桜村(読み)さくらむら

日本歴史地名大系 「桜村」の解説

桜村
さくらむら

[現在地名]箕面市桜一―六丁目・桜(さくら)ヶ丘(おか)二丁目など

新稲(にいな)村の南東にある。村内を箕面川が南流し、集落はその左岸にある。中世末には牧之庄(まきのしよう)(牧村)のうち。豊島(てしま)郡に属する。文禄検地頃は豊臣秀吉に仕えた青木法印の知行地(中井家文書)。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図に村名がみえ、牧之庄のほか三ヵ村と合せて高一千四八九石余。元和初年の摂津一国高御改帳では桜村九〇石が幕府領(村上孫左衛門預)。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳では石高二三八石余のうち一四一石余が旗本青木次郎右衛門領(幕末に至る)、九六石余が武蔵国岩槻藩主で大坂城代の阿部正次領(寛永三年から)。「寛文朱印留」によれば村内の一部が上総国飯野藩保科正景領となっており(慶安元年から)、幕末に至る。


桜村
さくらむら

[現在地名]長野市芋井 桜

東は新安(あらやす)村と耕地で境し、北は泉(いずみ)平長野市(だいら)村と耕地で境し、西は上(あ)ヶ屋(や)と谷間で境し、南は裾花(すそばな)川にのぞんでいる。村名の初見は慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)で、「四百弐拾弐石八升四合 桜村」とある。

天正六年(一五七八)の諏訪社下社の下諏訪秋宮造宮帳(諏訪大社上社文書)に、「秋宮外之籬拾壱間造宮、山一族衆之内。慶長領中広瀬之庄七郷之役銭ニ而立之」として他郷と並んで「合壱貫七百文 桜之郷分」とあるように弘瀬庄七郷の一で、室町時代には土豪落合氏の領するところであった。


桜村
さくらむら

[現在地名]南区才仙(さいせん)町・桜台(さくらだい)町・元桜田(もとさくらだ)町・霞(かすみ)町・扇田(おうぎだ)町・桜本(さくらほん)町・若草(わかくさ)町・明円(みようえん)町・鶴里(つるさと)町・中江(なかえ)町・鯛取(たいとり)通

東は天白(てんぱく)川、南は笠寺(かさでら)村に接し、西を塩付(しおつけ)街道が通る。「徇行記」によれば、田は三二町三畝余、畑は四二町七反一畝余。概高一千一四三石余のうち一千一一二石余は藩士二四人の給知。


桜村
さくらむら

[現在地名]建部町桜

旭川に注ぐ桜川の上流の谷間に広がり、東は中田(なかだ)村、西は紙工(しとり)三ヵ村(現御津町)、南は西原(にしばら)村、北は田地子(たじこ)村と接し、村中を備中足守(あしもり)(現岡山市)への道が通る。津高(つだか)郡に属し、寛永備前国絵図に高三八〇石余とある。貞享元年(一六八四)の津高郡高目録(池田家文庫)では残高四一八石余、ほかに開高一二石余。「備陽記」によると田畠二七町九反余、家数七五・人数五四三、池一〇、育麦蔵一。文化年間の「岡山藩領手鑑」によれば直高五八八石余で蔵入地、田高二八五石余・一八町五反余、畑高九九石余・一一町二反余、開高一五石余・二町五反余、御藪三町七反余、百姓林二四町九反余、池一五、樋守給一石三斗五升、井関三七、用水懸樋二、家数九七・人数四二七、牛五七・預馬一、桶屋二、猟師鉄砲八。


桜村
さくらむら

[現在地名]秋田市下北手桜(しもきたてさくら)

北を太平(たいへい)川が西流し、対岸は広面(ひろおもて)村。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡御蔵入目録写(秋田家文書)に「もゝ崎村・さくら村」とみえる。また慶長六年(一六〇一)の秋田実季侍分限(秋田家文書)の豊島(としま)庄の内に、さくら村とある。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に、桜村二三軒、支郷は細谷(ほそや)村六軒、横森(よこもり)村一〇軒と記す。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には一九二石とあるが、寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳では当高四二三石余と急増する。


桜村
さくらむら

面積:三四・九五平方キロ

郡の南西部に位置する。北東は桜川を隔てて新治村、東南は土浦市、西は筑波郡谷田部(やたべ)町、北西は同郡大穂(おおほ)町に接する。桜川と並行して村のほぼ中央に花室(はなむろ)川が流れるが、地勢はおおむね平坦で、東部低地には一面に水田が広がり、西部の台地には平地林に囲まれた畑地が広く分布する。南北に長い純農村で、米・野菜・果樹・畜産・養蚕・煙草が生産され、トマト・胡瓜などのハウス園芸、花卉栽培も盛んである。昭和三八年(一九六三)筑波研究学園都市建設が決定し、当村西部の約九〇〇ヘクタール、村域の約四割が研究学園都市地域に指定された結果、高密度な都市開発が行われ、研究学園都市の中心地域として著しい変貌を遂げつつある。


桜村
さくらむら

[現在地名]倉吉市桜

河来見(かわくるみ)村の東方、同村から国府(こう)川を下ったところに位置し、東下流は服部(はつとり)村。村名は当地にある大日(だいにち)寺の山号桜山に由来するという。拝領高は二三一石余、本免五ツ一分。山崎氏の給地(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高二五〇石余、竈数三〇余。牛頭天王(現桜神社)を祀っていた。幕末の六郡郷村生高竈付では生高二八六石余、竈数三〇。藪役銀五五匁を課されていた(藩史)。


桜村
さくらむら

[現在地名]福崎町高岡(たかおか)

長野(ながの)村の北、山崎(やまさき)村の西に位置し、七種(なぐさ)川流域に立地する。神西(じんさい)郡に属する。天正二年(一五七四)一二月五日の二郎五郎・太郎右衛門連署売場売券案(芥田文書)に「さくら」とみえ、当地などの鋳物品売場の権利を野里(のざと)村(現姫路市)の与次が買得している。慶長国絵図に「さくら村」とみえるが、江戸時代初期には長野村に含まれた(正保郷帳)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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