メースフィールド(英語表記)John Masefield

改訂新版 世界大百科事典 「メースフィールド」の意味・わかりやすい解説

メースフィールド
John Masefield
生没年:1878-1967

イギリス詩人小説家,劇作家批評家少年時代船員となったが,アメリカ滞在中に作家志望に転じ,帰国してからは長詩恩寵》(1911),《狐レーナード》(1919),戯曲ポンペイ悲劇》(1910),小説《群衆と孤独》(1909),評論シェークスピア》(1911),第1次大戦体験記《ガリポリ》(1916)など多くの作品を発表した。1930年,R.ブリッジズの後を継いで桂冠詩人となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メースフィールド」の意味・わかりやすい解説

メースフィールド
Masefield, John

[生]1878.6.1. レッドベリー
[没]1967.5.12. アビンドン近郊
イギリスの詩人。早くから海洋に憧れて船員となり,アメリカ合衆国に渡って放浪,帰国して雑誌記者となり,詩作を始めた。詩集『海の歌曲』Salt-Water Ballads(1902)や物語詩『へぼ絵かき』Dauber(1913)などで認められ,以後,劇作,小説,評論など多方面で活躍。戯曲『忠義』The Faithful(1915)は「忠臣蔵」を題材にしたもの(→赤穂事件)。『シェークスピア論』Shakespeare(1911)はホーム・ユニバーシティ双書の一冊。1930年にはロバート・ブリッジズのあとを受けて桂冠詩人に任じられた。1935年メリット勲章を受章した。

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百科事典マイペディア 「メースフィールド」の意味・わかりやすい解説

メースフィールド

英国ジョージ朝期の詩人。船員になり世界各地をまわる。1895年ニューヨークへ行き労働者として3年を過ごす。《海の歌曲》(1902年)の短詩や《黄水仙原》《貧乏画家》(1913年)などの下層の人びとを描く物語詩によって認められる。1930年桂冠詩人となった。戯曲《忠義》(1915年),小説,評論もある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メースフィールド」の意味・わかりやすい解説

メースフィールド
めーすふぃーるど
John Edward Masefield
(1878―1967)

イギリスの詩人。船乗りの出で、1902年『海水民謡詩集』を出版して海の詩人として一躍知られ、物語詩『永遠の慈悲』(1911)では酔いどれの乱暴者を主人公として、社会の底辺に生きる人々への共感を示し注目された。とくに叙事詩で真価を発揮し、男性的な力強さと豊かな青春の叙情を歌い上げるロマンチックな詩風が人気を博した。1930年桂冠(けいかん)詩人に任命された。

[富士川義之]

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世界大百科事典(旧版)内のメースフィールドの言及

【児童文学】より

…72年には動物ファンタジー《ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち》がアダムズR.Adamsによって書かれた。冒険小説もJ.メースフィールドを経て,ランサムA.Ransomeのたのしい休暇中のヨット旅行の数々の冒険(1930‐47)に発展した。歴史小説ではサトクリフR.Sutcliffがぬきんでて,両トリーズG.Trease,H.TreaseやウェルチL.Welch,ハーネットC.Harnett,バートンH.Burtonらがつづく。…

※「メースフィールド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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