軍隊が戦時あるいは平時において必要とする資材を生産し、供給する産業部門。武器、弾薬、車両、航空機、艦艇など正面兵器のほか、衣料、通信機器、食糧、燃料も含まれる。しかし、最近の軍事技術の複雑・多岐にわたる発達のため、軍需品をたとえば機械・化学などの関連産業から厳密に区分することは以前よりも困難になっている。
[殿村晋一]
社会的再生産の見地からみると、軍需産業は、陸海空軍によって使用される全兵器とその他の装備品(最終軍需品=消費財部門の軍需セクター)と、最終軍需品を生産するための生産手段(軍需用生産手段=生産財部門の軍需セクター)を生産する産業であり、民需産業ないしは平和産業と対立する、戦争目的に使われる、社会的生産を拡大しない再生産外消耗の産業である。販売市場を政府財政によってほぼ全面的に保証され、国民所得の再分配政策を通じて利潤を確保する軍需産業の肥大化は、国民経済の発展すなわち福祉向上に否定的に作用する。しかし、第二次世界大戦後、世界の主要国では、戦争遂行よりも戦争抑止を重視するという戦略構想のもとに、平時から十分な防衛力を保持しようとし、そのために、恒久的な軍需生産機構(防衛産業)を維持する傾向が強まっている。同時にまた軍事技術・兵器体系の飛躍的発展を反映して、平時における軍備の強化と、それに伴う軍事費の増加が目だっている。また、米・仏・英などによる同盟国またはアジア、アフリカ、中南米、中東諸国の、いわゆる第三世界への新鋭兵器の輸出の激増も、第二次世界大戦後の新たな現象である(輸出産業としての軍需産業)。
[殿村晋一]
国民経済に占める軍需産業の比重は、重工業の発展が限定されていた19世紀までは比較的小さなものであった。資本家層は国家支出・国防費の膨張、増税などによる国内市場の削減に反対した。20世紀に入り帝国主義段階を迎えると、重化学工業も発展し、植民地再分割を目ざす帝国主義列強の争いは、各国の国家財政に占める軍事費の比重を増大させ、軍需産業が急膨張し、独占資本の巨大な利潤の源泉となった。とくに1916年以降、航空機と戦車の出現は、重工業部門への国家支出を増大させ、さらに2次にわたる世界大戦は各国に経済の戦時体制への編成替え(生産の国家統制)を行わせた。民需産業の削減による国民経済の軍事化(戦時国家独占資本主義)の強行実施はインフレーションと租税負担の増加、国民大衆の購買力の低下を招き、国民の極度の耐乏生活を犠牲に軍需生産の増強が推進された。
[殿村晋一]
第二次世界大戦後の冷戦体制の展開は、軍事技術の高度化・多角化を推し進め、核兵器・化学兵器・生物学兵器・航空‐宇宙兵器の開発による大量殺戮(さつりく)の可能性や、電機‐電子兵器による兵器操作の機械化と自動化などが、軍事戦略と戦術に大きな変化をもたらした。主要国の軍事費が増加し、とくに第二次世界大戦後20年間のアメリカの軍事費は大戦前の20年間の50倍に達し、その軍需生産は航空宇宙工業など先端産業を含むあらゆる産業分野に波及し、アメリカ経済の軍事化が進んだ。1960年代には先端産業に占める軍需の比率が著しく増加し、政府は航空機・ロケット工業生産の87%、通信手段生産の72%、エレクトロニクス工業生産の40%、造船および地上軍事資材の75%を軍需用に買い付けた(1963)。国庫購入時の「過払い」(超過利潤の保証)、研究開発・試作設計・生産準備等に対する報償制度、軍需関係投資に対する特別減価償却制度、国有財産の無償利用や設備投資に対する政府資金の供与等による固定資本の供与、70~80%に及ぶ前払金による流動資本の支弁などの優遇措置のほか、軍事機密保持=実績主義が優先されることもあって、専門業者と系列の請負業者間に競争範囲が限定されるなど、巨大企業と軍部・政府の癒着が一般化し、軍産複合体が形成され、巨大軍需独占体が政府の政策に影響力を拡大するに至った。逆に、民需関連産業の国際競争力が大幅に減退した。
[殿村晋一]
現在、世界市場への兵器の最大の供給国はアメリカである。ロシア、イギリス、フランスがこれに次いでいる。最大の輸出先は1960年代には、南ベトナムであったが、ドル危機以後の1970年代には豊富な石油収入で新鋭兵器を購入するアラブ諸国などへの輸出が急増し、最近では貿易摩擦と関連して日本への売り込みも激しい。軍需産業の操業度や雇用水準の維持、国際収支の改善、ライセンス生産による資本支配の拡大のほか、第三世界への政治的影響力の確保、産油国との関係強化によるエネルギー資源確保などがその動機となっている。非産油の開発途上諸国にとっては軍事費の負担が非常な重荷となっている。
[殿村晋一]
日本の軍需産業は、戦前は、まず官営軍事工廠(こうしょう)、そして官営八幡(やはた)製鉄を中心に展開し、ついで三井・三菱(みつびし)・住友など財閥資本、さらに日産・日窒・日曹など新興財閥が国家資本の援助を受けて軍需部門を独占した。日中戦争の拡大により、1938年(昭和13)国家総動員法による戦時経済体制が敷かれ、太平洋戦争期には民需部門のほとんどが軍需生産に動員されたが、経済の破局とともに敗戦を迎えた。戦後、1950年に始まり1954年にピークに達する朝鮮特需により、兵器の修理、銃砲など小型兵器の生産が再開、自衛隊が発足する前年の1953年(昭和28)には武器等製造法公布を契機に、防衛産業と名を変えて復活し、兵器生産が解禁された(ただし兵器輸出は制限)。しかしその後はアメリカ軍産複合体とのかかわりのなかで、政治は安保条約、軍事はアメリカ兵器体系との連続性、軍需産業は兵器のライセンス生産と兵器市場の競合性に規制されたまま、現在も、防衛省の装備調達と特需を中心に、特定の独占体が、その潜在的軍事生産能力からすれば、いわば「兼業的」に兵器生産を行っているにすぎない。1982年に1兆円台に初めてのった防衛生産額は1990年代後半には工業生産額の、おおむね0.6%を占めるだけとはいえ、GDPの大きい日本の軍事費は1%枠内でも世界の第4位を占めており、各産業が潜在的軍需産業としての性格をますます顕著にしている点は留意されねばならない。輸出に関しては、1983年1月、日本政府が対米武器技術輸出に限り、武器輸出三原則の例外とする方針を示したため、電子技術関連などでアメリカ向けに市場拡大の可能性が開かれた。
[殿村晋一]
冷戦体制の解体後、世界は確実に軍縮に向かっているかにみえるが、米欧の先端兵器の開発競争が終結したわけではない。アメリカの兵器産業は、国内の防衛市場の縮小を中・東欧市場への販路拡大によって埋めようとし、東欧への先端技術の輸出を許可し、航空機大手2社が中欧に事務所を設置、ボーイング社は戦闘機部品の現地生産のため、チェコの航空機製造会社と資本提携を進めた。南沙(なんさ)諸島問題で緊張の高まるアジア関係諸国への戦闘機売り込みにも力を入れている。兵器生産大国フランスも、そしてロシアも世界の兵器市場での商戦に積極的である。1989年(平成1)に支援戦闘機FS-Xの日米共同開発を押しつけられた日本も、次期対潜哨戒(たいせんしょうかい)機は純国産の方針を打ち出した。中国も商業衛星打上げの実績を生かせば、世界のミサイル市場への参入が可能となる。世界の兵器産業の研究・開発競争はなおとどまるところを知らない。
[殿村晋一]
『富山和夫著『日本の防衛産業』(1979・東洋経済新報社)』▽『吉原公一郎著『日本の兵器産業』(1982・ダイヤモンド社)』▽『坂井昭夫著『軍拡経済の構図』(1984・有斐閣選書)』▽『山田朗著『歴史文化ライブラリー18 軍備拡張の近代史――日本軍の膨張と崩壊』(1997・吉川弘文館)』▽『江畑謙介著『世界軍事・兵器情勢'98――漂流する兵器・拡散する戦争』(1998・時事通信社)』▽『江畑謙介著『日本の安全保障』(講談社現代新書)』▽『ガブリエル中森著『武装する世界』(1999・毎日新聞社)』▽『T・サンドラー、K・ハートレー著、深谷庄一監訳『防衛の経済学』(1999・日本評論社)』
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…このように,電子機器は兵器の高性能化やシステム化に欠かせないので,現代では,兵器工業という場合,これらの軍事用電子機器もその範疇(はんちゆう)に加えられる。兵器工業の類義語としては軍需産業や防衛産業があり,日本では防衛産業という用語が一般化している。防衛産業や軍需産業という場合は,狭義では軍事用電子機器を含めた兵器工業と同一の意味であるが,広義では燃料,繊維製品,医薬品,食料などの汎用品を含めて,軍事用として調達されるいっさいの物資の製造業,販売業を意味する。…
※「軍需産業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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