期の落語家



生年
天保14年(1843年)

没年
明治44(1911)年2月16日

出生地
江戸

別名
幼名=由之助,前名=桂 文楽(3代目),後名=桂 大和大掾(3代目)(カツラ ヤマトノダイジョウ),号=楽翁

経歴
江戸の4代目桂文治の長男。7歳から高座に登り、「下谷上野の山かつら、桂文治は噺家で」と子供の尻取歌にまでうたわれた名人。18歳で3代目桂文楽となり、慶応2年6代目文治を襲名。「上野戦争」「高橋お伝」などの際物を得意とし、明治10年からは、西郷隆盛に扮しての芝居噺「西南の役」が大評判となった。芝居通であることからも落語家、講談師による芝居をも演じ、世評を高めた。また、面相がしゃくれ顔のため“ちりれんげ”と呼ばれた。41年大阪の2代目桂文団治に7代目を譲って3代目大和大掾となる。晩年は楽翁と号した。


桂 文治(8代目)
カツラ ブンジ

明治〜昭和期の落語家 落語協会会長。



生年
明治16(1883)年1月21日

没年
昭和30(1955)年5月20日

出生地
東京

本名
山路 梅吉

別名
前名=翁家 さん勝,桂 才賀(4代目),桂 慶枝,翁家 さん馬(7代目)

経歴
明治31年義太夫の竹本梅太夫から翁家さん馬の門に入り翁家さん勝と名乗った。35年6代目桂文治の養子となり桂才賀の名で二つ目。39年大阪で桂文枝に入門して桂慶枝。大正2年東京に帰り翁家さん馬で真打となった。11年8代目桂文治を襲名した。大正末から昭和30年代まで文治として活躍、芝居噺に長じ「祇園祭」を得意とした。落語協会会長。


桂 文治(7代目)
カツラ ブンジ

明治・大正期の落語家



生年
嘉永1年(1848年)

没年
昭和3(1928)年9月18日

出生地
大阪

本名
平野 治郎兵衛

経歴
明治8年初代文団治に入門。初代米団治を経て、2代目桂文団治を名乗り、41年7代目桂文治を襲名、大阪に戻った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「桂文治」の解説

桂文治(初代)

没年:文化12.11.29(1815.12.29)
生年:安永3(1774)
江戸後期の上方落語家。桂派の祖。出生地については摂州柴島(大阪市),京都,大和葛城などの諸説がある。京大坂にその評判が高くなったのは寛政6(1794)年前後,新町で落語を演じたころからで,やがて10年ごろ,坐摩神社境内に小屋を建てそこに移り,「道具鳴物入り芝居咄」を演じてこの道の名誉と賞された。上方落語「蛸芝居」「昆布巻芝居」などの作者といわれ,上方芝居噺の基礎を確立した。著書に咄本『臍の宿替』(1812,続帝国文庫『落語全集』)『大寄噺の尻馬』(天保年間刊)などがある。3代は上方と江戸に分かれ,上方文治は5代で絶えている。江戸文治は平成期の10代におよぶ。<参考文献>浜松歌国『摂陽奇観』(浪速叢書1~6巻),西沢一鳳『皇都午睡』(『新群書類従1』),前田勇『上方落語の歴史』,三升堂『落語系図』

(三田純市)


桂文治(6代)

没年:明治44.2.16(1911)
生年:天保14(1843)
幕末明治期の落語家。本名も桂文治。江戸の4代目桂文治の長男に生まれ,嘉永3(1850)年8歳のころから幼名の由之助をそのまま芸名に高座へ上る。18歳で3代目桂文楽となり,慶応2(1866)年には江戸での桂の家元である文治を襲名,3代目金原亭馬生に仕込まれた芝居噺で一方の旗頭となった。幕末の尻取り唄に「桂文治は噺家で」と唄われたのはこの人だといわれる。晩年中風を病み,明治41(1908)年大阪の2代目桂文団治に7代目を譲って3代目桂大和大掾となる。さらに翌年3代目楽翁と改名,その直後に没。<参考文献>「六代目桂文治」(『文芸倶楽部』1911年5月号)

(山本進)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「桂文治」の意味・わかりやすい解説

桂文治【かつらぶんじ】

落語家。初代〔1773-1815〕は上方(かみがた)で寄席を創設。芝居噺(ばなし)を始めた。3代以後,文治の名跡は上方と江戸に分かれ,上方ではやがて絶えた。6代〔1846-1911〕は道具入り芝居噺を得意とし,上野戦争,高橋お伝などの際物(きわもの)を演じた。8代〔1883-1955〕は《祇園祭》などを得意とした。
→関連項目桂文楽

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂文治」の解説

桂文治(8代) かつら-ぶんじ

1883-1955 明治-昭和時代の落語家。
明治16年1月21日生まれ。はじめ竹本識故太夫の名で義太夫語り。明治31年6代翁家(おきなや)さん馬の門にはいり,翁家さん勝を名のる。4代桂才賀,7代翁家さん馬などをへて大正11年8代文治を襲名。「祇園会(ぎおんえ)」「夜桜」などを得意とした。昭和22年落語協会会長。昭和30年5月20日死去。72歳。本名は山路梅吉。

桂文治(4代)(1) かつら-ぶんじ

1819-1867 江戸時代後期の落語家。
文政2年生まれ。もと幕臣。初代司馬才次郎に入門し,司馬才賀を名のる。天保(てんぽう)12年江戸3代文治の養子となり,4代文治(江戸4代)を襲名。芝居噺(ばなし),人情噺を得意とした。のち門下の2代桂文楽に5代目をゆずり,2代大和大掾と改名。慶応3年6月26日死去。49歳。江戸出身。姓は渡辺。通称は平三郎。

桂文治(6代) かつら-ぶんじ

1843-1911 幕末-明治時代の落語家。
天保(てんぽう)14年生まれ。4代桂文治の長男。万延2年3代桂文楽をつぎ,慶応2年6代桂文治を襲名,江戸桂派の家元となる。道具入り芝居噺(ばなし)を得意とし,名人としてならした。明治41年大阪の2代桂文団治に7代目をゆずり,桂楽翁とあらためた。明治44年2月16日死去。69歳。江戸出身。本名は由之助。

桂文治(10代) かつら-ぶんじ

1924-2004 昭和後期-平成時代の落語家。
大正13年1月14日生まれ。昭和21年初代桂小文治に入門,小よしを名のる。23年2代桂伸治となり,33年真打にすすむ。54年10代文治を襲名。平成8年芸術選奨文部大臣賞。11年落語芸術協会会長。滑稽噺や落とし噺に江戸前の味をだした。平成16年1月31日死去。80歳。東京出身。本名は関口達雄。

桂文治(7代) かつら-ぶんじ

1848-1928 明治-大正時代の落語家。
嘉永(かえい)元年生まれ。大阪で初代桂文団治の門にはいり,都雀,米団治などをへて明治20年2代文団治となる。26年月亭文都,笑福亭福松らと浪花三友派を結成して2代桂文枝一派に対抗。41年7代文治を襲名。「三十石」「野崎詣り」などを得意とした。昭和3年9月18日死去。81歳。本名は平野治良兵衛。

桂文治(初代) かつら-ぶんじ

1774-1817* 江戸時代後期の落語家。
安永3年生まれ。松田弥助の門にはいる。桂派をおこし,上方落語中興の祖と称される。寛政10年(1798)坐摩社境内に噺(はなし)小屋をもうけ,鳴物(なりもの)・道具入りの芝居噺を得意とした。文化13年11月29日死去。43歳。大坂出身。通称は惣兵衛。

桂文治(9代) かつら-ぶんじ

1892-1978 大正-昭和時代の落語家。
明治25年9月7日生まれ。4代橘家円蔵の門にはいり,橘家咲蔵を名のる。桂文七,柳家さん輔,9代翁家(おきなや)さん馬などをへて昭和35年9代文治を襲名。「大師の杵」「片棒」などを得意とした。昭和53年3月8日死去。85歳。東京出身。本名は高安留吉。

桂文治(5代) かつら-ぶんじ

1831-1861 幕末の落語家。
天保(てんぽう)2年生まれ。江戸3代桂文治に入門し,桂文太を名のる。嘉永(かえい)4年2代桂文楽となり,万延2年5代文治を襲名したが,その直後の1月16日死去。31歳。美声の持ち主で音曲噺(おんぎょくばなし)などを得意とした。江戸出身。通称は峯松。

桂文治(3代)(1) かつら-ぶんじ

?-1857 江戸時代後期の落語家。
江戸の人。2代三笑亭可楽の門人。上方にいき,扇勇を名のる。初代文治の娘婿となり3代文治(江戸3代)を襲名,江戸にかえる。のち4代目を養子にゆずり,桂文楽(初代)を名のった。安政4年6月26日死去。姓は辰巳。通称は勇吉。前名はさん遊,房馬。

桂文治(3代)(2) かつら-ぶんじ

?-? 江戸時代後期の落語家。
2代桂文治の門人文鳩の弟子で九鳥といった。文政10年(1827)以後に,江戸の文治と並立の形で3代目(上方3代)を襲名した。素噺(すばなし)を得意とした。京都出身。

桂文治(2代) かつら-ぶんじ

?-? 江戸時代後期の落語家。
初代桂文治の長男。桂派の祖となった父親の跡をつぎ,文政(1818-30)のはじめ2代文治を襲名。大道具をつかった芝居噺(ばなし)で人気をえた。本名は文吉。

桂文治(4代)(2) かつら-ぶんじ

?-? 江戸時代後期の落語家。
上方3代桂文治の門人。安政2年(1855)ごろに4代文治(上方4代)を襲名した。初名は慶枝。通称は長太文治。

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367日誕生日大事典 「桂文治」の解説

桂 文治(8代目) (かつら ぶんじ)

生年月日:1883年1月21日
明治時代-昭和時代の落語家
1955年没

桂 文治(9代目) (かつら ぶんじ)

生年月日:1892年9月7日
大正時代;昭和時代の落語家
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の桂文治の言及

【寄席】より


[大阪の寄席]
 大坂の寄席は,江戸よりも早くできた。初代米沢彦八(?‐1714)はすでに元禄のころに生玉(いくたま)社境内で葭簀張りの興行を行ったようであり,松田弥助や初代桂文治は,寛政から文化・文政のころにかけての寄席興行の基礎を固めている。天保から弘化(1844‐48)のころに桂(かつら)・林家(はやしや)・笑福亭(しようふくてい)・立川(たてかわ)のいわゆる上方四派の噺家たちが大いに活躍したために大坂の寄席の形態は完成され,寄席興行はすこぶる隆盛であった。…

【落語】より

…江戸の寄席興行創始者は,大坂下りの落語家岡本万作で,1791年(寛政3)日本橋橘町の駕籠(かご)屋の二階で夜興行をし,98年,神田豊島町藁店(わらだな)に看板を掲げ,辻々にビラを貼って客を招いた。同年,江戸で山生亭花楽(さんしようていからく)(のち初代三笑亭可楽)が下谷(したや)稲荷社で,大坂では初代桂文治が座摩(ざま)社内で寄席興行を開催した。三笑亭可楽は,職業的落語家の祖として重要な存在だが,前記の寄席興行に失敗して芸道修業の旅ののち,1800年(寛政12),江戸柳橋で落語会を開き,04年(文化1),下谷広徳寺門前の孔雀(くじやく)茶屋で,客が出した〈弁慶,辻君,狐〉の三題を即座に一席の落語にまとめたことから人気を得た。…

※「桂文治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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