イギリスの天文学者。恒星の光行差と地球の章動との発見者。1711年オックスフォード大学で神学を修得したが、少年時代から叔父の趣味の影響を受けて天体観測に熱中、1718年に王立協会会員に推薦された。1721年母校の天文学教授に任命されるに及んで聖職を離れ、1742年グリニジ天文台第3代台長に就任すると同時に、施設を改新し、恒星観測の長期計画をたてた。その成果は1798年と1805年に2巻の恒星表の刊行となり、6万余個の恒星を収録した。恒星位置には、1727年に発見した光行差と、1747年ごろに発見した章動との補正が施されている。この光行差と章動との発見はともに恒星の年周視差の検証を目ざして精進した副産物である。前者は光速度と地球公転速度との合成現象と解釈し、後者は月の摂動を受けた地球自転軸の18.6年周期振動と説明し、ともに地動説の実証となった。また光行差の値20.5秒角から、光速度を秒速30.8万キロメートルと算定した。
[島村福太郎]
イギリス・ヘーゲル学派の哲学者。オックスフォード大学特別研究員。絶対的観念論を提唱し、時間、空間、自己などの日常的概念と物自体などの哲学的概念はいずれも実在の仮象を表す「自己矛盾的」な概念であるが、直接的経験または純粋感情に現れる絶対的超個人的経験を通じて、思惟(しい)における対立や矛盾を超えた高次の総合を達成することができると論じる。ミルの功利主義を批判し、ヘーゲルの人倫Sittlichkeitの概念を発展させて、自我実現説self-realizationを説く。また推論の基盤が「普遍」であることを強調し、伝統的論理学、帰納的論理学、経験論的論理学を批判した。主著は『仮象と実在』Appearance and Reality(1893)。
[宮下治子 2015年7月21日]
アメリカの軍人。ミズーリ州クラーク生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学校などに学ぶ。第二次世界大戦中に米陸軍野戦司令官として活躍し、北アフリカ、シチリアを転戦後、1944年6月のノルマンディー上陸作戦ではアイゼンハワー総司令官のもとで米第一軍を指揮。大戦後、復員軍人局長官を経て、1948年2月アイゼンハワーの後任として陸軍参謀総長に就任。1949年8月~1953年初代統合参謀本部議長を務めた。この間、1950年に元帥に昇進。1953年8月に退役し、その後はブローバ時計会社会長の職にあった。
[藤本 博]
イギリスの文学者、批評家。哲学者F・H・ブラッドリーの弟。シェークスピア学者として傑出し、シェークスピアのいわゆる四大悲劇を分析する『シェークスピア悲劇』(1904)は精緻(せいち)な性格論と悲劇の哲学的洞察により斯学(しがく)に一時期を画した。母校オックスフォード大学の詩学教授を務め(1901~06)、その『詩学講義集』(1909)も好著。
[冨原芳彰]
イギリスの天文学者。貴族の息子としてグロースターシャーに生まれる。オックスフォードのベイリオル・カレッジに学び,1718年ローヤル・ソサエティ会員,21年オックスフォードのサビル教授,42年E.ハリーの死とともに後任としてグリニジ天文台長。フランス,プロイセン,ロシアなどのアカデミーの会員にも選ばれた。
ブラッドリーの仕事としてもっとも著名なのは1728年の星の光行差の発見である。地球の公転による年周視差の確認は18世紀天文学者の最大の問題だった。ブラッドリーは丹念な観測を積み重ね,恒星のわずかな位置のずれを発見した。しかしこれは年周視差として説明できる性質のものとは異なったずれであった。ブラッドリーは,これをいわゆる〈光行差〉として説明した。また恒星の視角の年周期のわずかな変化を観測して地軸の章動によってそれを説明した(1748)。
執筆者:村上 陽一郎
イギリスの学者,批評家。とくにシェークスピア研究で有名。オックスフォード大学卒業後,リバプール,グラスゴーの大学を経て,母校の詩学教授(1901-06)となる。この間の講義をもとに《シェークスピアの悲劇》(1904),《オックスフォード詩学講義》(1909)を発表。前者は,シェークスピアの四大悲劇を中心にした精細な鑑賞批評であり,登場人物の性格分析において傑出している。19世紀のロマン主義的な批評の到達しえた最高の水準というべきであろう。なお,哲学者F.H.ブラッドリーは兄。
執筆者:出淵 博
イギリスの哲学者。文芸批評家A.C.ブラッドリーはその弟。オックスフォードに学び,マートン・カレッジのフェローとなる。T.H.グリーンやケアードによって導入されたヘーゲル哲学に深く影響を受け,新理想主義派としてイギリス伝統の功利主義倫理を批判した。晩年はプラトン主義的神秘主義形而上学に到達した。おもな著作に,《倫理研究》(1876),《論理学原理》(1883),《仮象と実在》(1893)などがある。
執筆者:荒川 幾男
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…このようなロマン主義批評はイギリスでは詩人批評家のS.T.コールリジによって先鞭をつけられるが,シェークスピアはヨーロッパとくにドイツにおいても偶像視されるようになる。ロマン主義批評は《シェークスピアの悲劇》(1904)の著者A.C.ブラッドリーによって集大成された。また,19世紀のシェークスピア批評は,W.ハズリットに代表されるいわゆる性格批評がその中心をなし,劇中人物の心理と行動原理が追究された。…
…ヘーゲル的立場は,工業化の進展に伴う社会問題の拡大と帝国主義の成立に伴う国際緊張の増大に伴って,国家権力の積極的意義が評価されはじめるとともに,ドイツ以外の国でも注目されるようになった。たとえば,イギリスでもT.H.グリーン,F.H.ブラッドリー,B.ボーザンケトらが,ヘーゲルの影響の下に,国家の倫理性を強調しつつ,国家が社会問題に積極的に介入することを正当化したのである。ヘーゲル的立場は,のちに著しくゆがめられた形で,ナチズムやファシズムの国家観に現れたが,しかしそこでは少なくともヘーゲル哲学の合理性は完全に排除され,国家一元論は著しく非合理的かつ神話的な形をとることになったといえよう。…
…しかし世紀末から再び生まれてきた〈精神〉を重視する立場が強くヘーゲルの影響を受けていたために〈新ヘーゲル学派〉と総称され,ファシズム期の終りまで影響を残した。イギリスのT.H.グリーン,F.H.ブラッドリーは,ヘーゲル以上に〈精神〉を超越的なものと解していたために,G.E.ムーアの経験主義の反発を招き,B.A.W.ラッセルの経験主義的原子論の成立を促す結果となった。イタリアのクローチェ,ジェンティーレは,ラブリオーラを経由して,人間の能動性の再評価を促して,マルクス主義に影響を与えた。…
…天体が黄道上にあれば光行差は長さ2kの線分上の往復運動になり,天体が黄緯βの位置にあれば光行差は半長軸k,半短軸ksinβの微小楕円になる。 1725年イギリスのJ.ブラッドリーは,ロンドン近郊のキューに設置した天頂セクターという長さ3.8mの特殊望遠鏡を使い,ロンドンの天頂を通過するりゅう座γ星の赤緯変化を精密観測して年周視差を発見しようとしたが,検出された結果は年周光行差であった(1728)。年周光行差の場合にはどの天体に対しても一律にk=20.″49であり,これを光行差定数というが,年周視差の場合には天体の距離に応じて,このずれの角度は異なり,もっとも近い星の場合でも視差p=0.″760という微小角で,ブラッドリーの測定精度では達しえなかった。…
…O.レーメルは1675年ごろ木星の衛星の食の開始時刻が周期的に変化することを見いだし,この変化は木星から地球まで光が伝わるのに要する時間が地球の公転によって異なるために生ずるとして,光速度約2.2×108m/sを見積もった。また,J.ブラッドリーは1725年ごろに地球の公転速度によって光の進入方向がわずかに傾く効果を用いて光速度を求めた。これら天文学的方法に対して地上の光学実験で光速度を測定した例の中では,1849年のA.フィゾーによる回転歯車を用いた測定(フィゾーの実験,3.13×108m/s)およびその翌年J.フーコーが行った回転鏡を利用した測定(2.98×108m/s)が有名である。…
…初代台長のJ.フラムスティードに次いで2代台長をつとめたE.ハリーは,1705年ハリーすい星が周期すい星であることを見つけ,また18年にはシリウス,アークトゥルスなどの位置とT.ブラーエの観測値との差が,恒星の固有運動によるものであることをつきとめた。3代台長J.ブラッドリーも,光行差や章動の発見者として著名である。グリニジ天文台の子午環を通る子午線が経度の基準になっていることからも,ここが位置天文学の大本山であったことがうかがえる。…
※「ブラッドリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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