観世喜之(読み)かんぜよしゆき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「観世喜之」の意味・わかりやすい解説

観世喜之
かんぜよしゆき

能の観世流シテ方。

増田正造

初世

(1885―1940)観世銕之丞(てつのじょう)家の分家である清之の養嗣子(ようしし)。旧名服部喜多(きた)。謡本刊行問題で観世宗家から破門される事件もあったが、蒔絵(まきえ)のように巧緻(こうち)な芸風をうたわれた名人

[増田正造]

2世

(1902―77)初世の甥(おい)で、旧名永島武雄。技巧的な芸風。1954、57年(昭和29、32)喜多実(みのる)らとベネチア、パリで演能。

[増田正造]

3世

(1935― )2世の養子で、前名観世武雄。温厚な芸風。矢来(やらい)能楽堂を拠点に九皐(きゅうこう)会を主宰。長男に観世喜正。

[増田正造]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「観世喜之」の解説

観世 喜之(2代目)
カンゼ ヨシユキ


職業
能楽師(観世流シテ方)

肩書
観世流銕之丞家分家

別名
前名=観世 武雄

生年月日
明治35年 10月21日

出生地
東京

経歴
初代喜之の兄永島兼太郎の長男。幼少より観世家に引きとられ、観世清之、初代喜之より指導をうける。明治38年仕舞「猩々」で初舞台、42年「合浦」で初シテ。大正15年初代喜之の養嗣子となり、昭和17年2代目喜之を襲名した。27年戦災で消失した矢来能楽堂を再建。(社)観世九皐会を設立し、理事長。29年ベネチア国際演劇祭に、32年パリ文化祭に喜多実と共に演能団副団長として参加。40年より日本能楽会会員。

没年月日
昭和52年 12月17日 (1977年)

家族
養父(叔父)=観世 喜之(初代),養子=観世 喜之(3代目)


観世 喜之(初代)
カンゼ ヨシユキ


職業
能楽師(観世流シテ方)

肩書
観世流銕之丞家分家

別名
前名=服部 喜多

生年月日
明治18年 2月27日

出生地
東京

経歴
永島喜助の三男。明治31年観世清之(父の義兄で観世銕之丞家5代清永の弟)に入門、服部喜多を名乗り38年清之の養嗣子となった。41年観世喜之と改名、42年清之の死後家督を継いだ。清之が改訂謡本を発行していたのに、さらに喜之が重習本に解説を加えて刊行したため44年宗家清廉から破門された。大正4年ようやく破門問題が解決。昭和5年牛込矢来町に能舞台を新築した。

没年月日
昭和15年 4月4日 (1940年)

家族
養父=観世 清之,養子(甥)=観世 喜之(2代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「観世喜之」の解説

観世 喜之(2代目)
カンゼ ヨシユキ

大正・昭和期の能楽師(観世流シテ方) 観世流銕之丞家分家。



生年
明治35(1902)年10月21日

没年
昭和52(1977)年12月17日

出生地
東京

別名
前名=観世 武雄

経歴
初代喜之の兄永島兼太郎の長男。幼少より観世家に引きとられ、観世清之、初代喜之より指導をうける。明治38年仕舞「猩々」で初舞台、42年「合浦」で初シテ。大正15年初代喜之の養嗣子となり、昭和17年2代目喜之を襲名した。27年戦災で消失した矢来能楽堂を再建。(社)観世九皐会を設立し、理事長。29年ベネチア国際演劇祭に、32年パリ文化祭に喜多実と共に演能団副団長として参加。40年より日本能楽会会員。


観世 喜之(1代目)
カンゼ ヨシユキ

明治〜昭和期の能楽師(観世流シテ方) 観世流銕之丞家分家。



生年
明治18(1885)年2月27日

没年
昭和15(1940)年4月4日

出生地
東京

別名
前名=服部 喜多

経歴
永島喜助の三男。明治31年観世清之(父の義兄で観世銕之丞家5代清永の弟)に入門、服部喜多を名のり38年清之の養嗣子となった。41年観世喜之と改名、42年清之の死後家督を継いだ。清之が改訂謡本を発行していたのに、さらに喜之が重習本に解説を加えて刊行したため44年宗家清廉から破門された。大正4年ようやく破門問題が解決。昭和5年牛込矢来町に能舞台を新築した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「観世喜之」の解説

観世喜之(2代) かんぜ-よしゆき

1902-1977 大正-昭和時代の能楽師シテ方。
明治35年10月21日生まれ。38年仕舞「猩々(しょうじょう)」で初舞台をふむ。大正15年初代喜之の養子となる。昭和17年2代喜之を襲名し,観世銕之丞(てつのじょう)家の分家3代をつぐ。技巧的な芸風で知られた。戦後,東京の矢来(やらい)能楽堂を再建。昭和52年12月17日死去。75歳。東京出身。旧姓は永島。本名は武雄。

観世喜之(3代) かんぜ-よしゆき

1935- 昭和後期-平成時代の能楽師シテ方。
昭和10年6月2日生まれ。養父2代観世喜之にまなぶ。昭和16年「合浦(がっぽ)」で初舞台。50年日本能楽会会員。52年観世九皐会(きゅうこうかい)理事長。56年3代観世喜之を襲名。平成17年能楽の普及,能楽界発展につくした業績で芸術院賞。東京出身。前名は武雄。本名は観世敬祐(けいすけ)。

観世喜之(初代) かんぜ-よしゆき

1885-1940 明治-昭和時代前期の能楽師シテ方。
明治18年2月27日生まれ。観世清之(きよし)の養子。明治41年観世喜之を名のり,翌年観世銕之丞(てつのじょう)家の分家2代をつぐ。昭和5年東京牛込矢来(やらい)町に能舞台を開設。昭和15年4月4日死去。56歳。東京出身。旧姓は永島。前名は服部喜多。

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367日誕生日大事典 「観世喜之」の解説

観世 喜之(初代) (かんぜ よしゆき)

生年月日:1885年2月27日
明治時代-昭和時代の能楽師。観世流シテ方
1940年没

観世 喜之(2代目) (かんぜ よしゆき)

生年月日:1902年10月21日
大正時代;昭和時代の能楽師シテ方
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の観世喜之の言及

【観世流】より

…25世観世元正(1930‐90)は,22世清孝の次男次郎の孫で,幼時,24世左近の養嗣子となり25世を継いだ。 観世流の名家には,観世銕之丞家と梅若六郎家,銕之丞家の分家の観世喜之(よしゆき)家,六郎家の分家の梅若万三郎家があり,そのほか東京には橋岡,京都には京観世の流れをくむ井上・林,24世左近の生家の片山家,大阪には山階・大西・生一(きいち)家などがある。家元の下にこれら職分家があり,その下に師範が所属し,1983年現在の観世流の勢力は,公認のくろうとが全国で約700名もおり(最も少ない喜多流の15倍),シテ方随一の流勢を誇っている。…

※「観世喜之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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