昭和期の小説家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小説家。朝鮮京城府(現ソウル)生まれ。種々の職業につきながら学び、左翼思想に近づく。1933年(昭和8)ハンセン病(旧称、癩(らい))の発病にあい、自殺を考えるが、翌年東京東村山の全生病院に入院。闘病生活のなかで文学に情熱を傾け、以後彼の作品は、師と仰いでいた川端康成(やすなり)の手で諸雑誌に発表された。とくに『間木(まき)老人』(1935)に次ぐ第二作『いのちの初夜』(1936)が、入院当初の異様な体験を描いて文壇に強い衝撃を与えた。続いて『癩院受胎』(1936)などの小説や随筆を次々に発表、絶えず死と向き合いながら、ハンセン病患者としての自己の宿命を直視し続けたが、37年腸結核により24歳で急逝。
[宗像和重]
『『定本 北条民雄全集』全2巻(1980・東京創元社)』
小説家。ソウル生れ。郷里は徳島県。北条民雄はペンネーム。本名は不詳。小林多喜二らプロレタリア文学の影響を受けた。結婚後,癩(らい)の発病があり離婚して1934年に東京府下の全生病院(現,国立療養所多磨全生園)に入院した。川端康成と通信で知り合い,その斡旋で《間木老人》(1935)を発表した。ついで36年には《いのちの初夜》(原題は《最初の一夜》で,川端が改題した)を発表,文学界賞を受けた。のち《癩院受胎》(1936),《重病室日誌》《望郷歌》(1937),《道化芝居》(1938)などが発表された。特異な環境下に死を凝視しながら生命の叫びをあげる凄絶な世界が展開されている。師の川端に,北条の死を描いた《寒風》(1941)がある。
執筆者:長谷川 泉
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