西川祐信(読み)ニシカワスケノブ

デジタル大辞泉 「西川祐信」の意味・読み・例文・類語

にしかわ‐すけのぶ〔にしかは‐〕【西川祐信】

[1671~1750]江戸中期の浮世絵師京都の人。号、自得叟・文華堂など。西川派の祖。初め狩野派学び、さらに大和絵画法を会得し、折衷した画風確立。肉筆美人画を得意とした。また、絵本作家として浮世草子挿絵多数描いた。

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精選版 日本国語大辞典 「西川祐信」の意味・読み・例文・類語

にしかわ‐すけのぶ【西川祐信】

  1. 江戸中期の浮世絵師。京都の人。号は文華堂・自得叟。はじめ狩野・土佐の二派に学び、さらに菱川師宣らの江戸浮世絵の画風を取り入れて一派を成し、絵本作家として活躍。肉筆美人画にもすぐれ、江戸の浮世絵師に大きな影響を与えた。代表作は「女性風俗絵本」「百人女郎品定」。寛文一一~寛延三年(一六七一‐一七五〇

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改訂新版 世界大百科事典 「西川祐信」の意味・わかりやすい解説

西川祐信 (にしかわすけのぶ)
生没年:1671-1750(寛文11-寛延3)

江戸中期,京都の浮世絵師。元禄年間(1688-1704)の後期から没年まで半世紀をこえる長期間,木版絵本,挿絵本への作画や肉筆画の制作に活躍した。幼名庄七郎。通称宇右衛門,祐易,右京。号は自得叟,自得斎,文華堂。京都柳馬場綾小路下ルに居住した。はじめ八文字屋本の挿絵画家として出発,1723年(享保8)に女性風俗絵本《百人女郎品定》を刊行して好評を博し,以後多数の絵本を発表した。優麗な肉筆美人画にもすぐれ,上方浮世絵界の第一人者として重きをなした。42年(寛保2)刊の《絵本倭比事》に独自の絵画論を展開している。子の祐尹(すけただ)が作風を受けついだが,奥村政信,鈴木春信ら江戸の浮世絵師が間接的ながら強い影響を受けている。代表作に《絵本玉かつら》(1726),《絵本千代見草》(1740),肉筆画《柱時計と美人図》(東京国立博物館)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西川祐信」の意味・わかりやすい解説

西川祐信
にしかわすけのぶ
(1671―1750)

江戸中期の京都の浮世絵師。上方(かみがた)浮世絵の前半期を代表する美人風俗画家で、幼名庄七郎(しょうしちろう)、俗称宇右衛門(うえもん)。西園寺致季公の御家人(ごけにん)となり右京と称す。号は自得叟(じとくそう)、自得斎、文華堂。狩野永納(かのうえいのう)および土佐光祐(みつすけ)に学んだといわれ、加えて菱川師宣(ひしかわもろのぶ)、吉田半兵衛風などを摂取して、写実を基礎とした豊麗にして品格のある女性表現に新様を打ち出し一流をなした。すでに1699年(元禄12)ごろから八文字屋本の挿絵画家として活躍、1723年(享保8)刊の『百人女郎品定(ひゃくにんじょろうしなさだめ)』を機に絵本中心に作画し、60種を超える絵本を刊行、奥村政信(まさのぶ)、鈴木春信(はるのぶ)など江戸の浮世絵師にも多大の影響を及ぼした。代表作は『絵本常盤草(ときわぐさ)』(1731)、『宮詣(みやもうで)図』(1幅、ワシントンフリーア美術館)、肉筆画『柱時計と美人図』(1幅、2種、東京国立博物館ほか)などがある。

[浅野秀剛]


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朝日日本歴史人物事典 「西川祐信」の解説

西川祐信

没年:寛延3.7.19(1750.8.20)
生年:寛文11(1671)
江戸中期の京都の浮世絵師で,上方浮世絵の前半期を代表する美人風俗画家。俗称宇右衛門。自得叟,自得斎,文華堂などの号を持つ。西園寺致季公の御家人となり右京と称した。画技は狩野永納および土佐光祐に学んだと伝える。初作と推定されている『役者口三味線』(1699)を皮切りに八文字屋本の挿絵画家として活躍。それまで京の挿絵の主流であった吉田半兵衛,蒔絵師源三郎様式に,菱川師宣に代表される江戸風を摂取・加味し,写実を基礎とした豊麗で品格のある女性表現をうち出し世に迎えられた。同時期に多数の絵本・絵入本を刊行した大森善清が正徳期(1711~16)で作画を停止したのちは,上方において第一人者の地位を確立,『百人女郎品定』(1723)をはじめとする絵本を次々と刊行,その数は60種を超える。肉筆画にも多くの名品を遺しているが普通の版画(一枚絵)はない。鈴木春信など江戸の浮世絵師にも多大な影響をおよぼした。

(浅野秀剛)

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百科事典マイペディア 「西川祐信」の意味・わかりやすい解説

西川祐信【にしかわすけのぶ】

浮世絵師。京都の人。俗称を祐易のち右京,号は文華堂など。狩野派土佐派を学んだのち浮世絵に転向,肉筆美人画や墨摺の絵本さし絵を制作,優雅な美人画様式で京都の浮世絵を代表し,江戸の浮世絵界にも影響を及ぼした。代表作に《絵本百人女郎品定》《絵本倭比事》など。
→関連項目鈴木春信

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西川祐信」の意味・わかりやすい解説

西川祐信
にしかわすけのぶ

[生]寛文11(1671).京都
[没]寛延3(1750).7.19. 京都
江戸時代中期の京都の浮世絵師。名は祐助,孫右衛門のち右京。号は自得斎,文華堂など。狩野派や土佐派を学び,肉筆浮世絵や百数十種の絵本を描く。享保以降の江戸の浮世絵 (鈴木春信ら) に影響を与えた『絵本倭比事』 (1742) の付録『画法彩色法』は,画論として有名。主要作品『柱時計と美人図』 (東京国立博物館) ,『百人女郎品定』 (23) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西川祐信」の解説

西川祐信 にしかわ-すけのぶ

1671-1750 江戸時代中期の浮世絵師。
寛文11年生まれ。京都の人。狩野永納(かのう-えいのう)らにまなんだという。挿絵画家として「百人女郎品定(しなさだめ)」などおおくの絵本に作画し,肉筆美人画にもすぐれた。鈴木春信ら江戸の浮世絵師におおきな影響をあたえた。寛延3年7月19日死去。80歳。通称は宇右衛門。号は自得叟,文華堂など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「西川祐信」の解説

西川祐信
にしかわすけのぶ

1671〜1750
江戸中期の浮世絵師
京都の人。狩野派・土佐派を学び,さらに菱川師宣 (もろのぶ) の画風をとり入れて美人画に長じ,京坂浮世絵界の第一人者となった。代表作に『役者口三味線』『絵本浅香山』など。

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世界大百科事典(旧版)内の西川祐信の言及

【浮世絵】より

…紅摺絵期の宝暦年間は,美人画の石川豊信,役者絵の鳥居清満(1735‐85)が全盛で,俳趣の濃い詩的な風俗表現が好まれた。京都の風俗画家西川祐信の作風が慕われ,その影響が明らかに認められるようになるのも,このころからである。
[中期]
 1765年(明和2)の錦絵の創始は,その発端となった絵暦交換会で中心的な働きをした鈴木春信を,一躍浮世絵界随一の人気絵師に仕立て上げた。…

【しり(尻∥臀)】より

…ビクトリア朝のころ流行した腰当て(バスルbustle)は,高くくびれた腰の下でコイ・コインの女性にみられる脂臀のような盛上がりを衣装につくっていた。ブラントームがスペイン女性の30の美点の中に太い尻をあげている(《艶婦伝》)のは同じ美意識からであり,西川祐信が《百人美女》で女性の32の美点の一つとして顚(くうてん)臀相(軟らかい丘のような尻)とだけいっているのと対照的である。美術作品では,ダリの《ウィルヘルム・テルの謎》は異様に伸びた右の尻が奇怪な想像を引き出し,E.フックスの《スフィンクス・カリピゴスII》の尻は幻想的なエロスを醸し出している。…

※「西川祐信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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