鎌倉初期の武将。陸奥国(むつのくに)信夫庄司元治(しのぶのしょうじもとはる)の子で忠信(ただのぶ)の兄。湯庄司(ゆしょうじ)とよばれた。源義経(よしつね)の乳母子(めのとご)で、かつその臣。義経が奥州藤原秀衡(ひでひら)の下にあったころよりこれに仕え、弟忠信、鎌田盛政(もりまさ)・光政(みつまさ)とともに義経四天王の一人に数えられた。元暦(げんりゃく)2年(寿永4)2月19日の屋島(やしま)(香川県高松市)の戦いに際し、平家の勇将能登守教経(のとのかみのりつね)の強弓から義経を守り、その矢面に立って戦死した。死後、屋島に近い牟礼(むれ)の林に埋葬された。
[鈴木国弘]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(伊藤喜良)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新