玉川勝太郎(読み)タマガワカツタロウ

デジタル大辞泉 「玉川勝太郎」の意味・読み・例文・類語

たまがわ‐かつたろう〔たまがはかつタラウ〕【玉川勝太郎】

[1896~1969](2世)浪曲師。東京の生まれ。本名、石渡金久。2世広沢虎造と並び称される名調子で、「天保水滸伝」を得意とした。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「玉川勝太郎」の解説

玉川 勝太郎(3代目)
タマガワ カツタロウ


職業
浪曲師

肩書
日本浪曲協会会長

本名
石渡 栄太郎

別名
旧名=わかの浦 小太郎,わかの浦 桜丸,玉川 桜丸,玉川 福太郎

生年月日
昭和8年 5月20日

出生地
東京市 日本橋区(東京都 中央区)

学歴
京橋実中退

経歴
昭和22年わかの浦孤舟に入門、小太郎と名乗る。同年桜丸と改名。23年2代目玉川勝太郎門下となり、玉川桜丸と改名、さらに28年福太郎名に。39年3代目勝太郎を襲名。平成6〜8年日本浪曲協会会長。侠客ものを十八番とし、きっぷのいいタンカの利いた関東節の名手として知られ、ラジオの浪曲番組のほか、テレビにもレギュラー出演し人気を集めた。一時期、レコード会社の専属歌手となり、歌謡曲と浪曲の両方を手掛けたこともある。主な演目に「天保水滸伝」「国定忠治」「忠治山形屋」「細川の茶碗屋敷」など。

所属団体
日本芸能実演家団体協議会

受賞
芸術祭賞〔平成1年〕「オン・ステージ玉川勝太郎」

没年月日
平成12年 10月4日 (2000年)

親族
岳父=玉川 勝太郎(2代目)


玉川 勝太郎(2代目)
タマガワ カツタロウ


職業
浪曲師

本名
石渡 金久

別名
初名=玉川 次郎,後名=玉川 勝翁(タマガワ カツオウ)

生年月日
明治29年 5月1日

出生地
東京・牛込

経歴
大正2年17歳の時、初代玉川勝太郎の門に入り玉川次郎と名乗った。15年に師匠は死去、昭和6年2代目勝太郎を襲名。初め「清水次郎長伝」をお家芸としていたが、2代目広沢虎造が次郎長伝で売出して以降は「天保水滸伝」を十八番とした。正岡容作のマクラ利根の川風袂に入れて」の名文句がうけてレコード浪曲が売れた。また忠治物も得意とし、他の演目に「国定忠治」「黄門漫遊記」「三日月次郎吉」「河内山」などがある。39年娘婿の福太郎に3代を譲り、勝翁の名で「忠治の娘」「耳無し芳一」などの新作を演じた。31年日本浪曲協会会長。

没年月日
昭和44年 8月13日 (1969年)

親族
娘婿=玉川 勝太郎(3代目)


玉川 勝太郎(初代)
タマガワ カツタロウ


職業
浪曲師

本名
鈴木 謙治郎

別名
前名=青木 勝太郎

生年月日
明治14年 3月10日

出生地
東京・本所

経歴
16歳で青木昇の門に入り、青木勝太郎を名乗る。21歳の時、亭号を玉川と改名。切れのよいせりふと情緒ある節調で人気を集め、「清水次郎長伝」など侠客物を得意とした。

没年月日
大正15年 6月24日 (1926年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「玉川勝太郎」の解説

玉川 勝太郎(3代目)
タマガワ カツタロウ

昭和・平成期の浪曲師 元・日本浪曲協会会長。



生年
昭和8(1933)年5月20日

没年
平成12(2000)年10月4日

出生地
東京・日本橋

本名
石渡 栄太郎

別名
旧名=わかの浦 小太郎,わかの浦 桜丸,玉川 桜丸,玉川 福太郎

学歴〔年〕
京橋実業中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔平成1年〕「オン・ステージ玉川勝太郎」

経歴
昭和22年わかの浦孤舟に入門、小太郎と名乗る。同年桜丸と改名。23年2代目玉川勝太郎の門下となり、玉川桜丸と改名、さらに28年福太郎名に。39年3代目勝太郎を襲名。平成6〜8年日本浪曲協会会長。俠客ものを十八番とし、きっぷのいいタンカの利いた関東節の名手として知られ、ラジオの浪曲番組のほか、テレビにもレギュラー出演し人気を集めた。一時期、レコード会社の専属歌手となり、歌謡曲と浪曲の両方を手掛けたこともある。主な演目に「天保水滸伝」「国定忠治」「忠治山形屋」「細川の茶碗屋敷」など。


玉川 勝太郎(2代目)
タマガワ カツタロウ

大正・昭和期の浪曲師



生年
明治29(1896)年5月1日

没年
昭和44(1969)年8月13日

出生地
東京・牛込

本名
石渡 金久

別名
初名=玉川 次郎,後名=玉川 勝翁(タマガワ カツオウ)

経歴
大正2年17歳の時、初代玉川勝太郎の門に入り玉川次郎と名乗った。15年に師匠は死去、昭和6年2代目勝太郎を襲名。初め「清水次郎長伝」をお家芸としていたが、2代目広沢虎造が次郎長伝で売出して以降は「天保水滸伝」を十八番とした。正岡容作のマクラ「利根の川風袂に入れて」の名文句がうけてレコード浪曲が売れた。また忠治物も得意とし、他の演目に「国定忠治」「黄門漫遊記」「三日月次郎吉」「河内山」などがある。39年娘婿の福太郎に3代を譲り、勝翁の名で「忠治の娘」「耳無し芳一」などの新作を演じた。31年日本浪曲協会会長。


玉川 勝太郎(1代目)
タマガワ カツタロウ

明治・大正期の浪曲師



生年
明治14(1881)年3月10日

没年
大正15(1926)年6月24日

出生地
東京・本所

本名
鈴木 謙治郎

別名
前名=青木 勝太郎

経歴
16歳で青木昇の門に入り、青木勝太郎を名のる。21歳の時、亭号を玉川と改名。切れのよいせりふと情緒ある節調で人気を集め、「清水次郎長伝」など俠客物を得意とした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉川勝太郎」の意味・わかりやすい解説

玉川勝太郎
たまがわかつたろう
(1896―1969)

浪曲師。2代目。本名石渡金久。東京生まれ。関東節三派の一つを打ち立てた初代勝太郎(1881―1926)に入門し、1932年(昭和7)2代目を継ぐ。同年代の広沢虎造(とらぞう)とは互いによきライバルと認め合う仲で、玉川のお家芸であった『次郎長伝』も虎造の人気が勝るや勝太郎はこれを捨て、勝太郎の『天保水滸伝(てんぽうすいこでん)』があたるや虎造も得意の『水滸伝』『国定忠治(くにさだちゅうじ)』を捨てた。第二次世界大戦前には『噫無情(ああむじょう)』、戦後は『耳無し芳一』に挑むなど、ラジオでは積極的に新作にも取り組んだ。1964年(昭和39)3代目(1933―2000)を初代玉川福太郎に譲った。3代目は本名石渡栄太郎。東京生まれ。1948年に2代目に入門し、2代目と同じく『天保水滸伝』を得意とした。1989年度(平成1)文化庁芸術祭賞受賞。

[秩父久方]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉川勝太郎」の解説

玉川勝太郎(3代) たまがわ-かつたろう

1933-2000 昭和後期-平成時代の浪曲師。
昭和8年5月20日生まれ。昭和22年わかの浦孤舟に入門,小太郎を名のる。翌年2代玉川勝太郎門下となり,28年福太郎で真打となる。39年3代を襲名。「天保水滸伝(てんぽうすいこでん)」「ねずみ小僧」などを得意とする。平成6年日本浪曲協会会長。平成12年10月4日死去。67歳。東京出身。京橋実業中退。本名は石渡(いしわた)栄太郎。

玉川勝太郎(2代) たまがわ-かつたろう

1896-1969 大正-昭和時代の浪曲師。
明治29年3月10日生まれ。初代玉川勝太郎に入門,玉川次郎を名のり,昭和7年2代を襲名。「天保水滸伝(てんぽうすいこでん)」を得意とし,侠客物で2代広沢虎造とならび称された。昭和44年8月13日死去。73歳。東京出身。本名は石渡金久(いしわた-かねひさ)。

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367日誕生日大事典 「玉川勝太郎」の解説

玉川 勝太郎(3代目) (たまがわ かつたろう)

生年月日:1933年5月20日
昭和時代;平成時代の浪曲師。日本浪曲協会会長
2000年没

玉川 勝太郎(2代目) (たまがわ かつたろう)

生年月日:1896年3月5日
大正時代;昭和時代の浪曲師
1969年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の玉川勝太郎の言及

【浪花節】より

… このように各派に名手が輩出して全国に流行した浪花節も,大正中期以後,落語,講談とともに映画の進出に圧倒されて衰退の傾向をたどっていたが,昭和時代にはいって,満州事変以後,太平洋戦争にかけて,国家主義的な時代風潮を背景にして,ふたたび隆盛の様相を呈した。この時期には,《壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)》の浪花亭綾太郎(1893‐1960),《佐渡情話》の寿々木米若(すずきよねわか),《天保水滸伝(すいこでん)》の2代玉川勝太郎,《清水次郎長伝》の2代広沢虎造,《紀伊国屋(きのくにや)文左衛門》の梅中軒鶯童(ばいちゆうけんおうどう),《赤城の子守唄》の春日井梅鶯(ばいおう)(1908‐74),《義士伝》の3代吉田奈良丸,《恩讐(おんしゆう)の彼方に》をはじめとする文芸浪曲の酒井雲(さかいくも)(1899‐1973),《唄入り観音経》の三門博(みかどひろし)(1907‐ ),《野狐三次(のぎつねさんじ)》の東家浦太郎(1919‐ ),《灰神楽(はいかぐら)三太郎》の相模(さがみ)太郎(1899‐1972),七色の声を使い分けた女流浪曲の雄2代天中軒雲月(伊丹秀子(いたみひでこ))など多くの人気者があらわれ,レコード,ラジオの普及,〈浪曲映画〉による映画とのタイアップなどによって,それ以前にも見られなかったほどに浪花節が大衆のなかに浸透していった。
[戦後の浪曲界]
 第2次大戦後は,軍事物や義士物など封建的演題への反動によって不振をきわめていたが,しだいに復活して,浅草国際劇場や明治座などの大劇場において浪曲大会を開催したこともあり,民間放送発足以来,大衆芸能の主要な種目としての座を獲得し,浪曲台本の専門作家も多く見られるようになり,一方,〈浪曲天狗道場〉のようなラジオ聴取者参加番組も製作された。…

※「玉川勝太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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