デジタル大辞泉
「桂三木助」の意味・読み・例文・類語
かつら‐みきすけ【桂三木助】
[1902~1961]落語家。3世。東京の生まれ。本名、小林七郎。繊細な芸風で人気を得た。
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かつら‐みきすけ【桂三木助】
- 落語家。
- [ 一 ] 二代。本名、松尾利雄。二代桂南光、橘家円喬(たちばなやえんきょう)に師事。東西落語の生き字引と称され舞踊にも巧みであった。明治二七~昭和一八年(一八九四‐一九四三)
- [ 二 ] 三代。本名、小林七郎。前名、柳昇、小柳枝、橘の円(まどか)。春風亭柳橋、二代三木助に師事。江戸前の繊細な芸風で人気を得た。明治三五~昭和三六年(一九〇二‐六一)
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桂 三木助(3代目)
カツラ ミキスケ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 小林 七郎
- 別名
- 前名=春風亭 柏葉,春風亭 小柳,桂 三木男,春風亭 橋之助,春風亭 柳昇,春風亭 小柳枝,花柳 太兵衛,橘ノ 円
- 生年月日
- 明治35年 3月28日
- 出生地
- 東京都 文京区湯島
- 経歴
- 生家は東京・湯島天神下の床屋・姿見楼。実父は2代目桂三木助であるという説もある。小学校卒業後、根岸の床屋で修業したのを経て、16歳で家業を継ぐ。しかし、根っからの芸事好きであったため、大正8年頃に母の弟である4代目春風亭柳橋の手引きで春風亭柏枝(6代目春風亭柳橋)に入門、柏葉。10年小柳に改名して二ツ目に昇進。15年師匠との関係が悪化したことから、5代目三遊亭円生の紹介で大阪に移り、2代目桂三木助一門に転じて桂三木男に名を変えた。のち東京に戻って柳橋一門に復し、橋之助を経て、昭和2年柳昇で真打ち。7年名を小柳枝に改めるが、落語家としてなかなか芽が出なかったため、12年頃、花柳寿兵衛に師事して花柳太兵衛の名で踊りの師匠となった。18年落語家に復帰し、前名の小柳枝が他人(8代目三笑亭可楽)に継がれていたことから、初代橘ノ円を名乗った。博打が大好きで“隼の七”の異名をとる遊び人であったが、戦後は心機一転して技芸を磨くようになり、人形町末広亭での勉強会や、NHKラジオ「とんち教室」へのレギュラー出演などで徐々に人気を獲得。25年3代目三木助を襲名して以降は、安藤鶴夫や8代目桂文楽らの後援を得て成長、繊細な感覚と飄逸さとを並存させた芸風で、人情噺「芝浜」は芸術祭賞奨励賞を受賞するなど、自身の代名詞となる噺となった。他の得意演目に「三井の大黒」「火事息子」「ざこ八」「時そば」「崇徳院」「蛇含草」「ねずみ」などがある。弟子に都家歌六、7代目春風亭柳端、9代目入船亭扇橋、林家木久翁(初代林家木久蔵)らがおり、4代目桂三木助は長男。
- 受賞
- 芸術祭賞奨励賞〔昭和29年〕「芝浜」
- 没年月日
- 昭和36年 1月16日 (1961年)
- 家族
- 長男=桂 三木助(4代目),孫=桂 三木男
- 親族
- 伯父=春風亭 柳橋(4代目)
- 伝記
- 生きてみよ、ツマラナイと思うけど―「ふたりの桂三木助」の娘として、姉として噺家ライバル物語三木助歳時記〈下〉三木助歳時記〈上〉忘れえぬ落語家たち談志絶倒 昭和落語家伝噺家渡世―扇橋百景寄席紳士録三世 桂三木助昭和・平成タレント太平記―私をトリコにした男たち落語長屋の知恵落語家―懐かしき人たち 小林 茂子 著大友 浩 著安藤 鶴夫 著安藤 鶴夫 著興津 要 著立川 談志 著,田島 謹之助 写真入船亭 扇橋 著,長井 好弘 編安藤 鶴夫 著山本 昌代 著林家 木久蔵 著矢野 誠一 著興津 要 著(発行元 小学館ソフトバンククリエイティブ河出書房新社河出書房新社河出書房新社大和書房うなぎ書房平凡社新潮社学習研究社青蛙房旺文社 ’09’08’08’08’08’07’07’00’97’91’86’86発行)
桂 三木助(4代目)
カツラ ミキスケ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 小林 盛夫
- 別名
- 前名=柳家 小太郎,柳家 小きん(ヤナギヤ コキン)
- 生年月日
- 昭和32年 3月29日
- 出生地
- 東京・田端
- 学歴
- 立教大学経済学部卒
- 経歴
- 古典落語の名手・3代目桂三木助の長男で、3歳で父を亡くす。大学時代に落語家になることを決意、昭和52年在学中に柳家小さん門下に入門。前座名は柳家小太郎。54年柳家小きんで二ツ目。60年9月18人抜きで真打ちに昇進、4代目三木助を襲名した。得意噺は、古典に現代風のアレンジを加えた「反対俥」。寄席以外にテレビ番組「満足!迷い旅」「クイズ日本人の質問」「野々村さんちの夫婦ゲンカ」「ふるさと愉快亭」、舞台「ACB」「榎本武揚」、映画「愛と平成の色男」などに出演、ラジオのDJでも活躍。外車を操りディスコに通うなどのシティボーイぶりで“落語界の新人類”と呼ばれ、若い世代の支持を得た。平成9年芸術祭賞演芸部門で優秀賞を受賞し、親子二代での受賞で話題となった。8年から体調を崩し入院することも多く、11年には父が最も得意とした「芝浜」に初めて取り組んだが、芸の伸びを苦に、13年自宅で自殺した。
- 受賞
- 日本放送演芸大賞ホープ賞(第15回)〔昭和61年〕,芸術祭賞優秀賞(演芸部門)〔平成9年〕「三木助の会」
- 没年月日
- 平成13年 1月3日 (2001年)
- 家族
- 父=桂 三木助(3代目)
- 親族
- 甥=桂 三木男
- 伝記
- 生きてみよ、ツマラナイと思うけど―「ふたりの桂三木助」の娘として、姉としていま、胎動する落語―苦悩する落語〈2〉落語で江戸を聴く―粋と人情とご教訓アニバーサリー・ソング 小林 茂子 著春風亭 小朝 著槇野 修 著永倉 万治 著(発行元 小学館ぴあPHP研究所新潮社 ’09’06’03’92発行)
桂 三木助(2代目)
カツラ ミキスケ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 松尾 福松
- 生年月日
- 明治17年 11月27日
- 出生地
- 奈良県 五条
- 経歴
- 昭和27年から2代目桂南光(のち仁佐衛門)門下で手遊(おもちゃ)を名乗り少年落語家となったが、日露戦争に従軍、39年帰還後、2代目桂三木助を襲名した。その後上京して橘家円喬の門に入り東京人情噺を修得した。このためレパートリーは広く、東西落語の生き字引といわれた。「箒屋娘」「宇治の柴船」「煙草の火」「夏の遊び」「立ち切れ線香」「三年目」などを得意とした。舞踊も落語家離れのした秀技なものだったが、晩年、群舞中に倒れ耳を悪くした。SPレコード「宿屋仇」「動物園」などがある。
- 没年月日
- 昭和18年 12月1日 (1943年)
- 伝記
- 落語家―いま、むかし 興津 要 著(発行元 旺文社 ’87発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
桂 三木助(4代目)
カツラ ミキスケ
昭和・平成期の落語家
- 生年
- 昭和32(1957)年3月29日
- 没年
- 平成13(2001)年1月3日
- 出生地
- 東京・田端
- 本名
- 小林 盛夫
- 別名
- 前名=柳家 小太郎,柳家 小きん(ヤナギヤ コキン)
- 学歴〔年〕
- 立教大学経済学部卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日本放送演芸大賞ホープ賞(第15回)〔昭和61年〕,芸術祭賞優秀賞(演芸部門)〔平成9年〕「三木助の会」
- 経歴
- 古典落語の名手・3代目桂三木助の長男で、3歳で父を亡くす。大学時代に落語家になることを決意、昭和52年在学中に柳家小さん門下に入門。前座名は柳家小太郎。54年柳家小きんで二ツ目。60年9月18人抜きで真打ちに昇進、4代目三木助を襲名した。得意噺は、古典に現代風のアレンジを加えた「反対俥」。寄席以外にテレビ番組「満足!迷い旅」「クイズ日本人の質問」「野々村さんちの夫婦ゲンカ」「ふるさと愉快亭」、舞台「ACB」「榎本武揚」、映画「愛と平成の色男」などに出演、ラジオのDJでも活躍。外車を操りディスコに通うなどのシティボーイぶりで“落語界の新人類”と呼ばれ、若い世代の支持を得た。平成9年芸術祭賞演芸部門で優秀賞を受賞し、親子二代での受賞で話題となった。8年から体調を崩し入院することも多く、11年には父が最も得意とした「芝浜」に初めて取り組んだが、芸の伸びを苦に、13年自宅で自殺した。
桂 三木助(3代目)
カツラ ミキスケ
大正・昭和期の落語家
- 生年
- 明治35(1902)年3月28日(戸籍:明治36年2月17日)
- 没年
- 昭和36(1961)年1月16日
- 出生地
- 東京・湯島
- 本名
- 小林 七郎
- 別名
- 前名=春風亭 柳昇,春風亭 小柳技
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術祭賞奨励賞〔昭和29年〕「芝浜」
- 経歴
- 大正8年6代目春風亭柳橋に入門するが、関東大震災で大阪に逃れ、2代目桂三木助一門に転じる。昭和2年柳橋一門に復し、柳昇で真打ちに。7年小柳技を経て、25年3代目三木助を襲名。NHKラジオ「とんち教室」のレギュラーとなって人気を得た。繊細な感覚とすっとぼけた飄逸さが並存した芸風で、「芝浜」「三井の大黒」「火事息子」「ざこ八」「時そば」などを得意とした。
桂 三木助(2代目)
カツラ ミキスケ
明治〜昭和期の落語家
- 生年
- 明治17(1884)年11月27日
- 没年
- 昭和18(1943)年12月1日
- 出生地
- 奈良県五条
- 本名
- 松尾 福松
- 経歴
- 昭和27年から2代目桂南光(のち仁佐衛門)門下で手遊(おもちゃ)を名乗り少年落語家となったが、日露戦争に従軍、39年帰還後、2代目桂三木助を襲名した。その後上京して橘家円喬の門に入り東京人情噺を修得した。このためレパートリーは広く、東西落語の生き字引といわれた。「箒屋娘」「宇治の柴船」「煙草の火」「夏の遊び」「立ち切れ線香」「三年目」などを得意とした。舞踊も落語家離れのした秀技なものだったが、晩年、群舞中に倒れ耳を悪くした。SPレコード「宿屋仇」「動物園」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
桂三木助
かつらみきすけ
落語家。
生没年不詳。初め桂南光、のち初代三木助となり、さらに2代目桂文枝(ぶんし)となる。
[関山和夫]
(1884―1943)本名松尾福松。2代桂南光門に入って手遊(おもちゃ)。のち2代目三木助襲名。昭和初期における上方(かみがた)落語界の重鎮で、『網舟(あみぶね)』『立切れ』などを得意とした。
[関山和夫]
(1902―61)本名小林七郎。春風亭柏枝(はくし)(のち6代目柳橋(りゅうきょう))に入門し、柏葉、小柳を経て大阪へ行き、2代目三木助門下となって三木男。東京へ帰って橋之助、柳昇、小柳枝と改め、一時期、日舞の師匠もしたが、落語界に復帰して橘ノ円(たちばなのまどか)。1950年三木助を襲名。『芝浜(しばはま)』『三井(みつい)の大黒(だいこく)』『ざこ八』などを得意とし、それらは『桂三木助集』(1963・青蛙房)に残されている。
[関山和夫]
(1957―2001)本名小林盛夫。3代の長男。5代目柳家小さん門下となり小太郎、小きんを経て1985年(昭和60)4代目三木助襲名。
[関山和夫]
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桂三木助(3世)
かつらみきすけ[さんせい]
[生]1902.3.28. 東京
[没]1961.1.16. 東京
落語家。本名小林七郎。実家は理髪業で,稼業を継いだが 1918年春風亭伯枝(のちの 6世春風亭柳橋)に入門,春風亭伯葉となる。1921年二つ目に昇進し,春風亭小柳と改名。1926年大阪へ行き,2世桂三木助門下に移り,桂三木男と名のった。翌 1927年東京に戻り,再び 6世春風亭柳橋門下に戻ると,春風亭橋之助と改名。同 1927年10月に真打ち昇進,4世春風亭柳昇となる。1932年春風亭小柳枝と改名。この頃はばくち三昧の日々を送り,隼の七と呼ばれていた。落語家として大成せず一時舞踊家となるが,戦争のため廃業。1943年再び落語家に戻り,2世橘ノ円を名のる。戦後は芸に精進し,実力が開花した。1949年ラジオ『とんち教室』(日本放送協会 NHK)のレギュラーとなり全国的な知名度を得た。1950年 3世桂三木助を襲名。8世桂文楽や安藤鶴夫にも認められ,1953年三越落語会で『芝浜』を口演し,落語家で初めて芸術祭賞奨励賞を受賞。それまではたいした噺ではなかった『芝浜』を大ネタにした功績は大きい。ほかに『崇徳院』『へっつい幽霊』などを得意とした。(→落語)
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
桂三木助 (かつらみきすけ)
落語家。(1)初代は2代目桂文枝(ぶんし)の前名で真打名前ではない。(2)2代(1894-1943・明治27-昭和18) 本名松尾福松。上方の2代桂南光門下。三木助襲名後に上京して橘家円喬に師事し,東西の落語に精通した。(3)3代(1902-61・明治35-昭和36) 本名小林七郎。はじめ柏枝(はくし)時代の春風亭柳橋門下。のち大阪へ行って2代三木助に師事して三木男を名のり,一時日本舞踊に転じたが,東京落語界に復帰して橘ノ円(まどか)を経て3代目襲名。粋な芸で喜ばれた。
執筆者:興津 要
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
桂三木助(3代) かつら-みきすけ
1902-1961 大正-昭和時代の落語家。
明治35年3月28日生まれ。春風亭柏枝(6代柳橋)に入門,昭和2年春風亭柳昇の名で真打にすすむ。一時日本舞踊に転じたが,落語界にもどり,25年3代桂三木助を襲名。いなせな江戸前の語り口で「芝浜」などを得意とした。昭和36年1月16日死去。58歳。東京出身。本名は小林七郎。
桂三木助(2代) かつら-みきすけ
1884-1943 明治-昭和時代前期の落語家。
明治17年11月27日生まれ。2代桂南光の門にはいり,手遊(おもちゃ)の名で初高座。明治39年2代桂三木助を襲名。大正5年浪花三友派にはいる。上方落語界の重鎮で「立切れ」「菊江仏壇」「網船」などを得意とした。昭和18年12月1日死去。60歳。本名は松尾福松。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
桂 三木助(2代目) (かつら みきすけ)
生年月日:1884年11月27日
明治時代-昭和時代の落語家
1943年没
桂 三木助(3代目) (かつら みきすけ)
生年月日:1902年3月28日
大正時代;昭和時代の落語家
1961年没
桂 三木助(4代目) (かつら みきすけ)
生年月日:1957年3月29日
昭和時代;平成時代の落語家
2001年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報