朝日日本歴史人物事典 「栗崎道喜(初代)」の解説
栗崎道喜(初代)
生年:天正10?(1582)
江戸前期の外科医。肥後国栗崎村(宇土市栗崎町)生まれ。幼名は歌之助,名は正元。幼くして長崎に出,南蛮人によって海外(マカオともルソンともいわれる)に連れ去られ外科術を修得。のち帰国して長崎で医業を開き,南蛮外科栗崎流の開祖となった。伝記には諸説があるが,帰国に際して官辺に日本素性を立証するために「高砂」の謡の一節をうたったなどの逸話が伝わる。長崎で没し,寺町東林山深崇寺に葬られた。長子の正勝(1622~98)が2代道喜を襲名,越前(福井)藩に仕えた。<参考文献>竹内真一「南蛮外科栗崎家系譜と越前栗崎家」(『若越郷土研究』14巻2号)
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報