日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリポリ(レバノン)」の意味・わかりやすい解説
トリポリ(レバノン)
とりぽり
Tripoli
レバノン北西部の商工業・港湾都市。アラビア語名トラブルース・エシュ・シャムTarābulus esh Shām。フランス語や英語ではトリポリという。首都ベイルートの北64キロメートル、地中海に面する。首都に次ぐ同国第二の都市で、人口21万2900(2003推計)。人口の大多数はスンニー派イスラム教徒で、ほかにアラウィー派、マロン派、キリスト教徒などが住む。周辺にはパレスチナ人難民キャンプが複数存在している。紀元前8世紀にはすでにシドン人、ティロス人、アラド人が3か所に住み分かれ、「三つの都市」を意味するトリポリスTripolisとして栄えていた。紀元後7世紀にイスラムの征服を受け、12世紀に一時十字軍の占領を経験している。以降エジプトのマムルーク朝、さらにオスマン帝国の版図に入った。第一次世界大戦後レバノンの一部としてフランスの委任統治を受けた。これにより、歴史的な後背地であったシリア内陸部と切り離され、その港湾機能は大打撃を受けた。しかし、イラクからパイプラインが通じ、石油積出し港、精油業の中心として栄え、また軽工業も発展した。1975年以来のレバノン内戦では幾度も激しい戦闘の舞台となり、大きな損害を被った。十字軍の城やマムルーク朝時代の望楼「ライオンの塔」などが残り、周辺から先史時代の遺物も発見されている。
[高橋和夫]