動物学者。江戸に生まれ、1882年(明治15)東京大学理学部動物学科を卒業。翌1883年同大学助教授。ドイツに3年間留学して、「生殖質説」で有名なワイスマンに師事。帰国後は帝国大学理科大学助教授を経て、1890~1924年、同農科大学教授。多くの水産動物の生殖・発生・細胞学、ホタルイカの発光など広範囲にわたる研究を行い、また、琵琶(びわ)湖産のコアユを多摩川に移殖して、普通のアユと同様に成長することを実証し、今日広く行われている同魚の移殖放流事業の基礎を固めた。とくに、若いころから進化論に興味をもち、大学での恩師モースの講義筆記を『動物進化論』として訳出(1883)し、その後『進化新論』(1891)、『人間の進化』、『アメーバから人間まで』などの著作を発表、進化論の普及に努め、あわせて多くの著述、講演により生物学的知識の解説・啓蒙(けいもう)に尽くした。学会出席のため台北へ出張中、同地で病死。
[日比谷京]
『『石川千代松全集』全10巻(1935~1936・興文社)』
明治〜昭和期の生物学者 東京帝国大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
動物学者。江戸の旗本の子として生まれる。東京大学理学部動物学科を卒業(1882)。学生のころ初代の動物学教授となったアメリカのE.S.モースの影響を受け,進化論に関心を示す。1883年モースの講義をまとめた《動物進化論》を著したのを手始めに進化論の啓蒙活動を行う。84年ドイツに留学,A.ワイスマンに師事し,師の生殖質連続説や進化理論に強く影響される。91年に著した《進化新論》にはそれがよく現れている。帰朝後,東京大学理学部助教授,農学部教授となる。進化論以外では細胞学,発生学に貢献。上野動物園史上にも重要な役割をはたした。《動物学講義》《石川大動物学》などの著書がある。
執筆者:鈴木 善次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1860.1.8~1935.1.17
明治~昭和前期の動物学者。江戸生れ。東大卒。在学中にモースの影響で進化論に共鳴し,1883年(明治16)モースの講義を翻訳出版し進化論を紹介。ドイツ留学後,帝国大学教授として動物学を担当。また東京帝室博物館館長。細胞学・発生学・実験形態学を専攻したが,さまざまな生物の受精現象の研究はとくに有名。動物園の設立にも努めた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…明治時代に入り,松森胤保(たねやす)《求理私言》(1875)に進化のことが書かれたが,進化論の最初の体系的な紹介は1878年に東京大学動物学教授として来日したアメリカ人E.S.モースによってなされた。その講義はのち石川千代松訳《動物進化論》(1883)として刊行された。石川は《進化新論》(1891)を,丘浅次郎は《進化論講話》(1904)にはじまる多数の著作を書き,進化論を普及させた。…
… 琵琶湖や鹿児島県の池田湖には,河川のアユのようには大きくならないコアユが生息しており,古くは普通のアユとは別種と思われていた。しかし,石川千代松は両者は同種であり,コアユが大きくならないのは餌が足りないなど湖の環境条件のせいであると考え,これを証明するため,1909年に琵琶湖の西北岸にあった知内養魚場の池でコアユを人工飼料で飼育し,秋までに最大体長30cmに成長させることに成功した。これが現在広く行われているコアユを種苗とするアユの養殖や河川放流のもととなった。…
※「石川千代松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新