久万高原(読み)くまこうげん

改訂新版 世界大百科事典 「久万高原」の意味・わかりやすい解説

久万高原[町] (くまこうげん)

愛媛県中南部上浮穴(かみうけな)郡の町。2004年8月久万町と面河(おもご),美川(みかわ),柳谷(やなだに)の3村が合体して成立した。人口9644(2010)。

久万高原町北東部の旧村。上浮穴郡所属。人口878(2000)。面河川の源流域に位置し,村域は四国最高峰の石鎚山南斜面を占める。南東は高知県に接する。もと杣川村と称したが,面河渓にちなんで1934年面河村と改称した。農林業が基幹産業で,木材,茶,タバコ,シイタケなどを産し,養蚕も行われる。山林の過半数国有林,村外者所有林で占められる。村域北東部は石鎚国定公園に指定され,面河渓(名)がある。石鎚スカイラインが通じ,石鎚山の裏登山口でもある。北西部は皿ヶ嶺連峰県立自然公園に指定されている。割石川に面河ダムがある。

久万高原町北西部の旧町。上浮穴郡所属。人口7275(2000)。石鎚山脈の南斜面,面河川の支流久万川の流域を占める。川沿いに標高500m前後の久万盆地が開ける。北縁は伊予灘側と土佐湾側の分水界である。中心集落の久万は土佐街道沿いの旧宿場町で,江戸時代は松山藩久万山(くまやま)代官所が置かれた。また四国八十八ヵ所44番札所菅生山大宝寺の門前町として栄えた。基幹産業は農林業で,米作のほか,高冷地を利用した野菜栽培,肉牛飼育が盛ん。造林も活発で,良質の丸太材を産する。町域北縁は皿ヶ嶺連峰県立自然公園に属し,西端には古岩屋(名)がある。自然休養村の指定を受け,観光開発が進む。国道33号,380号線が通じる。

久万高原町中部の旧村。上浮穴郡所属。人口2386(2000)。四国山地の山間にあり,周囲を明神山(1541m),大川嶺(1525m),狼ヶ城(ろうがじよう)山(1380m)などの高山に囲まれ,平均標高800m。中央を面河川が貫流,西から久万川が合流する。東は高知県に接する。久万川の河岸段丘上には旧石器時代晩期~縄文早期の上黒岩岩陰遺跡(史)がある。村域北部,七鳥(ななとり)の竹谷にある海岸山岩屋寺は四国八十八ヵ所45番札所で,法華仙人の霊跡に空海が練行したところと伝える。標高600mの地にあり,巨大なレキ岩峰の屹立(きつりつ)するさまは古く《一遍聖絵》に描かれて著名。この岩屋は隣接する旧久万町の古岩屋とともに国指定名勝。久万高原を中心に当村域も含む一帯は,かつて久万郷,久万山と呼ばれた。水田に乏しく,茶を産し紙すきが行われていたが,1741年(寛保1)松山藩の紙方新法に抗して農民3000人が逃散するという久万山騒動が起こっている。1871年(明治4)にも明治新政府の改革に反対して騒動が生じた。農林業が主体で,杉,ヒノキの良材,タバコ,茶,高冷地野菜などを産する。また,大川嶺山頂部平たん面の草原135haが開発され,牛の放牧が行われる。山腹斜面を利用した美川スキー場もある。川沿いに国道33号線が通じる。

久万高原町南部の旧村。上浮穴郡所属。人口1348(2000)。四国山地の山間にあり,周囲を標高1300~1500m級の山に囲まれ,面河川とその支流黒川が流れる。東から南にかけて高知県に接するが,南部県境は標高1400mの四国カルストの高原地帯である。村域は,かつて久万山と呼ばれた地域の南部にあたり,土佐国境近くの山間では,コウゾを栽培して紙すきが行われていた。1741年(寛保1)松山藩の紙方新法に反対して農民3000人が大洲(おおず)城下に逃散(ちようさん)した久万山騒動は,当地の久主(くず)村(現,中津)から起こっている。面河川沿いに国道33号線が走るが,中心集落の落出(おちで)は,明治中期に国道の前身である新道が開通したことによって生まれた集落である。林業が主体で,多雨地帯にあって木々の生長ははやい。果樹,タバコの栽培や畜産,養蚕も行われる。黒川には堅い河床をえぐって大小30余の釜(甌穴(おうけつ))が生じ,八釜(やかま)の甌穴群(特天)として著名。黒川沿いに国道440号線が通じ,柳井川で33号線に合する。
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久万高原 (くまこうげん)

愛媛県中部,土佐湾に流れる仁淀川上流の上浮穴(かみうけな)郡久万高原町を中心とする高原。分水嶺をなす三坂(みさか)峠が標高718m,久万高原町役場が485mの地点にある。気候は冷涼で四国の軽井沢の称があり,米のほかにトマト,ジャガイモなどの産が多く,近年は青リンゴ栽培にも成果をあげている。高原の地形を利用してゴルフ場もある。周囲の山は久万林業で知られ,杉の人工林が多い。近世久万は土佐街道の宿場町として栄え,松山藩の代官所が置かれた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「久万高原」の意味・わかりやすい解説

久万高原
くまこうげん

愛媛県中央部、石鎚(いしづち)山地の西に広がる高原。石墨(いしずみ)山、陣ヶ森、皿ヶ嶺(さらがみね)の山系の南に広がる緩斜面で、標高400~600メートル。地質は三波川(さんばがわ)変成岩類の基盤に石鎚層群(火成岩)や久万層群(堆積(たいせき)岩)の第三紀層の被覆をのせている。この面を仁淀(によど)川上流域の支流河川が削剥(さくはく)し、いわゆる梨棚(なしたな)式に二名(にみょう)、露峰(つゆみね)、久万、畑野川、直瀬(なおせ)、笠方(かさがた)の小盆地群を形成している。盆地周辺には老年期性山地が配列し、高原上の河川は側方侵食や埋積作用が盛んで、平衡状態に近い。盆地底の沖積地、周辺の洪積台地が広く、水田や畑地に利用されている。丘陵性山地では生産性の高い林業、茶、高冷地野菜などの生産が盛んである。

[深石一夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久万高原」の意味・わかりやすい解説

久万高原
くまこうげん

愛媛県中部,石鎚山脈南部,仁淀川上流域の冷涼な高原。標高約 1000m。伊予の北海道とも呼ばれる。かつては北海道,阿蘇とともに日本のトウモロコシの三大産地であった。古くから茶の栽培が発達。林業も盛んで,床柱用のスギの磨き丸太は京都北山に次ぐ特産である。皿ヶ嶺連峰県立自然公園に属する。

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