デジタル大辞泉
「宮守」の意味・読み・例文・類語
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みや‐もり【宮守】
- 〘 名詞 〙 宮の番をすること。神社の番をすること。また、その人。神社の番人。神官。〔延喜式(927)〕
- [初出の実例]「神は宜禰が慣らはしとこそ申すに、宮守りひとりもなきことよ」(出典:謡曲・蟻通(1430頃))
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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宮守
みやもり
岩手県南部、上閉伊郡(かみへいぐん)にあった旧村名(宮守村(むら))。現在は遠野(とおの)市の西部を占める地域。1955年(昭和30)達曽部(たつそべ)、鱒沢(ますざわ)の2村を合併。2005年(平成17)遠野市に合併。北上高地(きたかみこうち)に位置し旧村域の80%が山林原野。猿ヶ石(さるがいし)川、宮守川、達曽部川沿いにわずかに耕地が開ける。水耕、畑作のほか松用材、パルプ、薪炭(しんたん)を産出し、タバコやホップの栽培、酪農も行われる。赤沢(あかさわ)高原はツツジの名所。江戸時代から盛岡城下と陸中海岸を結ぶ交通の要地で、現在もJR釜石(かまいし)線、国道107号(盛(さかり)街道)、283号(釜石街道)、396号(遠野街道)が通じる。
[金野靜一]
『『宮守村誌』(1977・宮守村)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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宮守
みやもり
岩手県南東部,遠野市西部の旧村域。北上高地の南部にある。 1955年達曽部村,鱒沢村の2村と合体。 2005年遠野市と合体。地名は近世以来の村名を継承。中心地区の宮守は江戸時代から釜石街道の宿の要所であった。北上高地の丘陵地に位置し,山林原野が大部分を占め,木材,パルプなどを産出。減反政策と過疎化の進行に対し,農業の複合化と観光開発が進められている。ツツジの寺沢高原,鱒沢の簗漁 (→簗 ) ,稲荷穴洞穴などが知られ,湧水を利用したワサビ栽培が行なわれる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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