五臓六腑の一つに数えられ,英語spleenは脾臓が気力や感情の宿るところと考えられたことから転じて,〈不機嫌〉や〈憂鬱(ゆううつ)〉の意にも用いられる。腹腔内にある内臓の一つで,古くなった赤血球の処理,リンパ球の産出,免疫による生体防御などをつかさどる最大のリンパ系器官でもある。左側上腹部にあり,上方は横隔膜,下方は左腎臓に接し,前方に胃がある。大きさは成人で長さ約10cm,幅約6.5cm,厚さ3cm内外で,重さは約150g,老人では萎縮して小さいことが多い。血液は大動脈の分枝である脾動脈を通って流入し,脾静脈から門脈に入って肝臓に注ぐ。10人に1人の割合で脾臓の周囲に同じような構造をもった,ダイズ大から親指の頭大の副脾とよばれる組織がみられる。
表面は平滑筋を含んだ繊維性の被膜capsulaでおおわれ,脾臓の割断面は煉瓦色の部分,赤色髄red pulpと灰白色のアワつぶ状の結節,白色髄white pulpに区別される。赤色髄の構造はウィーンの外科医ビルロートTheodor Billroth(1826-94)によって明らかにされた。一方,リンパ球の集合からなるリンパ組織である白色髄はM.マルピーギによって発見され,それにちなんでマルピーギ小体ともよばれる。さて,脾臓をおおう被膜はところどころで分枝して脾柱trabecula lienisとなって脾臓の実質の内部に入りこみ,比較的大きな血管が脾柱に導かれて実質内に分枝する。実質内に入って枝分れした小動脈は中心動脈とよばれ,この周囲にリンパ球がぎっしりと集まって白色髄を形成する。中心動脈の先端はさらに細分枝して毛細血管となり,赤色髄に注ぐ。赤色髄は海綿状の構造をした血管組織で,煉瓦色に見えるのは血液が充満しているためである。赤色髄の中で,1層に並んだ細長い内皮細胞でかこまれた袋状の腔を脾洞といい,その周辺で赤血球が充満した網状組織を髄索(別名ビルロート索)という。大部分の血液は髄索から脾洞へ流れこみ,静脈血となって脾柱静脈,脾静脈を経て門脈へ流れるが,一部の血液は中心動脈から直接脾洞へ入る。白色髄と赤色髄の間には明確な境界はなく,この移行部は濾胞(ろほう)周辺帯とよばれる。
胎児の時期には血球を産生する造血組織として働くが,生後骨髄での造血が主体になると造血能を失う。幼小児では,脾臓は細菌感染を防ぐうえで重要な役割を分担し,4~5歳以下で脾臓を摘出すると重症の感染に罹患しやすい。ところが,成人では脾臓なしでも正常の生活ができる。それは,脾臓の機能が他の臓器(とくにリンパ節,肝臓,骨髄)によって肩代りされるためである。脾臓は血液の含有量によって約2倍にも大きくなりうるが,他の動物とちがって正常の人では血液の貯蔵所としての役割は乏しい。正常人では脾臓はせいぜい30mlの血液を予備として全身循環に供給しうるにすぎないからである。脾臓のおもな機能には,以下のように赤血球の処理,鉄の貯蔵,血小板の貯蔵,免疫による生体防御などがある。
(1)赤血球の処理 120日の寿命がきて老齢化した赤血球は,形,水分含量,細胞膜に変化がおこり,血球全体が変形して狭い間隙をくぐり抜ける性質(これを変形能という)を失う。脾臓の赤色髄には巧妙な濾過装置があり,とくに網目状構造の髄索と内皮細胞が並んだ脾洞壁の間隙は赤血球の直径よりも狭い。そこで,老化して変形できなくなった赤血球は,髄索や脾洞壁をくぐり抜けることができないため,髄索内に抑留され,ここで待機している大食細胞(マクロファージ)に貪食される。これと同じようなしくみで欠陥のある赤血球も処理され,遺伝性の溶血性貧血で赤血球が丸みを帯びて球状化する遺伝性球状赤血球症では,赤血球の変形能がわるいため脾臓にとり込まれて壊される。このような病気では,手術で脾臓を取り除く(摘脾)と,欠陥のある赤血球でも壊されずに循環するため,貧血症状が軽くなる。骨髄や肝臓も異常赤血球を処理することができ,摘脾した後のこの機能を代行するが,異常を見分ける能力は脾臓に比べて鈍感である。
(2)鉄の貯蔵 赤血球の崩壊で遊離した鉄は脾臓にたくわえられ,必要に応じて動員されてヘモグロビンの合成に再利用される。
(3)異物の貪食 細菌や粒子などの比較的粗大な異物は脾臓に運ばれると,濾胞周辺帯や赤色髄に散在している大食細胞に貪食されて処理される。
(4)血小板の貯蔵 血小板は止血に際して重要な役割をはたす血液細胞であるが,表面は粘着性を帯びているため赤色髄の網目構造にかかって抑留される。血小板の約1/3は脾臓に貯蔵される。脾臓が大きくなると貯蔵量が増し,末梢血中の血小板数は減少して出血しやすい状態となる。
(5)免疫による生体防御 白色髄はリンパ組織であり,免疫反応に関与するリンパ球を産生する。抗体を産生するリンパ球(Bリンパ球,または単にB細胞という)のほかに,ツベルクリン反応,移植の際に主役を演ずるリンパ球(Tリンパ球,T細胞)も産生する。幼児期に脾臓を取り除くと,脾臓による異物貪食能と免疫による防御反応が減弱して病気に感染しやすくなる。
脾臓が肥大し,肋骨弓から下方に突出して手で触れるようになる。この脾臓の肥大を脾腫splenomegalyという。マラリアなどの感染症,肝硬変などの門脈系の鬱血状態,白血病などの血液疾患などが大きい脾腫を起こす原因となる。脾腫があると,血球の貯蔵量が増大し,その結果末梢血中の血球が減少する。このとき手術により肥大した脾臓を摘除すると減少していた血球が正常化する。脾腫,末梢血中の血球の減少,摘脾による血球数の回復の3項目のほかに,骨髄の検査で血球産生は正常あるいはむしろ増大していることが確認されたとき,この病態を脾機能亢進症という。しばしばバンチ症候群という言葉が脾機能亢進症の同意語として使われることがある。
手術により脾臓を取り除くことを摘脾splenectomyという。外傷による脾臓の破裂,血球減少をもたらす脾機能亢進症,遺伝性球状赤血球症などの貧血で,赤血球の破壊が主として脾臓で行われている病気,脾臓で血小板が貯蔵,破壊されるために出血しやすくなる血小板減少性紫斑病などでは治療の目的で摘脾が行われる。成人では摘脾による重篤な後遺症はおこらないが,一過性の血小板,白血球(とくに好中球)の増加,赤血球内の空胞(摘脾後空胞)など末梢血液に変化が生ずる。
脊椎動物にそなわった器官であるが,その形態や機能は,動物によってかなりの差異がある。円口類(ヤツメウナギなど)や肺魚類では,腸管や胃の組織内に脾臓に相当する組織(原始的脾臓)があって,造血を行い,独立の器官としては存在しない。軟骨魚類以上になると,赤色髄と白色髄の区別も明りょうとなり,独立して腸間膜に付着する。鳥類までは,造血が脾臓の主要な機能であるが,哺乳類になると,造血は主として骨髄で行われるようになる。しかし種や年齢によっては,活発に造血しているものもあり,マウスなどでは性成熟期に達しても造血に重要な役割を演じている。
→血液 →血球 →リンパ系
執筆者:松本 昇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
脾ともいう。腹腔(ふくくう)の左上部の横隔膜と左腎臓(じんぞう)との間に位置する臓器で、第9~第11肋骨(ろっこつ)の高さとなる。全体として楕円(だえん)板状で、日本人の場合、長さ約10センチメートル、幅約7センチメートル、厚さ約3センチメートル、重さ80~150グラムである。一般に女性のほうが男性に比べて軽い。脾臓は血管に富むため、外見上は暗紫色を呈している。後面はやや凸面で横隔膜に接し、これを横隔面という。前面は腹腔に面し、胃底、左腎、左結腸曲などが接触していることから、これを内臓面という。内臓面のほぼ中央部に脾動・静脈、神経が出入する脾門があり、この脾門の部分を境にして前方に胃面、後方に腎面がある。胃面と腎面との下端には左結腸曲や膵臓(すいぞう)尾部(膵尾)が接触する結腸面がある。脾門の部分を除いた脾臓の全面は、腹膜の続きである漿膜(しょうまく)に包まれている。漿膜の内側には結合組織からなる線維膜がある。漿膜と線維膜とをあわせて脾被膜とよぶ。線維膜の内面からは脾臓の内部に向かって結合組織が索状に進入するが、この索状組織を脾柱(ひちゅう)とよぶ。脾柱は脾実質内で分岐しながら互いに網の目をつくっている。脾臓に入る動脈は脾柱の中を通って分岐していく。この脾柱の網の目の内部を満たしているのが脾髄(ひずい)である。
[嶋井和世]
脾髄には白(はく)脾髄と赤(せき)脾髄とよばれる構造がある。白脾髄はリンパ組織で、細網組織(細網細胞と細網線維)が基本の構造となっているため、白っぽくみえる。白脾髄の中には直径0.2~0.7ミリメートルの脾リンパ小節(リンパ球の集団で、イタリアの解剖学者マルピーギM. Malpighiにちなみマルピーギ小体ともいう)がある。このリンパ小節内のリンパ球はBリンパ球で、免疫(めんえき)抗体産生細胞となる。脾リンパ小節の中心には脾柱内から分かれてきた動脈の枝が通り、これを中心動脈とよぶ。中心動脈の周囲には動脈を鞘(しょう)状に取り囲んでいるリンパ組織があり、この中のリンパ球は主としてTリンパ球である。Tリンパ球は細胞性免疫に関与しており、抗原の刺激に反応して増殖し、活性化する。赤脾髄とは白脾髄以外の部分をいい、血管に富み、外見的にも赤褐色にみえる。赤脾髄は静脈性洞様血管である脾洞と、その間を埋めている脾索(細網組織)とで構成されている。脾洞の太さは20~50マイクロメートルで、迂曲(うきょく)して走っている。脾洞の壁をつくっている内皮細胞相互の間には比較的広い間隙(かんげき)があり、血球(とくに赤血球)が自由に通過する。血液は赤脾髄の中で比較的長く停留するが、その間に血液中の異物をとらえて処分するほか、老化し、破壊された赤血球を処理する。
脾索の細網組織の網の目の中には赤血球のほか、形質細胞、大食(たいしょく)細胞、リンパ球などが存在する。大食細胞は脾細胞ともよばれ、活発な食作用を行い、老化赤血球、破壊された血球成分などを取り込む。また、大食細胞は黄褐色のヘモジデリンを含んでいるが、このヘモジデリンは肝臓に運ばれると胆汁色素を生合成する材料となる。ヒトの場合、脾臓は胎生期には造血器官として赤血球や他の血球を生産するが、生後は白脾髄で行われるリンパ球の生産だけとなる。赤脾髄は血液の貯留所であるが、多量の出血や運動時、あるいは精神的緊張時には、脾臓は収縮して貯蔵中の血液を放出する。脾臓の疾患では、とくにマラリア、腸チフス、白血病などにかかったとき、脾腫(ひしゅ)のおこることがある。よく知られているのが、バンチ病(イタリアの医師バンチG. Bantiにちなむ)の巨大脾腫である。
なお、古くから漢方医学の「五臓六腑(ごぞうろっぷ)」に含められた脾とは膵臓のことで、現在の脾臓とは異なっている。膵臓の語は、杉田玄白(げんぱく)らが『解体新書』をつくったとき初めて訳語として登場したものである。
[嶋井和世]
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