井上財政(読み)いのうえざいせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上財政」の意味・わかりやすい解説

井上財政
いのうえざいせい

1929年(昭和4)7月から1931年12月までの民政党内閣(浜口雄幸(おさち)・若槻(わかつき)礼次郎両内閣)の蔵相井上準之助が実行した金輸出解禁を軸とする緊縮財政協調外交とともに金解禁、財政緊縮、産業合理化等を十大政綱とした浜口内閣の蔵相となった井上は、直ちに財政の緊縮、為替相場の回復、正貨の蓄積などの準備を進め、さらに英米銀行団に1億円のクレジットを設定したうえで、1929年11月に予告して翌1930年1月11日より旧平価での金解禁を実施した。井上の構想は、金解禁と緊縮財政によって通貨価値と為替相場の安定を図り、同時に産業合理化を進めて国内物価水準を引き下げ、輸出を伸長して国際収支の均衡を回復することにあった。しかし、解禁による不況と前年アメリカに端を発した世界恐慌波及が重なり、1930年3月以降日本経済は深刻な恐慌に陥り(昭和恐慌)、予想以上に貿易収支が悪化して多額の正貨が流出した。しかも1931年秋には国際金本位制中心であるイギリスが金本位制を停止したため、日本の金輸出再禁止を見越したドル買いが激しくなり、井上はこれにドル売りと公定歩合引上げで対抗したが、1931年12月11日内閣が総辞職したため、井上財政は終止符を打った。

大石嘉一郎

『高橋亀吉著『大正昭和財界変動史 中・下』(1955・東洋経済新報社)』『宮本憲一著「昭和恐慌と財政政策」(川合一郎ほか編『講座日本資本主義発達史論 Ⅲ』1968・日本評論社)』『長幸男著『昭和恐慌』(岩波新書)』

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百科事典マイペディア 「井上財政」の意味・わかりやすい解説

井上財政【いのうえざいせい】

1929年7月から1931年12月に至る浜口雄幸・若槻礼次郎内閣の時期における,蔵相井上準之助の金輸出解禁に伴うデフレ的な財政政策。旧平価に基づく金解禁政策による為替相場の引上げ,それによる輸出減・輸入増に伴う金の流出を防ぐため,財政の縮小,民間消費の抑制によって物価を引き下げようとした。しかし,このような政策は不況を伴い,大恐慌の影響もあって不況の波は非常に大きなものとなった(昭和恐慌)。井上は基本的に金解禁政策の路線を曲げなかったが,1931年の内閣倒壊後,後継の犬養毅内閣の高橋是清蔵相は,金輸出の再禁止,財政支出の拡大を行い,政策を転換した。→高橋財政

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世界大百科事典(旧版)内の井上財政の言及

【井上準之助】より

…32年血盟団員小沼正に暗殺された(血盟団事件)。その財政政策は世界恐慌で失敗はしたものの,〈井上財政〉と呼ばれ,一時期を画した。【坂本 雅子】。…

【金解禁】より

…金本位制停止が続いたために八方ふさがり状態におちいった日本経済は,緊縮政策と金解禁によって一時の苦悩を味わうが,産業合理化を進めて国際競争力を強化すれば,やがて真の好景気を迎えることができるというのが井上の主張であった。1920年代の日本経済が,金本位制停止下にあって国際競争力の弱さと国際収支の赤字に悩んだ事態に対処して,日本経済と企業経営を鍛えなおそうとするのが井上財政であった。しかし,1929年秋には世界経済を長く深刻な恐慌にみちびくアメリカの恐慌がはじまった。…

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