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「観世銕之丞」の意味・読み・例文・類語
かんぜ‐てつのじょう〔クワンゼ‐〕【観世銕之丞】
能楽のシテ方観世流宗家の分家の芸名。14世宗家清親の次男、織部清尚に始まる。代々名手が輩出、5世(紅雪)・6世(華雪)は近代の名人。
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観世銕之丞
かんぜてつのじょう
能のシテ方。観世流宗家の分家の当主に継承される名前。江戸時代から五流宗家に準ずる家柄であった。宗家に嗣子(しし)のないときは宗家を継ぐ家で、17世、19世の観世宗家となった初世、2世銕之丞にその例をみる。また、幼少の宗家を後見すべき家柄である。分家創設の初世(織部(おりべ)、1731―82)は14世宗家観世清親(きよちか)の次男。15世宗家元章(もとあきら)の弟にあたる。
[増田正造]
(1843―1911)隠居名紅雪(こうせつ)。明治維新で宗家が静岡に移ったのち、初世梅若実(みのる)とともに東京で能の復興に努めた。
[増田正造]
(1884―1959)5世の長男。幼名織雄(おりお)。1910年(明治43)父の隠居後6世を襲名。47年(昭和22)隠居して華雪(かせつ)となる。義兄にあたる初世梅若万三郎と六郎(2世実)の梅若流樹立に参加したが、やがて観世流に復帰、25世宗家観世元正(もとまさ)の成人までは後見役の重責にあった。流儀に絶えていた名曲『求塚(もとめづか)』を復興。温かななかに冷え寂(さ)びた強さをもつ芸風で、同年生まれの橋岡久太郎(きゅうたろう)とともに名人とうたわれ、52年に芸術院会員に選ばれた。著書に『観世華雪芸談』がある。
[増田正造]
(1898―1988)幼名茂、のち織雄。6世の弟であるが養子となって、1947年(昭和22)7世を襲名。重厚な芸風の名手で、79年隠居して雅雪を名のる。長男は天才をうたわれた観世寿夫(ひさお)。次男栄夫(ひでお)(1927―2007)は後藤得三(とくぞう)の養子として喜多流に転流、一時能界を出て演出家となるが、寿夫没後観世流に復帰した。映画、演劇界でも活躍。
[増田正造]
(1931―2000)7世の四男。前名静夫。1980年(昭和55)襲名。端正な芸風で、新作能『智恵子抄(ちえこしょう)』、冥(めい)の会の泉鏡花作『天守物語』ほか新しい演劇運動にも多く参加。95年(平成7)重要無形文化財保持者(人間国宝)。
[増田正造]
9世(1956― )8世の長男。前名暁夫(あけお)。2002年(平成14)襲名。妻は京舞井上流家元5世井上八千代(やちよ)。なお、銕仙(てっせん)会は銕之丞家の主宰する会。
[増田正造]
『銕仙会編『花は心――観世華雪 雅雪 寿夫』(1990・白水社)』
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観世 銕之丞(8代目)
カンゼ テツノジョウ
- 職業
- 能楽師(観世流シテ方)
- 肩書
- 観世流分家銕之丞家8代目,銕仙会主宰 重要無形文化財保持者(能シテ方)〔平成7年〕
- 本名
- 観世 静夫(カンゼ シズオ)
- 別名
- 後名=観世 静雪(カンゼ ジョウセツ)
- 生年月日
- 昭和6年 1月5日
- 出生地
- 東京市 下谷区西町(東京都 台東区)
- 学歴
- 暁星中(旧制)〔昭和20年〕中退
- 経歴
- 父は7代目観世銕之丞(のち雅雪)、兄・寿夫、栄夫もまたシテ方で、能楽界では“観世三兄弟”として知られる。昭和8年祖父・観世華雪と父に師事。9年「鞍馬天狗」子方で初舞台。13年「合浦」で初シテをつとめる。28年兄らと華の会を結成。「道成寺」を披く。29年ベネチア国際演劇祭に参加、初の能楽海外公演を実現する。30年創作劇「綾の鼓」(三島由紀夫作)に出演。45年兄らと冥の会を結成。55年8代目銕之丞を襲名。銕仙会を主宰。夢幻能の代表作に「定家」「安宅」「求塚」「羽衣」などがある。また、従来観世流が上演していなかった「三山」「当願暮頭」「松山天狗」を復曲初演。能の現代的再生を目指し、兄らと新作能、創作劇、ギリシャ劇も手がけ、「智恵子抄」「鷹姫」、「オイディプース王」「アガメムノーン」「ゴドーを待ちながら」「山月記」「メデア」「天守物語」などに出演。能楽界の演技者グループ申楽乃座(さるがくのざ)同人で、60年8月には被爆40年を機会に反核平和のための能を上演。平成5年国立能楽堂能楽養成シテ方主任講師に就任。7年二十一世紀に伝える能と狂言を考える会・能楽座を旗揚げ。同年人間国宝。著書に「ようこそ能の世界へ―観世銕之亟能がたり」がある。
- 所属団体
- 銕仙会,申楽乃座
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞(第42回 平3年度)〔平成4年〕「鷺」「定家」「当願暮頭」,日本芸術院賞(第48回 平3年度)〔平成4年〕 紫綬褒章〔平成9年〕
- 没年月日
- 平成12年 7月3日 (2000年)
- 家族
- 父=観世 雅雪(7代目銕之丞),兄=観世 寿夫,観世 栄夫,長男=観世 銕之丞(9代目),祖父=観世 華雪(6代目銕之丞)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
観世 銕之丞(8代目)
カンゼ テツノジョウ
昭和・平成期の能楽師(観世流シテ方) 観世流分家銕之丞家8代目;銕仙会主宰。
- 生年
- 昭和6(1931)年1月5日
- 没年
- 平成12(2000)年7月3日
- 出生地
- 東京市下谷区(現・東京都台東区)
- 本名
- 観世 静夫(カンゼ シズオ)
- 別名
- 後名=観世 静雪(カンゼ セイセツ)
- 学歴〔年〕
- 暁星中(旧制)〔昭和20年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術選奨文部大臣賞(第42回・平3年度)〔平成4年〕「鷺」「定家」「当願暮頭」,日本芸術院賞(第48回・平3年度)〔平成4年〕,紫綬褒章〔平成9年〕
- 経歴
- 父は7代目銕之丞(のち雅雪)、兄寿夫(故人)、栄夫もまたシテ方で、能楽界では“観世三兄弟”として知られる。3歳で初舞台に立ち、以後この道一筋。昭和28年兄らと華の会を結成。29年ベネチア国際演劇祭に参加、初の能楽海外公演を実現する。30年創作劇「綾の鼓」に出演。45年寿夫らと冥の会を結成。55年8代目銕之丞を襲名。銕仙会を主宰。従来、観世流が上演していなかった「三山」「当願暮頭」「松山天狗」を復曲初演。能の現代的再生を目指し、兄らと新作能、創作劇、ギリシャ劇も手がけ、「智恵子抄」「鷹姫」、「オイディプース王」「アガメムノーン」「ゴドーを待ちながら」「山月記」「メデア」「天守物語」などに出演。能楽界の演技者グループ申楽乃座(さるがくのざ)同人で、60年8月には被爆40年を機会に反核平和のための能を上演。平成7年二十一世紀に伝える能と狂言を考える会・能楽座を旗揚げ。同年人間国宝。著書に「ようこそ能の世界へ―観世銕之亟能がたり」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
観世銕之丞(8世)
かんぜてつのじょう[はっせい]
[生]1931.1.5 東京,東京
[没]2000.7.3 東京,港
観世流,シテ方の能楽師。本名静夫。7世観世銕之丞(雅雪)の四男。父雅雪,祖父観世華雪,兄観世寿夫に師事。1934年『鞍馬天狗』の花見で初舞台。1938年『合浦』で初シテ。1953年『道成寺』,1978年『卒都婆小町』を初演。1980年に 8世銕之丞を襲名。1985年『檜垣』,1990年『姨捨』を初演。兄の寿夫,観世栄夫らとともに新作能や能・狂言様式の演劇,他ジャンルの演劇に参加した。番外曲の復曲にも意欲的で,1984年『三山』,1991年『当願暮頭』などに主演。1982年,世阿弥自筆本『雲林院』の復活試演でも作曲・作舞をし,後シテを演じた。1953年寿夫,栄夫とともに華の会を結成し,のちに三役(ワキ方,狂言方,囃子方)が加入し,流儀役籍をこえた組織となった。また 1970年二人の兄と新劇の俳優,演出家らと冥の会を結成し同人となった。申楽乃座の同人。1991年度芸術選奨文部大臣賞,1992年日本芸術院賞。1995年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。1997年紫綬褒章。銕仙会理事長として多くの後進を育成した。9世銕之丞(暁夫)は長男。著書に『ようこそ能の世界へ 観世銕之亟能がたり』(2000)がある。(→能)
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観世銕之丞
没年:天明2(1782)
生年:享保12(1727)
江戸前・中期の能楽師。初名織之助,のち清尚。14代観世大夫清親の次男で,15代元章の弟。少年時代から江戸城の能に出勤し活躍,父の没後寛延1(1748)年には父の通称織部を襲名する。26歳にして当時稀有の新家樹立を認められ,観世流宗家の分家・銕之丞家の初代となる。兄と共に将軍徳川家治の能指南を担当し,幕府から屋敷を拝領するなど厚遇された。安永3(1774)年に元章が没すると将軍の意向で17代観世大夫を継承し,元章が採用した『明和改正謡本』の廃止などを実行。控えの家としての銕之丞家の地位を確立し,兄元章の行き過ぎた改革を軌道修正した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
観世銕之丞(8代) かんぜ-てつのじょう
1931-2000 昭和-平成時代の能楽師シテ方。
昭和6年1月5日生まれ。7代観世銕之丞の4男。観世寿夫(ひさお),観世栄夫(ひでお)の弟。観世流。3歳で初舞台。昭和29年ベネチア国際演劇祭で能の海外初演をはたす。古典能の現代への再生をこころざし,また新作能,実験劇,ギリシャ悲劇なども手がける。55年8代を襲名。平成4年芸術院賞。7年人間国宝。平成12年7月3日死去。69歳。東京出身。暁星中学卒。本名は静夫。
観世銕之丞(9代) かんぜ-てつのじょう
1956- 昭和後期-平成時代の能楽師シテ方。
昭和31年10月23日生まれ。8代観世銕之丞の長男。妻は5代井上八千代。観世流。昭和35年初舞台。父および観世寿夫にまなぶ。平成14年9代銕之丞を襲名し,15年襲名披露能で「當麻」を演じた。21年「安宅」のシテおよび近年の優れた演能で芸術院賞。東京出身。成城大卒。本名は暁夫(あけお)。
観世銕之丞(2代) かんぜ-てつのじょう
1761-1815 江戸時代中期-後期の能役者シテ方。
宝暦11年生まれ。観世清尚(きよひさ)(初代観世銕之丞(てつのじょう))の次男。安永3年分家の観世銕之丞家2代をつぐ。寛政5年兄の宗家18代観世清充(きよみつ)の隠居のため,19代をついだ。文化12年9月12日死去。55歳。江戸出身。名は清興(きよおき)。
観世銕之丞(7代) かんぜ-てつのじょう
1898-1988 大正-昭和時代の能楽師シテ方。
明治31年4月11日生まれ。5代観世銕之丞の子。兄の観世華雪(6代観世銕之丞)の養子となり,昭和22年7代銕之丞を襲名。重厚堅実な芸風で知られた。54年隠居し雅雪を名のる。昭和63年8月22日死去。90歳。東京出身。本名は清房(きよふさ)。前名は織雄。
観世銕之丞(5代) かんぜ-てつのじょう
1843-1911 幕末-明治時代の能楽師シテ方。
天保(てんぽう)14年10月生まれ。4代観世銕之丞の長男。明治維新に際し宗家が一時静岡にうつったときも東京にのこり,初代梅若実(みのる)とともに衰退した能の復興につとめた。明治44年4月死去。69歳。江戸出身。名は清永(きよひさ)。隠居名は紅雪。
観世銕之丞(4代) かんぜ-てつのじょう
1817-1855 江戸時代後期の能役者シテ方。
文化14年生まれ。3代観世銕之丞の長男。天保(てんぽう)13年(1842)宗家21代観世清長の没後,その子観世清孝(のちの宗家22代)を後見した。安政2年2月9日死去。39歳。江戸出身。名は清済(きよゆき)。隠居名は如雪。
観世銕之丞(3代) かんぜ-てつのじょう
?-1820 江戸時代後期の能役者シテ方。
2代観世銕之丞の子。宗家20代観世清暘の弟。文政3年死去。名は清宣。通称は四郎。
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観世 銕之丞(8代目) (かんぜ てつのじょう)
生年月日:1931年1月5日
昭和時代;平成時代の能楽師(観世流シテ方)
2000年没
観世 銕之丞(7代目) (かんぜ てつのじょう)
生年月日:1898年4月11日
大正時代;昭和時代の能楽師シテ方
1988年没
観世 銕之丞(6代目) (かんぜ てつのじょう)
生年月日:1884年11月14日
昭和時代の能楽師;観世流シテ方
1959年没
観世 銕之丞(5代目) (かんぜ てつのじょう)
生年月日:1843年10月5日
明治時代の能のシテ方
1911年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報