中国,中唐の詩人。字は長吉,ために李長吉ともいう。福昌(河南省宜陽県)の人。10代にして韓愈に詩才を認められて科挙を目ざしたが,韓愈の推薦にもかかわらず,反感を抱く者たちに受験をはばまれ,失意のうちに帰郷した。以後中央官界への道は閉ざされ,一時微官を得たこともあるが,27歳で夭折した。その詩人としての生活は,朝に驢馬にまたがって外出し,佳句を得ては錦の袋に入れ,夕刻帰宅して完成させるのが日課だったという。〈鬼才〉とよばれ,中国の詩史上特異な存在であり,しばしばフランスの象徴派詩人に比べられてきた。その詩は李賀みずからが愛読書と明言する《楚辞》とおなじく,しばしば超現実の世界を歌う。おのおのの詩句は孤立性が強く,特異な比喩を用い,新しい造語も多い。また強烈な色彩感覚を特徴とする。後世への影響もかなり大きく,なかでも晩唐の詩人李商隠はその作品および人物に対してひかれるところが多く,みごとな詩人伝〈李賀小伝〉を書いた。近代では,清末のロマンティックな革命家譚嗣同,そして魯迅,毛沢東らが李賀にひかれた人々であった。《李賀歌詩編》4巻が伝わる。
執筆者:荒井 健
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中国、中唐の幻想詩人。字(あざな)は長吉(ちょうきつ)。昌谷(しょうこく)(河南省)の中小地主の出身。20歳のとき、彼の才を認めた韓愈(かんゆ)の推薦を得て進士の試験に臨んだが、父の名晋粛(しんしゅく)の晋と進士の進が同音だから受験を遠慮せよとの説が出て、官途を断念せざるをえなかった。その詩は絢爛(けんらん)と凄絶(せいぜつ)を兼ね合わせた幻想の世界を得意とし、作風はペシミズムとデカダンスに塗り込められて暗い。美女の亡霊、深山の妖(あや)かし、墓前の鬼火などを好んで詩題としたため、後世の批評家から「鬼才絶」(冥界(めいかい)の異能力者)と称されるに至った。わずか27歳で夭逝(ようせい)したが、そのとき「天帝が白玉の高楼を建てた祝いに、詩を作らせようと私をお召しになる」と母に告げたという。ここから文人の死を「白玉楼中の人となる」との成語を生んだ。『李長吉歌詩』四巻がある。
[野口一雄]
『荒井健注『中国詩人選集14 李賀』(1959・岩波書店)』▽『斎藤晌著『漢詩大系13 李賀』(1967・集英社)』
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…韓愈を中心とするグループには異色の詩人がいた。異様な幻想美の世界を作り出した短命の詩人李賀の〈鬼才〉を発見し賞賛したのは彼であったという。韓愈と白居易の時代(およそ766‐835)は中唐とよばれ,それ以後(唐の滅亡の年907まで)を晩唐とよぶ。…
…韓愈の詩の評価が後になるほど高くなることは杜甫にやや似るが,日本ではいっそう遅れる。彼のグループの若き鬼才李賀は異常な感覚をもって新しい美の世界をひらいたが,その認識と鑑賞はさらに遅れ,江戸時代の末に詩集が翻刻されて初めて全貌が知られるようになる。 晩唐(836ころ‐907)の傑出した詩人は杜牧と李商隠で,杜牧は軽快な筆致の詩を作ったが,李商隠の恋愛を主題とし象徴的手法を用いた七言律詩は,李賀とも異なった美の世界を立てた。…
※「李賀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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