日本大百科全書(ニッポニカ) 「白石かずこ」の意味・わかりやすい解説
白石かずこ
しらいしかずこ
(1931― )
詩人。カナダ、バンクーバー生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学在学中に最初の詩集『卵のふる街』(1951)を出版している。以後『虎の遊戯』(1960)、『もうそれ以上おそくやってきてはいけない』(1963)、『一艘のカヌー、未来へ戻る』(1978)と続く。白石かずこの評価を決定的にしたのは『聖なる淫者の季節』(1970。H氏賞受賞)である。7章からなる長篇詩は、「すでに/わたしは 入っていた/聖なる淫者の季節 四月に」と書き始められ、七つの季節を経験したことを「あとがき」に記している。日本の風土から超越した神話的な世界は、コスモポリタンとしての資質を開花させている。『日本読書新聞』のインタビューにこたえて「(それ以前の)詩を書き始めた頃、わたしは大変な短距離走者だったんです。4行か5行、10行という詩を一瞬のうちにパッと書くのが得意だったんです。だけども、その一瞬の切り取りの後に何か落ちてしまうもの、それだけでは捉えることのできない何かを、映画のフィルムを延々と回し続けるみたいにして、捉えてみたいと思い始めたんです……」と語っている。
「映画のフィルム」とよぶ長い詩の特徴は、スタイルの自在さにあるといえるだろう。いい換えれば、さまざまの詩のスタイルを早い時期から肉体化していたから可能だった。詩集『今晩は荒模様』(1965)を論じた飯島耕一は、アポリネールについて論じられた「ポエジー・ロマネスク、つまり小説的な詩」という海外の批評を引用し、わが国においてそのもっとも成功したスタイルと述べ、谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』(1952)、『愛について』(1955)などと同類のものとみる。しかし、谷川の詩が言葉そのものへの探索からイメージを広げてゆくのに対し、白石かずこは、たとえば「私のグランマー グランパー/いとしい恋人 ハドソン川」(「ハドソン川のそば」)と歌うようにじつに音楽的である。この音楽性はカタカナや英語のスペルをそのまま使うことによってさらに視覚的になっている。それでも散漫にならないのは、『紅葉する炎の15人の兄弟日本列島に休息すれば』(1975)に見られるように、15人の兄弟のそれぞれ違った身振りから増殖するイメージを読み物として形成するストーリー性をもっていたからである。
その後の代表的な著作に、『朝日新聞』連載の「一九九八年の神話」(1998年(平成10)1月4日から3月8日まで10回にわたって連載)と、『現代詩手帖』連載の詩をまとめた『ロバの貴重な涙より』(2000)があげられる。後者の「あとがき」に、「久し振りの短い詩をかいているうちに、初期のモダニズムの出発点から長篇詩に向かって踊りでたときの途方もない方向へのジャンプや、ずらしてゆくリフレインなど短詩でも数々のこころみが自由奔放にできる爽快さ」を再確認している。現代詩が多数の読者をもっていたのは政治運動と青春が結びついていた1960年代から70年代だったといえよう。その後、詩人は詩を誰のために書いているのか、どんな読者を想定しているのかを現代詩そのものの存立条件として突きつけられている。いわば、言葉とその故郷の喪失が問われている。そんななかで、「カニは帰郷しても、それは絶望よりも深いところで帰郷の空をあおいだように、詩はつねに遥か、帰郷する空を失うことから、始まるようだ」(『ロバの貴重な涙より』あとがき)とは、半世紀にわたって書きぬいてきたこの詩人の、むしろ最初にあった信頼すべき感覚なのだといっていいだろう。
海外の詩人との交流は多岐にわたり、とくにアメリカの詩人アレン・ギンズバーグとの交流はよく知られている。最近の白石かずこは、朗読にも積極的にかかわる。2002年(平成14)には近代文学館の講演で「青春とブルース」と題して詩人中原中也をとりあげ、自身の青春と詩と出会いを語った。
[山岡賴弘]
『『卵のふる街』(協立書店・1951)』▽『『今晩は荒模様』(思潮社・1965)』▽『『聖なる淫者の季節』(思潮社・1970)』▽『『紅葉する炎の15人の兄弟日本列島に休息すれば』(サンリオ出版・1975)』▽『『一艘のカヌー、未来へ戻る』(思潮社・1978)』▽『『ロバの貴重な涙より』(思潮社・2000)』▽『『新選白石かずこ詩集』(現代詩文庫)』