日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田秀雄」の意味・わかりやすい解説
吉田秀雄
よしだひでお
(1903―1963)
株式会社電通第4代社長。日本の広告近代化の功労者。明治36年11月9日、福岡県小倉(こくら)市に生まれる。渡辺勝五郎の二男。14歳のとき素封家吉田一次の養子となる。小倉中学校、旧制第七高等学校を経て、1928年(昭和3)東京帝国大学経済学部卒業。同年4月、日本電報通信社(電通の前称)入社。もっぱら広告営業部門で活躍、早くから頭角を現し、41年2月営業局地方部長、42年6月取締役、同年12月には常務取締役に累進。43~44年にかけて実施された広告代理業の整備統合(186社を12社へ)および新算定基準による新聞広告料金の公定化で中心的役割を果たした。第二次世界大戦後の47年(昭和22)6月、第4代社長に就任。いち早く商業放送に着目してこれを育成するとともに、卓抜な指導力を発揮して広告代理業の合理化や広告活動の国際化を推進し、電通(1955社名変更)発展の基礎を築いた。61年IAA(国際広告協会)の国際広告功労者賞を受賞。昭和38年1月27日、胃癌(いがん)のため死去。
[内川芳美]
『片柳忠男著『広告の中に生きる男』(1959・オリオン社出版部)』▽『片柳忠男著『広告の鬼 吉田秀雄』(1963・オリオン社出版部)』▽『永井龍男著『この人 吉田秀雄』(文春文庫)』