はんぞく‐たいし【斑足太子】
- 精選版 日本国語大辞典
- 釈迦の本生譚(ほんしょうたん)中に説かれる人物。その父が王山を巡っていて牝獅子に出会い、この牝獅子と交わり生まれたという太子。その足に斑点が…
太子町史たいしちようし
- 日本歴史地名大系
- 四冊 太子町史編集専門委員会編 太子町平成元―八年刊 第一巻(本編I地質・自然・考古、古代―近世前期、付中世史料補遺)、第二巻(本編II近世後期―現…
たらこ
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 鱈子とも書く。明太子 (めんたいこ) あるいは紅葉子 (もみじこ) とも呼ばれる。すけとうだらの腹子を塩蔵したもの。真だらの腹子も用いられる。腹子…
エドワード黒太子
- 367日誕生日大事典
- 生年月日:1330年6月15日エドワード3世の長子1376年没
しょうかいたいし【章懐太子】
- 改訂新版 世界大百科事典
聖徳太子墓しようとくたいしのはか
- 日本歴史地名大系
- 大阪府:南河内郡太子町太子村聖徳太子墓[現]太子町太子叡福寺北(えいふくじきた)古墳、上城古墳ともよばれる。叡福寺の伽藍北側にある南北に延…
太子町誌たいしちようし
- 日本歴史地名大系
- 一冊 岩井好一編 太子町役場 昭和四三年刊 (一)太子町と聖徳太子、(二)文化のあと、(三)土地と産業、(四)政治のうつりかわり、(五)教育、…
エドワード黒太子(エドワードこくたいし) Edward the Black Prince
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 1330~76イングランドの皇太子でエドワード3世の長子。百年戦争の初期,弓兵を率いて勇戦し,武名をあげた。黒太子の名は着用した甲冑の色に由来する…
聖徳太子像 しょうとくたいしぞう
- 山川 日本史小辞典 改訂新版
- 聖徳太子像として最も著名なものは法隆寺伝来の御物(ぎょぶつ)本(奈良時代)だが,本来太子像として描かれたものかどうか定かでない。平安後期には太…
икр|а́1
- プログレッシブ ロシア語辞典(露和編)
- [女1]〔roe, spawn〕①(水生動物の)卵,卵塊②魚卵,イクラкра́сная //икра́|イクラчёрная //икра́|キャビア//икра́ се́льди|数の…
聖徳太子伝暦 (しょうとくたいしでんりゃく)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 聖徳太子の事績を編年体に記した伝記。藤原兼輔が,917年(延喜17)に撰したとみるのが通説であったが,近時これを疑う説もある。2巻。《平氏伝》と…
近つ飛鳥の里・太子
- デジタル大辞泉プラス
- 大阪府南河内郡太子町にある道の駅。国道166号に沿う。
聖徳太子伝暦 しょうとくたいしでんりゃく
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 『聖徳太子平氏伝』ともいわれる。漢文,編年体の詳細な聖徳太子の伝記。2巻。編者は平安時代前期の歌人藤原兼輔 (877~933) 。延喜 17 (917) 年成立…
かくりんじたいしどう【鶴林寺太子堂】
- 改訂新版 世界大百科事典
聖徳太子伝私記 (しょうとくたいしでんしき)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 上宮王院,法隆寺などの聖徳太子に関係する遺跡,宝物や太子伝に関する秘事口伝などを示した書物。法隆寺僧顕真の著。2巻。上巻は1238年(暦仁1)ご…
太子(町)(大阪府) たいし
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 大阪府南東部、南河内郡(みなみかわちぐん)の町。1956年(昭和31)磯長(しなが)、山田の2村が合併、町制を施行して成立。町名は聖徳太子御廟(ごびょ…
ふせたいしのにゅうざん〔フセタイシのニフザン〕【布施太子の入山】
- デジタル大辞泉
- 倉田百三の戯曲。大正9年(1920)発表。大正14年(1925)帝国劇場にて上演。
聖徳太子伝暦 しょうとくたいしでんりゃく
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 平安時代の聖徳太子伝。通称、伝暦。数多くの聖徳太子伝承・伝記は、すべてここに集大成され、ふたたびここから流布していった。917年(延喜17)に藤…
章懐太子墓 (しょうかいたいしぼ) Zhāng huái tài zǐ mù
- 改訂新版 世界大百科事典
- 中国,唐の高宗と則天武后の第2子である章懐太子李賢(655-684)の墓。陝西省乾県にある高宗の乾陵(けんりよう)の南東約3kmの地点にある。墳丘は方…
聖徳太子絵伝 (しょうとくたいしえでん)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 太子信仰に基づき聖徳太子一代の伝記を描いた絵巻。太子の伝説絵は,法隆寺絵殿の障子絵など壁画の形式をとるもののほかに絵巻形式,掛幅形式のもの…
懿徳太子墓 (いとくたいしぼ) Yì dé tài zǐ mù
- 改訂新版 世界大百科事典
- 懿徳太子,李重潤は唐中宗の長子であり,高宗の乾陵の南東にその墓がある。墓は方形で,南北56.7m,東西55m,高さ17.92mをはかり,土闕の南に石の獅…
太子屋宗有 (たいしや-そうゆう)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ?-? 織豊時代の茶人。和泉(いずみ)(大阪府)堺の人。武野紹鴎(じょうおう)(1502-55)の門人とも,千利休(せんの-りきゅう)に師事したともいわれる。
くろたいしのるびー【黒太子のルビー】
- 改訂新版 世界大百科事典
太子(町)(兵庫県) たいし
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 兵庫県南西部、揖保郡(いぼぐん)の町。1951年(昭和26)斑鳩(いかるが)町と石海(いわみ)、太田の2村が合併して成立。1955年竜田(たつた)村を編入。姫…
太子密建法 たいしみっけんほう
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 中国、清(しん)朝で、第5代皇帝雍正(ようせい)帝によって定められた次期皇帝の指名方法。満洲族出身の清朝では、皇帝位は皇族間の同意を得る必要があ…
しょうとくたいしみらいき【《聖徳太子未来記》】
- 改訂新版 世界大百科事典
如来寺・太子寺によらいじ・たいしじ
- 日本歴史地名大系
- 三重県:鈴鹿市旧河曲郡地区岡山新田如来寺・太子寺[現]鈴鹿市三日市二丁目三日市(みつかいち)集落の中央にあり、ともに真宗高田派。光明山無量…
太子町の要覧 たいしちょうのようらん
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 面積:22.61平方キロメートル(たつの市との境界は一部未定)総人口:3万3477人(男:1万6253人、女:1万7224人)世帯数:1万2757戸※『令和2年国勢調…
しょうとくたいし‐えでん(シャウトクヱデン)【聖徳太子絵伝】
- 精選版 日本国語大辞典
- [ 1 ] 聖徳太子の伝記を絵画化したもの。障子絵、掛絵、絵巻物などの種々の形式をもつ。[ 2 ] もと法隆寺東院絵殿障子絵。現二曲屏風五双。綾本着色…
六朝文化【りくちょうぶんか】
- 百科事典マイペディア
- 中国で,3世紀初頭から6世紀末におよぶ時代の文化をいう。政治史では後漢の滅亡(220年)から隋による統一(589年)までの分裂時代を魏晋南北朝時…
聖徳太子絵伝【しょうとくたいしえでん】
- 百科事典マイペディア
- 聖徳太子の伝記を絵画化したもので,神話化された要素が多い。現存最古の作例は1069年秦致貞(はたちてい)が描いた旧法隆寺絵殿の障子絵(現東京国立…
聖徳太子の墓 しょうとくたいしのはか
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 大阪府南河内郡太子町叡福寺境内にある聖徳太子と母穴穂部間人 (あなほべのはしひと) 皇后と太子妃膳部 (かしわで) 皇女を合葬した墓。磯長墓 (しな…
くならたいし【拘拏羅太子】
- 改訂新版 世界大百科事典
口伝【くでん】
- 百科事典マイペディア
- 文書によらず,直接に口で伝承する教え。《古語拾遺》は〈上古の世に未だ文字あらざる時,貴賤老少口々に相伝へ〉たという。後に,仏教や歌道・芸道…
章懐太子墓 しょうかいたいしぼ Zhang-huai tai-zi-mu
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 中国陝西省乾県の乾陵の南東約 3kmにある章懐太子李賢 (654~684) の墓。李賢は唐の高宗李治と則天武后の第2子で,四川省巴州で没したが,神竜2 (706…
聖徳太子絵伝 しょうとくたいしえでん
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 聖徳太子の伝記を絵画化したもの。文献から8世紀にはすでに四天王寺に存在したことが知られる。最古の遺品は法隆寺絵殿の壁面5間に描かれていた障子…
とだのたいし【刀田の太子】
- 改訂新版 世界大百科事典
太子町の要覧 たいしちょうのようらん
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 面積:14.17平方キロメートル総人口:1万3009人(男:6331人、女:6678人)世帯数:5048戸※『令和2年国勢調査 人口等基本集計』(総務省)による[参…
懿徳太子墓 いとくたいしぼ
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 中国、陝西(せんせい/シャンシー)省乾(けん)県にある乾陵(けんりょう)陪葬墓の一つ。被葬者は唐の4代皇帝中宗李顕(りけん)の長子李重潤(りじゅうじ…
章懐太子墓 しょうかいたいしぼ
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 中国、陝西(せんせい/シャンシー)省乾県(けんけん/チエンシエン)にある李賢(りけん)(654―684)の墓。李賢は唐3代皇帝高宗と則天武后の次子。675年…
聖徳太子絵伝 しょうとくたいしえでん
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 聖徳太子一代の伝記を絵画化したもの。誕生から薨去(こうきょ)に至る生涯のさまざまの事跡を描き、あるいは詞書(ことばがき)や色紙(しきし)形などの…
太子密建法 たいしみっけんほう
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 清の皇帝が後継者を決める際にとった方法・制度皇帝生存中に皇太子を立てず,しかるべきものの名を書いて密封し,帝の死後,これを開いて後継者を発…
太子堂塚古墳たいしどうづかこふん
- 日本歴史地名大系
- 群馬県:富岡市一ノ宮村太子堂塚古墳[現]富岡市一ノ宮俗称下り松(さがりまつ)に所在し、別名を古墳上の芭蕉句碑にちなんで旅寝塚(たびねづか)…
文選 もんぜん
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 中国、南朝梁(りょう)の昭明太子蕭統(しょうとう)が側近の文人たちの協力を得て編集した文章詩賦(ふ)のアンソロジー。800余の作品が37種の文体に分け…
上宮聖徳太子伝補闕記【じょうぐうしょうとくたいしでんほけつき】
- 百科事典マイペディア
- 聖徳太子の伝記。平安時代初期に成立。著者不詳。《日本書紀》などの先行する太子伝に,膳臣(かしわでのおみ)(大化前代に天皇や朝廷の食饌について…
武帝 (ぶてい) Wǔ dì 生没年:464-549
- 改訂新版 世界大百科事典
- 中国,南朝梁(りょう)の初代皇帝。在位502-549年。姓名は蕭衍(しようえん)。南蘭陵(江蘇省常州市)の人。父蕭順之は南斉高帝の族弟で,創業の功…
太子伝玉林抄((玉林抄))たいしでんぎよくりんしよう
- 日本歴史地名大系
- 訓海著 文安五年 伝記 内閣文庫ほか 聖徳太子の伝記「聖徳太子伝暦」の注釈書。 「法隆寺蔵尊英本太子伝玉林抄」(昭和五三年)ほか
おうたいしバルタサールカルロスきばぞう〔ワウタイシ‐キバザウ〕【王太子バルタサールカルロス騎馬像】
- デジタル大辞泉
- 《原題、〈スペイン〉El príncipe Baltasar Carlos a caballo》ベラスケスの絵画。カンバスに油彩。スペイン国王フェリペ4世の長男カルロスが、幼少…
しょうとくたいしこうさんず【《聖徳太子講讃図》】
- 改訂新版 世界大百科事典
軽太子・軽大郎女 (かるのみこかるのおおいらつめ)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 記紀の允恭(いんぎよう)天皇条に兄妹で相姦したと伝えられる皇子・皇女。《古事記》によれば,允恭天皇の死後即位予定者である軽太子が同母妹軽大…