桂文枝(読み)カツラブンシ

デジタル大辞泉 「桂文枝」の意味・読み・例文・類語

かつら‐ぶんし【桂文枝】

上方の落語家
(初世)[1819~1874]江戸後期から明治の落語家。大坂の人。「三十石」を得意とし、上方落語の中興の祖と称される。
(5世)[1930~2005]大阪の生まれ。本名、長谷川多持。音曲入りを得意とし、上方落語の復興に尽力。当たり芸に「立ち切れ線香」「たこ芝居」など。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桂文枝」の解説

桂 文枝(5代目)
カツラ ブンシ


職業
落語家

肩書
上方落語協会会長

本名
長谷川 多持(ハセガワ タモツ)

別名
前名=桂 あやめ,桂 小文枝(3代目)(カツラ コブンシ)

生年月日
昭和5年 4月12日

出生地
大阪府 大阪市

学歴
天王寺商中退

経歴
戦後大阪市交通局に勤めたが、同僚であった桂米之助の紹介で板東流の名取であった4代目桂文枝に踊りを習い始め、22年正式に入門、あやめを名乗る。29年3代目小文枝を襲名、6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、3代目桂春団治と並んで“上方落語界の四天王”と称され、戦後衰退していた上方落語の復興に尽くした。柔らかく端正な語り口の“はんなり”とした芸風で、色香のある女性の描写は天下一品と評され、「三枚起請」「舟弁慶」「悋気の独楽」などを得意とした。また「天神山」「立切れ線香」といった三味線、笛、太鼓などの“ハメモノ”が入る音曲噺の第一人者としても知られた。若手の育成にも定評があり、門下から桂三枝、桂きん枝、桂文珍、桂文福らを輩出。59年〜平成6年上方落語協会会長。4年桂派総帥の大名跡である5代目文枝を襲名。長年にわたって視聴者参加型演芸番組「素人名人会」の審査員を務めた他、NHK「なにわの源蔵事件帳」にレギュラー出演するなどテレビでも活躍した。レコードに「桂小文枝上方落語集成」(CBSソニー)、著書に「小文枝の落語、女・女・女」があるほか、映画「夢見通りの人々」にも出演した。

所属団体
上方落語協会

受賞
紫綬褒章〔平成9年〕,旭日小綬章〔平成15年〕 芸術祭賞優秀賞〔昭和46年・平成2年〕,上方お笑い大賞〔昭和48年〕,大阪府民劇場賞,大阪市民文化賞,大阪芸術賞〔平成4年〕,上方お笑い大賞(審査員特別賞 第21回)〔平成4年〕,上方お笑い大賞(特別功労賞 第34回)〔平成17年〕

没年月日
平成17年 3月12日 (2005年)

伝記
奇跡の寄席―天満天神繁昌亭師匠噺六世笑福亭松鶴はなし芸人女房伝落語長屋の知恵 堤 成光 著浜 美雪 著戸田 学 編島崎 恭子 著矢野 誠一 著(発行元 140B河出書房新社岩波書店集英社青蛙房 ’09’07’04’88’86発行)


桂 文枝(4代目)
カツラ ブンシ


職業
落語家

本名
瀬崎 米三郎

別名
前名=桂 阿や免,桂 枝三郎,橋本 文司,舞踊家名=坂東 三之丞

生年月日
明治24年 1月29日

出生地
大阪・坂町

経歴
4歳から歌舞伎の子役をつとめていたが、15歳で3代目桂文枝に入門。初め桂阿や免と名乗り、明治43年枝三郎と改名。また、旅興行の際には橋本文司(橋本は師匠の本名)をも名乗った。大正10年落語界を離れ舞踊家に転身。7代目坂東三津五郎の門下となり、三津治から昭和7年三之丞と名乗る。大陸へ渡って青島で舞踊の師匠として活躍。終戦後帰国して落語界に復帰。21年4代目桂文枝を襲名した。噺を短く切り上げて踊りを見せるという高座であったが、女義太夫出身の妻・豊竹東昇と組んで「浄瑠璃落語」を開発して人気を博した。宝塚落語会の指導者として、後進の指導にもあたった。

没年月日
昭和33年 3月1日 (1958年)


桂 文枝(3代目)
カツラ ブンシ


職業
落語家

本名
橋本 亀吉

別名
初名=桂 小文,前名=桂 小文枝

生年月日
元治1年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
父は大阪上本町で城代用達「橋本屋」を営んでいたが早くに没する。近所に住む初代桂文枝から小噺の手ほどきを受け、小文の名で初高座を踏む。初代文枝の死後、2代目文枝のもとで修業。明治13年小文枝と改名。のち37年に3代目桂文枝を襲名する。39年4月、雷門助六(のち3代目志ん生)の紹介で上京、芝玉の井、日本橋木原店などに出演。持ちネタが多く、話ぶりも巧妙で「千両蜜柑」「菊江の仏壇」「お文さん」などを得意とした。また、三味線・笛・太鼓なども上手で舞は山村流をきわめていた。

没年月日
明治43年 12月24日 (1910年)


桂 文枝(2代目)
カツラ ブンシ


職業
落語家

本名
渡辺 儀助

別名
後名=桂 文左衛門(カツラ ブンザエモン)

生年月日
弘化1年

出生地
紀伊国粉川(和歌山県)

経歴
初め初代桂文枝の門人桂万光に師事して南光と称し、次いで立川三木に師事して三木助と名乗る。明治5年初代文枝に入門し、7年初代の没後2代目を襲名。34年矯風会を設立し、門人の育成にも尽力、南光(2代目)、文三(2代目)、文屋、枝雀など多くの名人を輩出した。38年桂文左衛門と改名、さらに41年引退後は渡辺桃子と名乗った。文楽の摂津大掾、歌舞伎の高砂屋梅玉とともに浪花芸界の三分限者とされ、桂派の統領として明治の上方落語を代表する落語家であったと言われる。

没年月日
大正5年 5月16日 (1916年)

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改訂新版 世界大百科事典 「桂文枝」の意味・わかりやすい解説

桂文枝 (かつらぶんし)

落語家。(1)初代(1819-74・文政2-明治7) 俗に藤兵衛という。上方の3代桂文治門下。上方落語の代表的演目三十石(さんじつこく)》は彼の作といわれ,得意の演目でもあった。幕末の上方落語界の重鎮。(2)2代(1844-1916・弘化1-大正5) はじめ桂万光(まんこう)に入門して南光,のち立川三光門下となって三木助(桂三木助)となり,のち初代桂文枝の門に転じて文三(ぶんざ)から2代襲名。還暦の際に,弟子の桂小文枝に3代目をゆずって桂文左衛門と改名。1908年に65歳で引退し,渡辺桃子(とうし)と称して俳句や心学に凝って余生を送った。(3)3代(1864-1910・元治1-明治43) 初代と2代に師事。師匠桂文左衛門引退後は,桂派の棟梁として上方落語界に重きをなす。多くの演題をもつことで有名。音曲や舞踊も得意とした。(4)4代(1891-1958・明治24-昭和33) 3代桂文枝門下。一時歌舞伎の坂東三津五郎門下の三之丞となったが,戦後に落語界に復帰した。得意は音曲噺(おんぎよくばなし)。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桂文枝」の意味・わかりやすい解説

桂文枝(5世)
かつらぶんし[ごせい]

[生]1930.4.12. 大阪
[没]2005.3.12. 大阪
落語家。本名長谷川多持。天王寺商業学校を戦争で中退,大阪市交通局に勤めるが,同僚の紹介で 4世桂文枝に入門,桂あやめとなる。師匠が松竹と袂を分かったが,あやめは松竹に残り 5世笑福亭松鶴の預かりとなって多くのネタを学ぶ。一時,歌舞伎囃子方に転職したり闘病で入院生活を送るが,1954年落語家に復帰し,3世桂小文枝を襲名する。1970年吉本興業の専属となる。1971年『東京小文枝の会』が発足,以後東京でもたびたび独演会が開催された。1992年 5世桂文枝襲名。2003年旭日小綬章受章。得意ネタは『舟弁慶』『たちきれ線香』『辻占茶屋』『蛸芝居』『浮かれの屑より』など。女性が登場する噺や,はめもの(鳴物の入る噺)をやらせれば他の追随を許さなかった。戦後,壊滅状態といわれた上方落語を復興させた一人で,3世桂米朝,6世笑福亭松鶴,3世桂春団治とともに戦後上方落語四天王と呼ばれる。著書『あんけら荘夜話』(1996)。弟子に 6世桂文枝,桂文珍ら今日の上方落語を牽引する落語家たちがいる。(→落語

桂文枝(6世)
かつらぶんし[ろくせい]

[生]1943.7.16. 大阪
落語家。本名河村静也。関西大学商学部を中退し,1966年桂小文枝(のちの 5世桂文枝)に入門し,桂三枝を名のる。吉本興業に所属し,ラジオの深夜放送『歌え!MBSヤングタウン』に出演し大人気となり,その後はテレビに進出。『ヤングおー!おー!』(毎日放送系),『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送系)の司会でさらに人気を得て,関西お笑い界のスターとなる。落語家としては,早くから新作落語に注目し,『テレビ葬式』(桂文紅作)に当時司会をしていた『パンチDEデート』(関西テレビ放送系)の文句を入れておもしろく口演したのをきっかけに,仲間と『創作落語の会』を立ち上げる。1983年『ゴルフ夜明け前』で芸術祭賞大賞受賞以降は,日常のさりげないおもしろさに着目,普遍的な内容を語り,将来古典となるような新作を目指す。『作文』『妻の旅行』など作品数は 220席以上。2003年上方落語協会会長に就任。常設の寄席天満天神繁昌亭の開設や,上方落語協会の公益社団法人化などにも尽力。2012年 6世桂文枝襲名。(→落語

桂文枝(1世)
かつらぶんし[いっせい]

[生]文政2 (1819). 大阪
[没]1874.4.3. 大阪
落語家。本名同じ。生家は心斎橋の鍛冶屋(家具屋説もある)。1840年笑福亭梅花に入門し,笑福亭万光を名のる。4世桂文治門下に転じ(3世の門下となり,3世没後 4世門下になったという説もある),桂梅花,桂梅香を経て桂文枝となる。文枝は 4世文治の前名であったが,桂文枝の活躍が大きいため,1世ということになっている。幕末から明治にかけて,文枝とその一門が大活躍をしたため,上方落語中興の祖といわれ,以後,桂文枝の名が上方桂派の最高位の名跡となった。上方落語の代表的演目『三十石』を大成させたことで知られるが,『三十石』に関してはもう一つ逸話がある。文枝は『三十石』を 100両で質入れしてしまった。質入れした以上は高座にかけられない。そこで客が 100両払って請け出して,『三十石』をかけたという。(→落語

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20世紀日本人名事典 「桂文枝」の解説

桂 文枝(2代目)
カツラ ブンシ

明治・大正期の落語家



生年
弘化1年(1845年)

没年
大正5(1916)年5月16日

出生地
紀伊国粉川(和歌山県)

本名
渡辺 儀助

別名
後名=桂 文左衛門(カツラ ブンザエモン)

経歴
初め初代桂文枝の門人桂万光に師事して南光と称し、次いで立川三木に師事して三木助と名乗る。明治5年初代文枝に入門し、7年初代の没後2代目を襲名。34年矯風会を設立し、門人の育成にも尽力、南光(2代目)、文三(2代目)、文屋、枝雀など多くの名人を輩出した。38年桂文左衛門と改名、さらに41年引退後は渡辺桃子と名乗った。文楽の摂津大掾、歌舞伎の高砂屋梅玉とともに浪花芸界の三分限者とされ、桂派の統領として明治の上方落語を代表する落語家であったと言われる。


桂 文枝(4代目)
カツラ ブンシ

昭和期の落語家



生年
明治24(1891)年1月29日

没年
昭和33(1958)年3月1日

出生地
大阪市

本名
瀬崎 米三郎

経歴
歌舞伎の子役から3代目桂文枝の門人であやめとなり、明治43年枝三郎と名乗る。大正に入り、橋本文司として旅まわりが多く、同時に7代目坂東三津五郎に師事して三之丞としても活躍した。昭和21年4代目文枝を襲名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「桂文枝」の解説

桂文枝(初代)

没年:明治7.4.2(1874)
生年:文政2(1819)
幕末明治初年の大阪の落語家。通称藤兵衛。22歳のころ笑福亭梅花門人となり,のち4代目(3代とも)桂文治の弟子となる。文治一門にすでにこの名はあったが,実績と後世への影響から彼を初代とする。鳴物入りの噺や音曲の隆盛する時代に,素噺の名人と称えられ,明治初年,文枝派・川喜派2派競合下にあって有力な人々を傘下に集めた。没後文枝門四天王と呼ばれた初代桂文之助(2代目曾呂利新左衛門),桂(月亭)文都,初代桂文団治,初代桂文三(2代目文枝)たちが大阪の落語界を牽引した。前座噺「三十石」を真打の噺に大成し,後年その噺を入質した逸話は名高い。<参考文献>大阪芸能懇話会「文枝代々」(『桂文枝襲名披露』)

(荻田清)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂文枝」の解説

桂文枝(6代) かつら-ぶんし

1943- 昭和後期-平成時代の落語家。
昭和18年7月16日生まれ。昭和41年3代桂小文枝(のち5代文枝)に入門。ラジオの深夜番組で人気者となり,テレビの司会でも活躍。56年創作落語の会を結成,58年「ゴルフ夜明け前」で芸術祭大賞を受賞。平成15年上方落語協会会長。16年芸術祭大賞。19年菊池寛賞。23年NHK放送文化賞。24年6代桂文枝を襲名。大阪出身。関西大卒。前名は桂三枝。本名は河村静也。

桂文枝(5代) かつら-ぶんし

1930-2005 昭和後期-平成時代の落語家。
昭和5年4月12日生まれ。昭和22年4代桂文枝に入門。29年3代小文枝,平成4年5代文枝を襲名した。はめもの(音曲)入りを得意としたひろい芸域が特色。6代笑福亭松鶴(しょかく),3代桂春団治,3代桂米朝らと四天王とよばれ,上方落語復興につとめた。昭和59-平成6年上方落語協会会長。平成17年3月12日死去。74歳。大阪出身。本名は長谷川多持。

桂文枝(2代) かつら-ぶんし

1844-1916 明治時代の落語家。
弘化(こうか)元年生まれ。3代立川三玉斎の門下となり,明治5年初代文枝の門にうつり,文三(ぶんざ)を名のる。14年2代文枝を襲名。のち桂小文枝に3代目をゆずり,名も文左衛門とあらためた。明治の上方落語を代表し,「市助酒」などを得意とした。大正5年5月16日死去。73歳。紀伊(きい)粉川(和歌山県)出身。本名は渡辺儀助。

桂文枝(初代) かつら-ぶんし

1819-1874 江戸後期-明治時代の落語家。
文政2年生まれ。笑福亭梅花の門人となる。のち上方4代桂文治に入門,文枝を名のる。初代桂文団治ら多くの逸材をそだて,近代上方落語の中興の祖といわれる。「三十石(さんじっこく)」を得意とした。明治7年4月3日死去。56歳。大坂出身。通称は藤兵衛。

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367日誕生日大事典 「桂文枝」の解説

桂 文枝(5代目) (かつら ぶんし)

生年月日:1930年4月12日
昭和時代;平成時代の落語家
2005年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の桂文枝の言及

【落語】より

…円朝が江戸落語の完成者とすれば,円遊は近代落語の祖ともいえよう。 上方では,幕末の落語界を牛耳っていた林家派に対して桂派が台頭し,桂文枝(ぶんし)襲名をめぐる争いから2代桂文都(ぶんと)(1844‐1900)を中心とする浪花三友(なにわさんゆう)派が生まれ,2代文枝を中心とする桂派との競争によって黄金時代を迎えていた。
[落語研究会結成]
 1897年に春錦亭柳桜が,1900年に円朝,燕枝が死去した東京落語界は,円朝没後の三遊派を統率していた4代円生をも04年に失い,上方落語界の隆盛ぶりを見るにつけても善後策をたてねばならなかった。…

※「桂文枝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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