太子信仰に基づき聖徳太子一代の伝記を描いた絵巻。太子の伝説絵は,法隆寺絵殿の障子絵など壁画の形式をとるもののほかに絵巻形式,掛幅形式のものなどがあり,相互に関連しあってバラエティに富んだ各種の作品が生み出された。なかでも鎌倉時代には,新旧の両仏教諸宗派による太子信仰の高まりの中で,数多くの太子絵伝の成立をみた。現存する絵巻作例のうち,最大規模のものは京都堂本家本10巻で,〈入胎〉から太子薨後の〈入鹿(いるか)誅殺〉までの64事跡場面が描かれている。奥書によって元亨4年(1324)ころに制作されたことが知られ,太子伝絵巻の一系統を成す。茨城県那珂市の上宮寺本1巻は巻頭に詞書1段のみを記し,絵はおのおの独立した14段に簡単な題詞を付した構成からもわかるように,太子事跡の重要場面のみを描いている。制作年は元亨3年ころと考えられる。四天王寺本掛幅6幅もまた同年の裏書銘をもち,これらの作品が聖徳太子七百年忌にあたると考えられていた1322年(元亨2)直後,太子信仰の機運の高まりの中で制作されたことは興味深い。
執筆者:田口 栄一
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聖徳太子一代の伝記を絵画化したもの。誕生から薨去(こうきょ)に至る生涯のさまざまの事跡を描き、あるいは詞書(ことばがき)や色紙(しきし)形などの文字で説明を加えたもの。古くはすでに奈良後期に四天王寺の絵堂に太子絵伝の壁画があったことが文献からわかる(『太子伝古今目録抄』)。現存中最古の遺品は、1069年(延久1)につくられた旧法隆寺絵殿の障子絵(現在10面の額に改装。国宝。東京国立博物館保管)で、秦致真(はたのちしん)(致貞)の作と知られる。後世の補修が何度か加えられているが、画面の構成や図様は当初の模様を伝え、平安時代の、作者・制作年の明らかな遺品として貴重である。鎌倉時代以降は、太子信仰の隆盛とともに絵巻や掛幅などに数多くの絵伝がつくられた。遺品としては上宮寺、堂本家などの絵巻、また四天王寺、橘寺(たちばなでら)、鶴林寺(かくりんじ)、斑鳩寺(はんきゅうじ)などの諸本がとくに知られている。
[村重 寧]
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