土方巽(読み)ヒジカタタツミ

デジタル大辞泉 「土方巽」の意味・読み・例文・類語

ひじかた‐たつみ〔ひぢかた‐〕【土方巽】

[1928~1986]舞踏家秋田の生まれ。本名元藤九日生もとふじくにお自ら舞踏暗黒舞踏と称し、現代舞踏の新しい分野を切り開いた。作「禁色」「バラ色ダンス」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「土方巽」の解説

土方 巽
ヒジカタ タツミ


職業
舞踏家

本名
元藤 九日生(モトフジ クニオ)

旧名・旧姓
米山

別名
前名=土方 九日生

生年月日
昭和3年 3月9日

出生地
秋田県 南秋田郡旭川村(秋田市)

学歴
秋田工業学校〔昭和22年〕卒

経歴
秋田製鋼に勤務の傍ら、江口隆哉門下の増村克子に師事して踊りを学ぶ。しかし、昭和22年溶鉱炉の爆発で大火傷を負い、長い闘病生活を送る。27年上京し、クラシックバレエやモダンダンスパントマイムを学ぶ。28年安藤三子舞踊公演で初舞台、芸名・土方九日生を名乗る。大野一雄の舞踊に衝撃を受け兄事し、33年現代舞台芸術出演で土方巽に改名。34年体の重心を低くした独自のスタイルの舞踏の出発点となった「禁色(きんじき)」を発表。36年“暗黒舞踏派”を結成、「あんま」「バラ色のダンス」「性愛思懲学指南図絵―トマト」「土方巽と日本人―肉体叛乱」を発表。45年土方巽燔犠大踏鑑を名乗り「ギパサ」などを発表。47年「四季のための二十七晩」で演出・振付・出演を行う。49年からは、東京・目黒のアスベスト館での連続公演などで舞踏独特のスタイルをみがきあげ、日本のアンダーグラウンド芸術の教祖的存在となった。門下から天児牛大芦川羊子麿赤児などを輩出、海外での評価も高かった。細江英公との写真集に「鎌鼬」(44年)、著書に「犬の静脈に嫉妬することから」「病める舞姫」、「土方巽全集」(全2巻)などがある。

没年月日
昭和61年 1月21日 (1986年)

家族
妻=元藤 燁子(舞踏家)

伝記
綺想礼讃Corpus(コルプス)―身体表現批評〈no.4〉特集 土方巽土方巽 絶後の身体暗黒舞踏論舞踏(BUTOH)大全―暗黒と光の王国土方巽の舞踏―肉体のシュルレアリスム身体のオントロジー土方巽を読む―母性とカオスの暗黒舞踏土方巽の方へ―肉体の60年代舞踏の水際土方巽舞踏大鑑―かさぶたとキャラメル器としての身体―土方巽・暗黒舞踏技法へのアプローチ土方巽とともに土方巽頌―「日記」と「引用」に依る美貌の青空 松山 俊太郎 著コルプス(Corpus) 編稲田 奈緒美 著清水 正 著原田 広美 著川崎市岡本太郎美術館,慶応義塾大学アート・センター 編清水 正 著種村 季弘 著中村 文昭 著種村 季弘,鶴岡 善久,元藤 燁子 編三上 賀代 著元藤 燁子 著吉岡 実 著土方 巽 著(発行元 国書刊行会コルプス,書苑新社〔発売〕日本放送出版協会鳥影社現代書館慶応義塾大学出版会鳥影社河出書房新社思潮社悠思社ANZ堂,波書房〔発売〕筑摩書房筑摩書房筑摩書房 ’10’08’08’05’04’04’02’01’00’93’93’90’87’87発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「土方巽」の意味・わかりやすい解説

土方巽
ひじかたたつみ
(1928―1986)

前衛舞踊家。「舞踏」の創始者。秋田県に生まれる。工業学校卒業後、秋田で増村克子(かつこ)に師事し、上京して江口隆哉(たかや)、大野一雄(かずお)らにモダン・ダンスを習う。1959年(昭和34)『禁色(きんじき)』で倒錯したセックスと暴力を主題にして、正統モダン・ダンスと離別。「暗黒舞踏」と称し、肉体の暗部に存在するものに照明をあて、『聖公爵』『あんま』『バラ色ダンス』などを次々に発表し、時代の先端を切り開いた。1968年の『肉体の叛乱(はんらん)』以降、民俗のなかにある人間の身ぶりや風景に関心を抱き、東北歌舞伎(かぶき)『四季のための二十七晩』『静かな家』などを上演。1970年からは東京・目黒のアスベスト館に立てこもり、白桃房(はくとうぼう)を主宰、舞踏手芦川羊子(あしかわようこ)(1947― )を中心にじみながら連続公演を打った。

[市川 雅]

『土方巽著『病める舞姫』(1983・白水社)』『土方巽著『美貌の青空』(1987・筑摩書房)』『アスベスト館監修『土方巽舞踏写真集 危機に立つ肉体』(1987・PARCO出版局)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「土方巽」の意味・わかりやすい解説

土方巽【ひじかたたつみ】

舞踏家。本名米山九日夫(くにお),のち元藤姓となる。秋田市生れ。秋田工業学校卒業後,上京して江口隆哉大野一雄らに師事。1959年全日本芸術舞踊協会新人公演で三島由紀夫の小説にもとづく《禁色》を上演するが,過剰で倒錯的なエロティシズムが非難を受ける。その後肉体に潜む諸相を浮かび上がらせることを目指して〈暗黒舞踏〉を提唱し,《あんま》(1963年),《バラ色ダンス》(1965年)などを上演。《肉体の叛乱》(1968年)以降は日本人の民俗的身振りに着目し,1970年からスタジオ〈アスベスト館〉を舞台に活動。〈舞踏〉の創始者として中心的役割を果たし,芦川羊子,麿赤児らを輩出した。著書に《犬の血管に嫉妬することから》(1976年)などがある。
→関連項目渋沢竜彦中西夏之細江英公横尾忠則

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

20世紀日本人名事典 「土方巽」の解説

土方 巽
ヒジカタ タツミ

昭和期の舞踏家



生年
昭和3(1928)年3月9日

没年
昭和61(1986)年1月21日

出生地
秋田県南秋田郡旭川村(現・秋田市)

本名
元藤 九日生(モトフジ クニオ)

旧姓(旧名)
米山

学歴〔年〕
秋田工業学校〔昭和22年〕卒

経歴
秋田市で江口隆哉門下の増村克子に師事した後、昭和24年上京し、クラシックバレエやモダンダンス、パントマイムを学ぶ。34年体の重心を低くした独自のスタイルの舞踏の出発点となった「禁色(きんじき)」を発表。やがて“暗黒舞踏派”を結成、「あんま」「トマト」「肉体と叛乱」を発表。45年土方巽燔犠大踏鑑を名のり「ギパサ」などを発表。47年「四季のための二十七晩」で演出・振付・出演を行う。その後、東京・目黒のアスベスト館での連続公演などで舞踏独特のスタイルをみがきあげ、日本のアンダーグラウンド芸術の教祖的存在となった。門下から芦川羊子、麿赤児などを輩出、海外での評価も高かった。著書に「犬の静脈に嫉妬することから」「病める舞姫」、「土方巽全集」(全2巻)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土方巽」の意味・わかりやすい解説

土方巽
ひじかたたつみ

[生]1928.3.9. 秋田
[没]1986.1.21. 東京
舞踊家。暗黒舞踏の創始者。本名米山九日生(くにお。のち元藤九日生)。江口隆哉,大野一雄に師事。1950年代後半から独立して公演を始め,『禁色』(1959)以後,暴力的エロチシズムを濃厚にした暗黒舞踏を開始して,ジャン・ジュネロートレアモンなどに取材した作品を発表。次いで日本の民俗的な主題に近づき,民族の暗部にある身ぶりに関心をいだいて,O脚,がにまたなどの身ぶりを用いたうずくまるような動きを舞台で展開してみせた。その頃の代表作に『四季のための二十七晩』(1972),『静かな家』(1973)がある。1974年以後,自身のスタジオ「アスベスト館」で「白桃房」公演と称して,土方振り付け,芦川羊子主演による上演を続けた。門下に麿赤兒(まろあかじ)らがいる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土方巽」の解説

土方巽 ひじかた-たつみ

1928-1986 昭和時代後期の舞踊家。
昭和3年3月9日生まれ。大野一雄らにモダンダンスをならう。昭和34年「禁色(きんじき)」を上演,以後,暗黒舞踏派と称し,エロチシズムと暴力性を強調した作品を発表。芦川羊子らをそだてた。昭和61年1月21日死去。57歳。秋田県出身。秋田工業卒。本名は元藤九日生(くにお)。作品に「四季のための二十七晩」など。著作に「病める舞姫」。
【格言など】舞踏とは命がけでつっ立っている死体である(信条)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「土方巽」の解説

土方 巽 (ひじかた たつみ)

生年月日:1928年3月9日
昭和時代の舞踏家
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android