「アドリアノープル」の検索結果

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テオフィロス Theophilos 生没年:?-412

改訂新版 世界大百科事典
アレクサンドリア大司教。在位385-412年。セラピス神殿破壊など,エジプトの異教勢力を精力的に攻撃し,また帝都の司教として急台頭してきたコンスタ…

シメオン1世(シメオンいっせい) Simeon Ⅰ

山川 世界史小辞典 改訂新版
864~927(在位913~927)ブルガリアの公(在位893~913),皇帝。864年キリスト教を受容した公ボリス1世(在位852~889)の第3子。コンスタンティノープル…

24000回のキッス

デジタル大辞泉プラス
イタリアのロック・シンガー/俳優、アドリアノ・チェレンターノのヒット曲。1961年のサンレモ音楽祭で歌って第2位となった。原題《24000 Baci》。

総大司教 そうだいしきょう patriarcha

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
カトリック教会用語。東方正教会では総主教。原語は族長を意味するが,のち教会行政上の格式ないし称号として重要な教会の司教に与えられた。 325年…

アンチオキア Antiocheia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
古代シリア,オロンテス川の南側にあった町。今日のトルコ南部アンタキア Antakya。前4世紀末にセレウコス朝シリアの始祖セレウコス1世によって建設…

ペチェネグ Pecheneg

改訂新版 世界大百科事典
8~13世紀に活動したトルコ系遊牧民族。8世紀にはアルタイ山脈,バルハシ湖方面,9世紀にはボルガ,ウラル両川の河間地帯に居住したが,889年東方か…

オルロフ Orlov, Aleksei Fëdorovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1786.10.19. モスクワ[没]1861.5.21. ペテルブルグロシアの軍人,政治家,外交官。 G.G.オルロフの甥。 1805~07年の対ナポレオン戦争,12年の祖…

アリウス Arius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]250頃.リビア[没]336. コンスタンチノープルアリウス派の創始者。アレイオス Areiosとも呼ばれる。アレクサンドリア教会の司祭であったが,イエ…

ディオスコロス Dioskoros 生没年:?-454

改訂新版 世界大百科事典
アレクサンドリア主教。在位444-451年。単性論派分離の立役者。コンスタンティノープルのエウテュケスがキリストの人性とふつうの人間の人性とは異な…

アリウス Arius

山川 世界史小辞典 改訂新版
250?~336?古代キリスト教の異端者。アリウス派の祖。リビアの人。アレクサンドリア教会の長老となったが,さきにアンティオキアの神学者ルキアノ…

クリュソストモス

百科事典マイペディア
ギリシア教父,聖書学者,聖人。コンスタンティノープル主教。名は〈金の口〉の意で,説教の巧みさによる。聖書の比喩的解釈を斥け,字義的解釈を主…

パレオロゴス朝 パレオロゴスちょう Palaeologi; the Dynasty of Palaeologus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ビザンチン帝国最後の王朝(1261~1453)。パレオログス朝とも呼ばれる。1261年8月ニカイア帝国のミカエル8世がラテン帝国の首都となったコンスタン…

ギリシア独立戦争(ギリシアどくりつせんそう) Elliniki Epanastasi

山川 世界史小辞典 改訂新版
オスマン帝国からのギリシアの独立をめざした戦争。1821年3月フィリキ・エテリアの総司令官A.イプシランディスのモルドヴァ,ワラキア両公国への進軍…

ダーダネルス海峡 だーだねるすかいきょう Dardanelles

日本大百科全書(ニッポニカ)
エーゲ海とマルマラ海の間にある海峡。ボスポラス海峡とともにアジアとヨーロッパを分かつ海峡で、古くからの交通の要衝である。長さ61キロメートル…

ラテン帝国 (ラテンていこく)

改訂新版 世界大百科事典
第4回十字軍とベネチアが,〈ローマニア(ビザンティン帝国支配領域)分割協定〉(1204年3月)に基づき,コンスタンティノープル攻略(1204年4月)後…

パレオロゴス朝 ぱれおろごすちょう

日本大百科全書(ニッポニカ)
ビザンティン帝国最後の王朝(1261~1453)。旧ビザンティン帝国の亡命政権であるニカイア帝国の皇帝ミハイル8世パレオロゴスPalaeologos(在位1259…

キュリロス(アレクサンドリアの) Kyrillos 生没年:?-444

改訂新版 世界大百科事典
アレクサンドリア主教。ネストリウスの教説を異端として弾劾するのに成功した。412年,叔父テオフィロスの後任としてアレクサンドリア主教に就任,さ…

ゴート人 ゴートじん Gothi; Gothen; Goths

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ゲルマン民族の一部族。定住地ウィスワ川河口から 2世紀後半に黒海方面へ移動を始め,黒海北部 (今日のウクライナ) に居住したものを東ゴート人,黒…

アドリア‐かい【アドリア海】

精選版 日本国語大辞典
( アドリアはAdria ) 地中海北部の海。イタリア半島とバルカン半島に囲まれた細長い入り海。沿岸にベネチア、トリエステなどの都市がある。

コンスタンチノープル総大主教 コンスタンチノープルそうだいしゅきょう Patriarch of Constantinople

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
総大主教 (総主教ともいう) の名は5世紀以後,ローマ,アレクサンドリア,アンチオキア,コンスタンチノープル,エルサレムの五大主教に与えられたが…

ギリシア独立戦争 ギリシアどくりつせんそう War of Greek Independence

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
オスマン帝国の支配からの解放を求めてギリシア人が行なった戦争 (1821~29) 。オデッサの秘密結社「フィリキ・エテリア」の首領 A.イプシランディス…

マルキアヌス まるきあぬす Marcianus (396―457)

日本大百科全書(ニッポニカ)
ビザンティン皇帝(在位450~457)。元テオドシウス2世治下の宰相アスパー麾下(きか)の将校で、同帝の没後その姉プルケリアと結婚して即位。その治政…

総大司教 そうだいしきょう

旺文社世界史事典 三訂版
ローマ,コンスタンティノープル,アレクサンドリア,アンティオキア,イェルサレムの各教会の司教ないし主教に対する称号この意味で使われるように…

プロクロス Proklos

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]410. コンスタンチノープル[没]485. アテネ新プラトン派 (アテネ派) の代表的哲学者。アレクサンドリアでオリンピオドロス,アテネでプラトンの…

マリヌス1世 マリヌスいっせい Marinus I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?. トスカナ[没]884.5.15. ローマトスカナ出身の第108代教皇(在位 882~884)。助祭だったときに,教皇ハドリアヌス2世(在位 867~872)によっ…

ネストリウス Nestorius

山川 世界史小辞典 改訂新版
381?~451ネストリウス派の祖。説教者として名声があり,テオドシウス2世によってコンスタンティノープルの総大司教に任じられた。マリアに対する「…

A・dri・at・ic /èidriǽtik/

プログレッシブ英和中辞典(第5版)
[形]アドリア海の.━━[名]〔the ~〕アドリア海(◇イタリアとユーゴスラビア間の地中海の一部).

ディデュモス Didymos

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]313頃[没]398頃アレクサンドリア出身の盲目の神学者。アレクサンドリア教校校長。ニカイア公会議 (325) を支持し,聖書について多くの注釈を施し…

セルギウス[コンスタンチノープル] Sergius I of Constantinople

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]638.12.9. コンスタンチノープルギリシア正教の神学者,コンスタンチノープル総大司教。シリアの人。ビザンチン帝国皇帝ヘラクリウスの信任…

ギリシア正教 ギリシアせいきょう Greek Orthodox Church; Eastern Orthodoxy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
公式には「正統カトリック教会」,一般には,東方正教会,ハリストス正教会,ギリシア正教会などと呼ばれる。ここでいうギリシアは,民族としての名…

キリスト単性説 キリストたんせいせつ monophysitism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イエスにおいて神性と人性が結合したのち,人性は神性に吸収されてしまい,1つの本性しか残らないとするキリスト教の異端説。反ネストリウスの立場か…

アドリア海(アドリアかい) Adria

山川 世界史小辞典 改訂新版
イタリアとバルカン半島にはさまれた地中海の一支海。その名はエトルスキが建てたとされる都市アドリアに由来。中・近世にヴェネツィアが制海権を独…

テオドシウス2世 テオドシウスにせい Theodosius II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]401.4.10. コンスタンチノープル[没]450.7.28. コンスタンチノープル東ローマ皇帝 (在位 408~450) 。 402年父アルカディウス帝の共治帝とされ,…

ハドリアヌス Publius Aelius Hadrianus 生没年:76-138

改訂新版 世界大百科事典
ローマ皇帝。在位117-138年。五賢帝の第3番目。ヒスパニア(スペイン)の出身で,トラヤヌスの庇護下で育てられギリシアの学問を学んだのち,軍事・…

キュリロス・ルカリス Kyrillos Loukaris 生没年:1572-1638

改訂新版 世界大百科事典
コンスタンティノープル総主教。オスマン帝国支配下の東方正教会の改革と教義の確立をはかった。クレタ島出身,イタリアで教育を受け,反ラテン感情…

エフェソス教会会議(エフェソスきょうかいかいぎ) Ephesos

山川 世界史小辞典 改訂新版
431年テオドシウス2世の召集によってエフェソスで開かれた教会会議。マリアを「神の母」とする当時一般化していた称号に反対したコンスタンティノー…

ad・ri・a・tisch, [adriáːtIʃ]

プログレッシブ 独和辞典
[形] (付)アドリア海のdas Adriatische Meer\アドリア海(=die Adria).

キュリロス[アレクサンドリア] Kyrillos; Cyril of Alexandria

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]375頃.アレクサンドリア[没]444.6.27.教会博士,聖人,アレクサンドリアの司教。叔父テオフィロスの後任として大司教となる (412) 。有力な神学…

セウェルス Severus 生没年:465ころ-538

改訂新版 世界大百科事典
アンティオキア総主教。在位512-518年。アレクサンドリア,ベリュトスで研究し,488年に受洗。修道士として禁欲生活を送る。温和なキリスト単性論の…

ディオドロス(タルソスの) Diodōros 生没年:?-390ころ

改訂新版 世界大百科事典
アンティオキア学派の神学者。タルソスTarsos主教(378より)。アリウスの教説を攻撃し,ニカエア派の正統信仰の擁護者とたたえられた(381,第1コン…

トルラーヌム Trullanum (concilium); concilium in Trullo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
トルルス Trullusと呼ばれたコンスタンチノープルの宮殿の円天井の間で開かれた教会会議の総称。1回目は 680年の第3回コンスタンチノープル公会議,2…

アガペツス1世 アガペツスいっせい Agapetus I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?. ローマ[没]536.4.22. コンスタンチノープルローマ出身の第57代教皇(在位 535~536)。聖人。貴族出身で,教皇に選出される以前は助祭長(→助…

ニコラウス[1世] Nicolaus Ⅰ 生没年:?-867

改訂新版 世界大百科事典
ローマ教皇。在位858-867年。教皇権を強く主張し,大教皇と呼ばれた。聖人。司教はすべて教皇に直接訴える権利があるとして,訴えによってコンスタン…

リウトプランド(クレモナの司教) りうとぷらんど Liutprand (920ころ―972ころ)

日本大百科全書(ニッポニカ)
クレモナの司教。外交官、歴史家。北イタリアのランゴバルド系の名門の生まれ。ベレンガル2世の使節としてビザンティン帝国の首都コンスタンティノー…

ロベール・ギスカール Robert Guiscard 生没年:1015ころ-1085

改訂新版 世界大百科事典
プーリア公。ノルマンの騎士オートビル家のタンクレディの子。イタリア名はRoberto il Guiscardo。1040年ごろイタリアに来てカプア公に仕え,さらに…

ラスカリス Lascaris, Constantine

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1434. コンスタンチノープル[没]1501. メッシナイタリアに亡命したギリシア文法学者。 1453年コンスタンチノープル陥落後,ミラノに移ってスフォ…

Adriatique

ポケットプログレッシブ仏和・和仏辞典 第3版(仏和の部)
[女]アドリア海.

a・driá・ti・co, ca, [a.đrjá.ti.ko, -.ka]

小学館 西和中辞典 第2版
[形] アドリア海の.

ミドリアノール Anolis carolinensis; green anole

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
トカゲ目イグアナ科。グリーンアノールともいう。体長 15~20cmぐらい。細長い体つきをしたトカゲで,吻が細く,尾が長い。体色を変える能力が著しく…

全教会会議(ぜんきょうかいかいぎ) ecumenical council

山川 世界史小辞典 改訂新版
キリスト教世界全体の問題を討議する全教会の司教(主教)の会議。カトリック教会では公会議と称する。コンスタンティヌス1世のときに始まった。会議の…

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五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

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