1185年(文治1)下関(しものせき)市東方の壇之浦で行われた源平最後の海戦。この年2月屋島(やしま)の戦いに敗れた平氏の総帥宗盛(むねもり)らは、長門彦島(ながとひこしま)(下関市)に拠(よ)る平知盛(とももり)の軍と合体、九州の源範頼(のりより)軍に背後を牽制(けんせい)されつつも、500余艘(そう)の兵船をもって、源義経(よしつね)率いる840余隻の船団を迎撃せんとした。3月24日正午開戦、初めは東進する潮流にのった平氏方が有利だったが途中から逆潮となり、午後4時ごろ平氏軍の敗北・滅亡が決定、と解するのが通説である。しかし、開・終戦時刻、したがって潮流の戦闘に及ぼした影響などについては異論もある。安徳(あんとく)天皇は海底に没し、一族のほとんども失命したが、建礼門院(けんれいもんいん)は救助され、宗盛父子は生け捕りののち斬(き)られた。
[杉橋隆夫]
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新