屋島の戦い(読み)ヤシマノタタカイ

デジタル大辞泉 「屋島の戦い」の意味・読み・例文・類語

やしま‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【屋島の戦い】

文治元年(1185)屋島で行われた源平合戦一ノ谷の戦いに敗れて屋島に逃れた平氏は、この戦い源義経らに再び敗れ、海上長門壇ノ浦に逃れた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「屋島の戦い」の意味・わかりやすい解説

屋島の戦い
やしまのたたかい

1185年(文治1)2月、讃岐(さぬき)国屋島(高松市)で行われた源平の合戦。平氏一門は、1年前に一ノ谷の戦いで敗れはしたが、なお瀬戸内一帯の制海権を温存していた。そのため山陽道を進んだ源範頼(のりより)麾下(きか)の源氏軍に戦果乏しく、鎌倉の源頼朝(よりとも)は再度源義経(よしつね)を登用、敵の本営屋島を衝(つ)かせることとした。義経は2月18日未明、暴風に乗じて摂津渡辺(大阪市浪速(なにわ)区)を解纜(かいらん)、同日早朝阿波勝浦(あわかつうら)(徳島市)に上陸(発着日等に異説がある)、19日には一気に屋島を攻略した。21日平氏軍はいったん志度浦(しどうら)(香川県さぬき市)に退いたのち、海上を長門(ながと)に逃れた。これを契機として、熊野(くまの)、河野(こうの)などの有力水軍の参加を得た源氏軍は、平氏方より制海権を奪取、きたるべき壇ノ浦の海上決戦に備えることとなった。

[杉橋隆夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「屋島の戦い」の意味・わかりやすい解説

屋島の戦い
やしまのたたかい

元暦2(1185)年2月19日に行なわれた讃岐屋島での源平合戦(→治承の内乱)。京都を逃れた平家を追討するため,摂津渡辺から暴風雨をおかして阿波椿浦に渡った源義経は,屋島に布陣する平家を襲いこれを破った。この戦いで平家の内海制圧は破れ,また那須与一の扇を射る話や義経の弓流しの話が生まれた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「屋島の戦い」の解説

屋島の戦い
やしまのたたかい

1185年,讃岐国屋島で行われた源平合戦
一の谷の戦いに敗れた平氏は屋島を本拠とし,瀬戸内海海上権を握ったので,源義経が風波をおかして攻め,激戦の末,平氏を敗走させた。

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