宇都宮城(読み)ウツノミヤジョウ

デジタル大辞泉 「宇都宮城」の意味・読み・例文・類語

うつのみや‐じょう〔‐ジヤウ〕【宇都宮城】

宇都宮市にあった城。康平6年(1063)、藤原宗円(宇都宮氏祖)が築いたといわれ、近世初頭まで宇都宮氏の居城江戸時代には本多氏奥平氏戸田氏などが在城。亀が岡城

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精選版 日本国語大辞典 「宇都宮城」の意味・読み・例文・類語

うつのみや‐じょう‥ジャウ【宇都宮城】

  1. 栃木県宇都宮市本丸町にあった平山城。康平六年(一〇六三)下野守護職であった藤原宗円の築城といわれる。慶長三年(一五九八蒲生秀行以後徳川譜代の重臣が封ぜられた。戊辰(ぼしん)戦争により焼失。亀ケ岡城。亀井城。唐糸城。→宇都宮騒動

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日本の城がわかる事典 「宇都宮城」の解説

うつのみやじょう【宇都宮城】

栃木県宇都宮市にあった平城(ひらじろ)。かつての宇都宮氏の居城。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった城である。関東七名城の一つ。平安時代に藤原秀郷あるいは藤原宗円が二荒山の南に居館を構えたのがその起源といわれている。藤原宗円はのちの宇都宮氏の祖となった人物である。宇都宮氏は鎌倉時代から安土桃山時代にかけて国司、守護、関東八屋形に列せられた北関東の中心的な武将であった。宇都宮氏は豊臣秀吉との関係も良好で、その所領を安堵されたほか羽柴姓を授かるほどだったが、1597年(慶長2)に突如改易され滅亡した。その後、宇都宮城には蒲生秀行が18万石で、関ヶ原の戦いの後には奥平家昌が10万石で入城、さらに1619年(元和5)には本多正純が15万5000石で入城し、蒲生氏、奥平氏、本多氏の時代にわたって城と城下の整備が進んだ。正純は幕府の意向に従い、天守代わりに2層2階の清明台櫓(せいめいだいやぐら)を設けたが、この城の改修にまつわり謀反の噂が流れ、1622年(元和8)、正純は改易となった(「宇都宮城釣天井事件」)。正純後の城主は奥平氏をはじめ、本多氏、奥平氏、阿部氏、戸田氏、深溝松平氏など次々と入れ替わったが、江戸時代後期に戸田氏が入城して幕末を迎えた。1868年(明治1)の戊辰戦争では戦地の一つ(宇都宮戦争)となり、城の建物や城下の街並みが数多く焼失した。また、1890年(明治23)には城郭が民間に払い下げられ、さらに第二次世界大戦後の都市開発の進行などにより遺構はさらに失われ、今日に至った。現在城跡は宇都宮城址公園として整備され、本丸の一部の土塁が保存されているほか、本丸の土塁、堀の外観が復元され、清明台、富士見櫓、土塀が木造で復元されている。将来、本丸御成御殿、本丸清水門、本丸伊賀門を復元する計画もある。JR東北本線・東北新幹線宇都宮駅から、あるいは東武鉄道宇都宮線東武宇都宮駅からバスで宇都宮市役所下車、徒歩3分。◇亀ヶ岡城とも呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の宇都宮城の言及

【宇都宮[市]】より

…市街の西の大谷は土木・建築用の軟質石灰の大谷石(緑色凝灰岩)の産地で,国指定の特別史跡・重要文化財の大谷磨崖仏,大谷寺岩陰遺跡などが存在する宇都宮県立自然公園がある。【奥田 久】
[宇都宮城下]
 下野国の城下町で徳川譜代の有力大名が配置された北関東の要地。日光道中と奥州道中が分岐する宿駅。…

※「宇都宮城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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