秋月藩(読み)あきづきはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「秋月藩」の意味・わかりやすい解説

秋月藩
あきづきはん

筑前(ちくぜん)国夜須(やす)郡秋月福岡県朝倉(あさくら)市)を藩庁とした藩。藩主黒田氏外様(とざま)。福岡藩支藩。1623年(元和9)初代福岡藩主黒田長政(ながまさ)の三男長興(ながおき)が、長政の遺言に基づき、筑前国夜須、下座(げざ)、嘉麻(かま)3郡のうちに55か村5万石を分与されたのに始まる。1636年(寛永13)下座郡の7か村を福岡藩領の穂波(ほなみ)郡2か村、夜須郡1か村と交換した(御内証替(ごないしょがえ))。家臣団編成、領内支配組織など藩の諸制度はほぼ本藩の福岡藩に準じていたが、1811年(文化8)の政変後は、本藩の直接的な藩政への介入によってさらにその度合いを強めた。領内の特産品としては元結(もとゆい)、寿泉苔(じゅせんたい)(川海苔(かわのり))、葛粉(くずこ)、木蝋(もくろう)などがあった。長興のあと長重、長軌(ながのり)、長貞(ながさだ)、長邦(ながくに)、長恵(ながよし)、長堅(ながかた)、長舒(ながのぶ)、長韶(ながつぐ)、長元、長義、長徳(ながのり)と12代続き、1871年(明治4)7月長徳のとき廃藩、秋月県となり、同年11月福岡県に統合された。

 なお、日向(ひゅうが)高鍋(たかなべ)藩(秋月氏)をまれに秋月藩とよぶことがある。

[柴多一雄]

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藩名・旧国名がわかる事典 「秋月藩」の解説

あきづきはん【秋月藩】

江戸時代筑前(ちくぜん)国夜須(やす)郡秋月(現、福岡県朝倉市秋月)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。福岡藩の支藩。藩校は稽古館(けいこかん)。福岡藩初代藩主の黒田長政(ながまさ)の遺言により、1623年(元和(げんな)9)、その3男の長興(ながおき)が5万石を分与されて秋月藩が成立した。筑前国のうち夜須郡、下座(げざ)郡、嘉麻(かま)郡の55ヵ村を領有。長興は1624年(寛永(かんえい)1)当地に入り、兄忠之(ただゆき)の本藩によって江戸参府を妨害されたものの、翌年ひそかに江戸に上って3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)謁見(えっけん)、朱印状を与えられた。以降明治維新まで12代続いた。1775年(安永4)に藩校の稽古亭(のち稽古館)を開設。1785年(天明(てんめい)5)から本藩に代わって長崎警衛に当たり、幕末には佐幕派の立場をとった。特産品は元結(もとゆい)、紙、葛粉(くずこ)、木蝋(もくろう)、陶器など。1871年(明治4)の廃藩置県で秋月県となり、1876年(明治9)福岡県に編入された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「秋月藩」の意味・わかりやすい解説

秋月藩
あきづきはん

江戸時代,筑前国 (福岡県) 夜須郡地方を領した外様小藩。元和9 (1623) 年福岡藩主黒田長政の次男長興が5万石の分知を受けて立藩,廃藩置県にいたる。江戸城柳間詰。また江戸時代,日向国 (宮崎県) 児湯郡高鍋地方を領有した秋月氏の所領 (→高鍋藩 ) をもいう。

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デジタル大辞泉プラス 「秋月藩」の解説

秋月藩〔筑前国〕

筑前国、秋月(現:福岡県朝倉市)を本拠地とした外様の中藩。福岡藩の支藩。黒田長政(ながまさ)の3男長興(ながおき)が遺言により5万石の分知を受け立藩。以後幕末まで12代にわたり黒田氏が藩主をつとめた。

秋月藩〔日向国〕

日向国、高鍋(現:宮崎県児湯郡高鍋町)を本拠地とした高鍋藩の別称。藩主、秋月氏の名にちなむ。

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