日本大百科全書(ニッポニカ) 「徳川義親」の意味・わかりやすい解説
徳川義親
とくがわよしちか
(1886―1976)
近代の大名華族。東京生まれ。実父は幕末維新に活躍した越前福井藩主の松平慶永(よしなが)。敗戦後に最期の宮内大臣をつとめた松平慶民(よしたみ)は実兄。1908年(明治41)に尾張徳川侯爵家の養子となる。東京帝国大学を卒業し、徳川生物学研究所や徳川林政史研究所を設置。狩猟が趣味で北海道の熊狩りやマレー半島での虎狩りなどを好む。「理財の殿様」としても知られ、家政の合理化を進めて徳川黎明会を設立し、『源氏物語絵巻』など尾張家伝来の古書や家宝類の散逸を防いだ。1931年(昭和6)、三月事件のクーデター決行資金を提供し、その後も軍部の革新派や南方進出をめざす石原広一郎らと連携し、反英運動を行った。太平洋戦争開始後にシンガポールに赴任し、南方軍政顧問や昭南博物館長を務めた。戦後は、日本社会党結成に関与し、東京裁判では三月事件の証人となった。公職追放解除後、名古屋市長選に立候補するも落選。
[小田部雄次]
『徳川義親著『最後の殿様――徳川義親自伝』(1973・講談社)』▽『中野雅夫著『革命は芸術なり――徳川義親の生涯』(1977・学芸書林)』▽『小田部雄次著『徳川義親の十五年戦争』(1988・青木書店)』