翻訳|maquis
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〈しみ〉〈斑点〉を意味するラテン語に由来し,フランスでは地中海沿岸,とくにコルシカ島の密な低木林を指す。イタリアでもやぶや灌木の密生地をマッキアmacchiaと呼ぶ。この地方の森林のおもな構成樹種は,低地ではヒイラギガシ,コルクガシその他の硬葉樹とマツ類,高地ではナラ,クリなどの夏緑広葉樹であるが,夏に雨が少なくて著しく乾燥する地中海性気候と,石灰岩が多くて土壌も岩盤の保水力も乏しい土地条件に,長期にわたって反復された人為による森林の破壊が加わった結果,一般に林相は貧弱で,裸岩地帯に低木ないし中高木の林が斑点状に分布するだけの所が多い。低木林の中は見通しが悪く,野バラなどのやぶによって通行が妨げられるので,マキは昔からよく犯罪者の隠れ家になっていた。
執筆者:佐藤 久
18世紀中葉,コルシカがフランスの統治下に入って以後,その支配や導入される新しい法秩序になじまず,それと衝突したり,また,旧来の社会的紐帯が揺らぐなかで,かつての共同体の掟の行使が私的な争闘に転化して犯罪者として追われる人びとが増加した。こうした人びとがしばしば島内のマキに隠れすみ,〈山賊〉化し,19世紀のロマン主義的風潮のなかで,ときに,義賊,英雄のイメージで描かれた。メリメの作品《コロンバ》(1840)や《マテオ・ファルコーネ》(1829)はとくに有名である。
第2次世界大戦においてフランスがドイツの占領下に置かれたとき,占領支配を逃れ,またそれに抵抗した者たちが多く山や森に隠れた。とりわけ1942年以降,義務労働徴用(S.T.O.)の制度が導入されて,当初,21歳から35歳までの青年層を対象に,翌年これが全フランス人に拡大され,人びとが強制的にドイツへ労働のために送られるようになって,山野に逃れる人びとは一挙に増大した。こうした者たちが各地でゲリラ活動をも展開し,レジスタンスの有力な部隊となった。彼らはマキに入った者の意味でマキザールmaquisardと呼ばれ,また,こうした活動に入った人びとを総称してマキと呼ぶようになった。フランス南東部のベルコールの山岳地帯でドイツ軍の包囲を受けて戦い全滅したベルコールのマキなどの名がよく知られている。
→レジスタンス
執筆者:加藤 晴康
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…雨はこの高気圧が弱まり,シベリア高気圧との間の谷間に低気圧が進んでくる秋からで,降るときは強く,溝をうがち奔流となって表土を押し流す。そのため森林は育たず,マキmaquisと呼ばれる植物群落やガリグgarigueと呼ばれる灌木のやぶなど夏の乾燥に耐える低木の疎林となり,耕地は灌漑されるものが多い。冬は一般に温暖であるが,西からやってくる低気圧が地中海上で発達すると,内陸の高気圧からローヌ河谷に向かって寒い北風が吹き込む。…
…雨はこの高気圧が弱まり,シベリア高気圧との間の谷間に低気圧が進んでくる秋からで,降るときは強く,溝をうがち奔流となって表土を押し流す。そのため森林は育たず,マキmaquisと呼ばれる植物群落やガリグgarigueと呼ばれる灌木のやぶなど夏の乾燥に耐える低木の疎林となり,耕地は灌漑されるものが多い。冬は一般に温暖であるが,西からやってくる低気圧が地中海上で発達すると,内陸の高気圧からローヌ河谷に向かって寒い北風が吹き込む。…
…抵抗は,パルチザンに参加しあるいはそれを支持した農民たちにとって,オスマン帝国の支配に抗したかつての民族的誇りを回復し,義賊たち(ハイドゥク)の伝説を呼び覚まし,みずからの解放をかちとるためのたたかいだったのである。
[フランスのマキ]
西ヨーロッパにおいて,フランスの場合には,ド・ゴールがロンドンにおいて武装勢力たる〈自由フランス軍〉を組織した。それはビシー政府とは一線を画し,フランスを敗北に導いた軍とは異なる新しい機構による組織が目ざされた。…
※「マキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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