中島三甫右衛門(読み)なかじまみほえもん

改訂新版 世界大百科事典 「中島三甫右衛門」の意味・わかりやすい解説

中島三甫右衛門 (なかじまみほえもん)

歌舞伎俳優。6世まである。(1)初世(?-1762(宝暦12)) 初世中島勘左衛門の弟子。小芝居から出て,1717年(享保2)三甫右衛門を名のり,翌々年には実悪(じつあく)の上上吉にまで上る。容貌魁偉大声を発し,《暫》のウケなど公家悪名人であった。鬚鬘(ひげかずら)の創始者。(2)2世(1724-82・享保9-天明2) 初世の実子。父の死後三甫右衛門を相続。〈湯島の天幸〉といわれ,実悪の立物。おかしみを加えた芸風。(3)3世(1736-83・元文1-天明3) 江戸生れ。2世の弟子。敵役と半道(はんどう)を兼ねたが,三甫右衛門を襲名直後病没した。(4)4世(1779-1822・安永8-文政5) 3世の子。上方で修業し,実悪で認められ,1820年(文政3)江戸に帰って三甫右衛門を襲名したが,大成せずに没した。(5)5世(1798-1861・寛政10-文久1) 4世の子。大坂生れ。4世没後,実悪の立物となり,市川馬十から1847年(弘化4)三甫右衛門を襲名。晩年は敵役の古老として重用された。なお6世は本名を鈴木新助といい,東宝劇団に在籍した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中島三甫右衛門」の意味・わかりやすい解説

中島三甫右衛門
なかじまみほえもん

歌舞伎(かぶき)俳優。6世まであるが、初世、2世が有名。屋号は代々中島屋。

服部幸雄

初世

(?―1762)初め小芝居に出ていたが、1713年(正徳3)以後江戸の大芝居で実悪(じつあく)の名人として活躍した。『暫(しばらく)』のウケなどの公家悪(くげあく)をもっとも得意とし、容貌(ようぼう)の恐ろしさや台詞(せりふ)の鋭さには定評があった。鬚鬘(ひげかずら)や糸鬢(いとびん)は彼の考案したものという。

[服部幸雄]

2世

(1724―82)初世の子。1762年(宝暦12)冬、中島三甫蔵から2世を継いだ。初世同様、公家悪に長じた実悪役者で、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の時平(しへい)は当時天下一品と激賞されている。

[服部幸雄]

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