上黒岩岩陰遺跡(読み)かみくろいわいわかげいせき

日本歴史地名大系 「上黒岩岩陰遺跡」の解説

上黒岩岩陰遺跡
かみくろいわいわかげいせき

[現在地名]美川村上黒岩

面河おもご川との合流点から久万くま川を約二キロさかのぼった標高約三九七メートルの地点、東の河岸段丘上に西面する屏風状石灰岩の岩陰にある縄文遺跡。国指定史跡。この岩陰は夏涼しく冬暖かで雨露をしのぎ、原始古代人にも格好の安住地であったらしい。付近露出の石灰岩は風化し、地名のごとく黒岩にみえる。

昭和三六年(一九六一)からほぼ一〇年にわたる数度の発掘調査により、縄文草創―早期を主とする遺物を出した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上黒岩岩陰遺跡」の意味・わかりやすい解説

上黒岩岩陰遺跡
かみくろいわいわかげいせき

愛媛県上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町上黒岩にある縄文時代初頭の遺跡。土佐湾に注ぐ仁淀(によど)川の上流、久万(くま)川の右岸にあり、北東面に覆いかぶさるような石灰岩の断崖(だんがい)下にある岩陰遺跡である。南西面から一日中日差しを受けるため、標高約400メートルの高地にあるが冬でも暖かい。本遺跡の第9層からは、日本最古級の土器といわれる細隆起線文(さいりゅうきせんもん)土器や、有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)、緑泥片岩の扁平(へんぺい)な川原石で製作した線刻女人像などが出土した。この層から出土した木炭の放射性炭素C‐14の年代測定からは約1万2000年前の年代が得られた。第4層からは、縄文時代早期中ごろ(8000年前)の押型文(おしがたもん)土器と人骨20体以上が発掘された。国の史跡に指定(1971)。

[江坂輝彌]

『日本考古学協会洞穴遺跡調査特別委員会編『日本の洞穴遺跡』(1967・平凡社)』

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国指定史跡ガイド 「上黒岩岩陰遺跡」の解説

かみくろいわいわかげいせき【上黒岩岩陰遺跡】


愛媛県上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町上黒岩にある縄文時代の岩陰遺跡。「岩陰遺跡」とは張り出した岩盤を屋根代わりに利用した遺跡のことで、上黒岩遺跡は、久万川右岸の河岸段丘にある高さ約30mの屏風状の石灰岩の断崖下にある。1961年(昭和36)、中学生だった竹口義照が見つけた土器片がきっかけで、同年から5回にわたる調査の結果、縄文時代草創期から後期までの1万年近くにわたって使われてきた岩陰であることが判明した。1971年(昭和46)に国の史跡に指定された。第1層から第9層までに遺物が包含され、とくに第4層の縄文時代早期における20体をこえる埋葬人骨や第9層の繩文時代創草期における細隆線文土器、有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)、削器、礫器(れっき)、礫石に線刻した岩版などの遺物は、この時代最古の遺物であり貴重な資料となっている。注目される出土物に鹿の角の投げ槍が刺さった腰骨がある(第4層)。経産婦の腰骨であり、同様の傷はほかにもあることから、戦闘によるものではなく、生前または死後まもなく突き刺れたものであって、死後儀礼の可能性もあるといわれる。また、女神像を線刻した礫(第9層)も注目される。ビーナス像といわれ、鋭利な剥片石器を用いて女性像を礫に描いたもので、信仰の対象だった可能性が指摘されている。こうした女性像が出土したのは日本では初めてであり、同じ地層からおよそ1万2000年前の、発見当時としては世界最古級の土器も出土した。出土品は上黒岩遺跡考古館に展示されており、岩陰内の遺物包含層は科学的処理によって固められて保存され、断面を観察できる。JR予讃線松山駅からジェイアール四国バス「上黒岩遺跡前」下車、徒歩すぐ。

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改訂新版 世界大百科事典 「上黒岩岩陰遺跡」の意味・わかりやすい解説

上黒岩岩陰遺跡 (かみくろいわいわかげいせき)

愛媛県上浮穴郡久万高原町の旧美川村上黒岩にある,旧石器時代晩期から縄文早期にかけての岩陰遺跡。国道33号線が走る仁淀川の支流久万川に沿い,標高約396m付近にあり,河床よりの高さ約10mである。岩陰を構成する屛風状の岩壁は石灰岩で,この石灰岩壁の下に遺跡が発見された。発掘調査の行われたのは1961-62年で,上部の押型文土器の包含される層からは10体以上の埋葬人骨が発見され,縄文早期の人骨研究に重要な資料を提供した。またこの遺跡を特徴づける他の重要な発見として,下層から隆線文系の土器と有舌尖頭器,2種類の線刻礫の出土があげられる。線刻礫は扁平な緑泥片岩礫に二つのタイプの線刻が施されており,それは男性と女性を示すものと考えられている。類例は知られていない。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「上黒岩岩陰遺跡」の解説

上黒岩岩陰遺跡
かみくろいわいわかげいせき

愛媛県久万(くま)高原町にある縄文草創・早期の遺跡。久万川右岸の段丘上に屏風のように張りだした石灰岩壁にある。1961年(昭和36)に発見され,同年から70年までに5回発掘された。約8mの深さまで掘られ,早期の埋葬人骨20体以上,鹿骨製槍先が貫通した人の腰骨,下層からは草創期の細隆線文土器・有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)や,女性を描いた緑泥片岩製の線刻礫(れき)が発見された。国史跡。

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百科事典マイペディア 「上黒岩岩陰遺跡」の意味・わかりやすい解説

上黒岩岩陰遺跡【かみくろいわいわかげいせき】

愛媛県上浮穴(かみうけな)郡美川村,久万川上流右岸の断崖下にある縄文時代草創期・早期の遺跡。第9層からは縄文草創期の細隆起線文土器片,有舌尖頭(せんとう)器とともに女性像を線刻した小礫(れき)が出土した。

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世界大百科事典(旧版)内の上黒岩岩陰遺跡の言及

【土偶】より

…エジプトでは先王朝時代に墓に副葬された土偶がある。 日本では土偶は縄文時代草創期になって作られるようになるが,先縄文時代のナイフ形石器に伴ってコケシ形石製品と呼ばれる一種の岩偶が大分県岩戸遺跡から出土しており,また愛媛県上黒岩岩陰遺跡では,長さ5cmほど,幅3cm前後の扁平な緑泥片岩で,長い頭髪や乳房,腰蓑を表現する線刻のある礫が,草創期の隆起線文土器とともに出土している。女性を示す点,土偶との共通性をみせる。…

※「上黒岩岩陰遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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