六朝文化(読み)りくちょうぶんか

精選版 日本国語大辞典 「六朝文化」の意味・読み・例文・類語

りくちょう‐ぶんかリクテウブンクヮ【六朝文化】

  1. 〘 名詞 〙 中国の魏晉南北朝時代(三~六世紀)、江南を中心に栄えた貴族文化。漢代に思想界主流であった儒学は振るわず、代わって老荘思想が盛んになり清談が流行した。文学では、陶淵明謝霊運らの詩人が輩出し、書の王羲之、画の顧愷之らも著名である。雲崗の石仏など多くの仏教美術が生まれ、また、中国固有の民間信仰を体系化した道教民衆に広まった。

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百科事典マイペディア 「六朝文化」の意味・わかりやすい解説

六朝文化【りくちょうぶんか】

中国で,3世紀初頭から6世紀末におよぶ時代の文化をいう。政治史では後漢の滅亡(220年)から隋による統一(589年)までの分裂時代を魏晋南北朝時代というが,この時期を文化史では六朝時代(文化)と呼びならわす。六朝とは(222年―280年)に始まる,東晋を参照)・の6王朝をいうが,いずれも長江下流の建業(建康,現在の南京)を首都とした。この時代の華北五胡十六国や北朝諸王朝が北方や西北方の異民族政権であったのに対し,漢人の6王朝が興亡した江南では,漢代以来の中国の伝統が温存されており,華北から戦乱を嫌って移住してきた貴族・豪族も含めて貴族社会が形成され,貴族が皇帝権力をも左右していた。加えて,江南の温和な気候・風土を背景に,優雅・華麗にして中国的貴族文化が開花した。文学では陶潜謝霊運がおり,散文では対句を駆使する四六駢儷体(しろくべんれいたい)(駢文)が盛行し,これらの諸作品は梁の昭明太子編纂(へんさん)した《文選(もんぜん)》に集められた。絵画の顧【がい】之(こがいし),書の王羲之(おうぎし)・王献之父子が有名。宗教では来世救済を説く仏教が盛んとなり,西域から僧侶が北朝に来中して仏典の翻訳に努める一方,中国からは法顕(ほっけん)がインドを訪れた。また,春秋戦国時代の老荘思想に後漢末以来の現世利益を求める民間信仰が加味された道教が成立し,北魏の寇謙之(こうけんし)によって初めて教団化された(442年)。一方,儒教では仏教や老荘思想の影響もあって,世俗を超越して論議にふける清談の風潮がうまれた(竹林の七賢など)。仏教の盛行にともなって仏寺・仏像が盛んにつくられ,敦煌莫高窟雲岡石窟竜門石窟などの石仏・仏画はインドのガンダーラ様式・グプタ様式やヘレニズム様式をいきいきと伝えている。このように,六朝文化は江南の貴族文化を中心にするとはいえ,華北における北方民族の質実剛健な気風も中国に受け入れられたので(例えば書における北朝独特の鋭利な筆法など),南北を併せて,秦漢時代と隋唐時代の中間に位置する一つの独自な文化世界を築いたといえ,特に宗教・思想史上では,春秋戦国時代に次ぐ躍動期を迎えたといってよい。
→関連項目南北朝

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旺文社世界史事典 三訂版 「六朝文化」の解説

六朝文化
りくちょうぶんか

六朝時代に江南で栄えた貴族的文化
この時代に江南では中国の伝統的貴族文化が栄え,華北が異民族興亡の場となったのと好対照をなした。仏教が盛んになるとともに,俗事を超越する清談が流行。詩文では陶淵明 (とうえんめい) ・謝霊運 (しやれいうん) らが活躍し,名文集『文選』が梁の昭明太子によって編纂 (へんさん) された。書画では王羲之 (おうぎし) ・顧愷之 (こがいし) らが有名。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「六朝文化」の解説

六朝文化
りくちょうぶんか

中国江南に政権を保持した呉・東晋・宋・斉・梁・陳の六朝の貴族社会を中心にした3~6世紀の文化。六朝を文化史的に統一した一つの時代とみる。詩人の陶淵明(とうえんめい),絵画の顧愷之(こがいし),書の王羲之(おうぎし)らがでた。老荘思想が盛んになり,竹林の七賢などが活躍した。

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