麻生 慶次郎(読み)アソウ ケイジロウ

20世紀日本人名事典 「麻生 慶次郎」の解説

麻生 慶次郎
アソウ ケイジロウ

明治〜昭和期の農芸化学者,土壌肥料学者 東京帝国大学名誉教授



生年
明治8年6月(1875年)

没年
昭和28(1953)年10月28日

出生地
東京府

学歴〔年〕
東京帝大農科大学農芸化学科〔明治32年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔明治37年〕

経歴
植物生理化学を専攻、土壌肥料学の研究を進め、明治35年東京帝大助教授となり、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカなどに留学。帰国後45年教授となった。わが国土壌肥料学の草分けで、オキシターゼ、アンガンの生理作用の研究などに貢献した。日本学士院会員、特許局審判官、文部省督学官、東京農林学校長などを兼任、昭和11年東大名誉教授。著書に「土壌学」「土壌と肥料」「植物生理学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「麻生 慶次郎」の意味・わかりやすい解説

麻生慶次郎 (あそうけいじろう)
生没年:1875-1953(明治8-昭和28)

土壌肥料学者。東京生れ。1899年東京帝国大学農芸化学科卒。1912年同農学部教授。日本学士院会員,大日本農会副会頭,日本農学会会長その他学界の最高の指導的地位にあった。はじめ植物の生理化学を専攻し,O.ロイブとの共同研究《石灰苦土率の説》を発表した。その知見をもって土壌肥料学へ転じ,土壌中の有機態リン酸,腐植の定量法,根粒菌などに関する先駆的研究を残した。その門下からは多くのすぐれた土壌学者,肥料学者が輩出。著書に《土壌学》《植物生理化学》《植物栄養と肥料》などがある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「麻生 慶次郎」の意味・わかりやすい解説

麻生慶次郎
あそうけいじろう
(1875―1953)

農芸化学者。東京に生まれ、1899年(明治32)東京帝国大学農科大学を卒業、大学院で植物生理化学を専攻した。1912年(明治45)母校の教授。研究の基礎に植物生理化学を置いて、日本の土壌肥料学の草分けとして活躍。微量要素、とくにマンガンについて先駆的研究を行い、またマメ科作物の栽培根粒(こんりゅう)細菌利用することを実行し、マメ、緑肥増産に貢献した。東京農業大学はじめ農業研究教育機関の設置にも力を注いだ。1938年(昭和13)帝国学士院会員。日本農芸化学会会長、土壌肥料学会会長などを歴任した。

[道家達將]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「麻生 慶次郎」の解説

麻生慶次郎 あそう-けいじろう

1875-1953 明治-昭和時代の農芸化学者。
明治8年6月24日生まれ。欧米に留学し,帰国後母校東京帝大の教授。日本農学会会長,日本土壌肥料学会会長などをつとめた。土壌肥料学,とくに微量要素の研究で知られ,また根粒細菌の利用に力をそそいだ。昭和28年10月28日死去。78歳。東京出身。著作に「土壌学」など。

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367日誕生日大事典 「麻生 慶次郎」の解説

麻生 慶次郎 (あそう けいじろう)

生年月日:1875年6月24日
明治時代-昭和時代の農芸化学者。東京大学教授;東京農林学校長
1953年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の麻生 慶次郎の言及

【微量要素】より

…鉄が必要であることはすでに古くから知られていたと思われるが,記録としては1844年にグリスGrisが植物の鉄欠乏症について報告したのが知られている。またマンガンについては表のマクハーグJ.S.McHargueより古く,1903年に日本の麻生慶次郎により植物の生育をマンガンが刺激するという報告がなされている。 鉄はpHの高い土壌では水酸化鉄などの沈殿を形成し,植物に吸収されにくくなり,植物は鉄欠乏になる。…

※「麻生 慶次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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