北畠顕能(読み)キタバタケアキヨシ

デジタル大辞泉 「北畠顕能」の意味・読み・例文・類語

きたばたけ‐あきよし【北畠顕能】

[?~1383]南北朝時代武将親房三男伊勢国守となり、伊勢南軍の総帥

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精選版 日本国語大辞典 「北畠顕能」の意味・読み・例文・類語

きたばたけ‐あきよし【北畠顕能】

  1. 南北朝時代の武将。右大臣伊勢国司。親房の三男。顕家、顕信の弟。伊勢国を本拠とし、父、兄を助けて足利軍と交戦。のち後村上天皇に従って京都にはいったが、足利義詮(よしあきら)に攻められて退き、伊勢国に帰る。弘和三年(一三八三)没。

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朝日日本歴史人物事典 「北畠顕能」の解説

北畠顕能

生年生没年不詳
南北朝時代の武将。北畠親房の3男。ただし次男あるいは養子(中院貞平の子)とする説もある。『太平記』には「中院衛門督顕能」などともみえる。最晩年の父親房を助け,兄顕信と共に,退勢著しい南朝の軍事力の中枢を占めた。暦応1/延元3(1338)年に伊勢守に就任したとされる。観応1/正平5(1350)年以降,足利尊氏・直義兄弟が対立して幕府の屋台骨が揺らぎ,南朝に千載一遇の好機が到来した。文和1/正平7年閏2月,東では新田義宗らが挙兵して鎌倉を奪い,西では顕能,楠木正儀らが奮戦して京都を奪回したが,顕能のそれ以降の行動は知られていない。

(西山克)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北畠顕能」の意味・わかりやすい解説

北畠顕能
きたばたけあきよし

[生]?
[没]弘和3=永徳3(1383).7.
南北朝時代,南朝方の伊勢国司。右大臣。北畠親房の三男。建武2 (1335) 年伊勢国の国司となり,壱志郡多気 (三重県津市) に築城,国司家の祖となった。 (→北畠氏 )

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北畠顕能」の解説

北畠顕能 きたばたけ-あきよし

?-1383 南北朝時代の武将。
北畠親房(ちかふさ)の3男。一説には親房の養子。伊勢(いせ)国司。伊勢(三重県)一志郡(いちしぐん)多気(たげ)城を拠点に,南朝の支柱として北朝方とたたかう。文和(ぶんな)元=正平(しょうへい)7年には京都に攻めいっている。「新葉和歌集」の歌人としても知られた。永徳3=弘和(こうわ)3年7月死去。法名は曇宰。

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