平教経(読み)タイラノノリツネ

関連語 内乱 両脇

精選版 日本国語大辞典 「平教経」の意味・読み・例文・類語

たいら‐の‐のりつね【平教経】

  1. 平安末期の武将。教盛の子。能登守。寿永二年(一一八三)義仲を水島に破ったのを初め各所奮戦して勇名をあげた。一ノ谷屋島義経を取り逃がし、壇ノ浦合戦の際に入水した。一説に、一ノ谷で討たれたともいう。生没年不詳。

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百科事典マイペディア 「平教経」の意味・わかりやすい解説

平教経【たいらののりつね】

平安末期の武将。生没年不詳。清盛の弟教盛の子。能登守(のとのかみ)。性勇猛,源平の戦に歴戦したが,壇ノ浦の戦では源義経を捕らえようとして失敗源氏の武士2人を抱いて入水(じゅすい)したといわれる。一説に1184年一ノ谷の戦に捕らえられ処刑ともいう。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平教経」の意味・わかりやすい解説

平教経
たいらののりつね

[生]永暦1(1160).京都
[没]文治1(1185).3.24. 長門,壇ノ浦
平安時代末期の武将。能登守,正五位下。中納言教盛の子。初名,国盛。源平の合戦 (→治承の内乱 ) では,水島,一ノ谷,屋島などで奮戦,源氏の軍勢を悩ませた。壇ノ浦の合戦では,源義経と勝敗を決しようとして,義経の軍船を捜し求めて進んだが,義経が逃れたため,敵兵を小脇にかかえたまま入水した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平教経」の解説

平教経 たいらの-のりつね

1160-1185 平安時代後期の武将。
永暦(えいりゃく)元年生まれ。平教盛の子。治承(じしょう)3年能登守(のとのかみ),養和元年北陸道追討副将軍となる。寿永2年一門とともに都落ちして各地転戦元暦(げんりゃく)2年3月24日壇ノ浦の戦いで,源義経を追いまわしたがにげられ,源氏の武士ふたりを両脇にかかえて入水したとつたえられる。26歳。初名は国盛。

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