交通政策(読み)こうつうせいさく

改訂新版 世界大百科事典 「交通政策」の意味・わかりやすい解説

交通政策 (こうつうせいさく)

たとえば古代ローマ帝国にみるごとく,交通路の確保は軍事上の目的あるいは交易の促進にとって不可欠であったから,政府は交通路の整備に強い関心を抱いてきた。鉄道が出現する19世紀半ば以前にも,イギリスやアメリカで政府がターンパイクと呼ばれる有料道路や運河の料金決定に干渉した。このように,いつの時代でも,どの国でも,政府は自国の交通の発展と維持のために交通市場に対して政策介入を行ってきた。しかし政府の交通政策は,交通の技術革新や経済発展が交通市場に変化をもたらすと,それに応じて変化した。抽象的に述べられる交通政策の基本目標が変わらなくても,交通市場における交通手段間の競争の状態が変化すれば,具体的な政策も変わらざるをえない。19世紀半ばに鉄道が出現してからの先進国の交通政策の変遷は,交通市場の変化を反映している。

交通政策の基本的な目標は〈人と物の円滑な移動可能性mobilityを確保して経済の発展と国民生活の向上に資することである〉と運輸政策審議会の1981年の答申〈長期展望に基づく総合的な交通政策の基本方向〉は述べている。イギリスの1977年の交通白書でも,工業,商業,農業に効率的な交通サービスを供給することを通じて経済成長と国の繁栄に貢献すること,社会を構成する個人に対して適切な水準の移動可能性を保証すること,そして交通に随伴する事故や環境の悪化等の有害な影響をできるだけ少なくすることを交通政策の目的としている。このように交通政策の基本的な目的は各国とも共通している。

 この目的を達成するための一連の具体的な枠組みは,それぞれの時代の経済・社会の情勢に対応して異なる。近代統一国家を建設した明治政府は富国強兵殖産興業を旗印に,鉄道の建設を推進した。第2次世界大戦直後は経済復興のために戦災で破壊された交通施設の再建を最重点にし,高度経済成長期には経済成長とともに急速に増大する輸送需要に対処するために輸送能力の増強を優先させた。19世紀のアメリカ政府は国土開発のために鉄道網の発達を図り,鉄道会社に対して鉄道用地と沿線の土地を提供するなどの援助を行った。しかし,発達した鉄道が運河を衰退させて交通市場において独占を確立し,独占の弊害が目だつようになると,政府は独占の弊害を抑えるために種々の規制を実施した。さらに第1次世界大戦後,自動車交通が発達し,鉄道と自動車輸送との間の競争,および自動車運送業内部での競争が激しくなると,過度の競争を抑える規制が導入された。このように,交通市場に変化が生じたとき,どのような交通政策の枠組みを採用すべきかが問題になる。先進諸国がこの問題にまともに直面したのは,イギリス,アメリカで1920年代後半から30年代にかけて,自動車輸送が発達して鉄道の独占が失われ,交通市場において両者の競争が激しくなったときであった。日本では1960年代後半から70年代へかけて同じ問題が生じた。今日では,航空,フェリーが加わって交通市場における競争はいっそう激しくなっている。交通市場が鉄道独占の市場から複数交通手段の競争市場へ変化したとき,政府は,どの程度まで,どのように市場へ介入すべきかが問題になる。とくに先進諸国の政府が,経営の悪化した鉄道の処置を迫られたとき,政府の交通市場への介入をいっそう拡大強化するという考え方と,市場の競争を尊重して政府の介入を最小限にとどめるという考え方が対立した。

一般に交通の場合には,通常の財やサービスの場合とは異なり,政府の市場介入が不可欠であると考えられてきた。交通市場への政府の介入を正当化する理由は,(1)市場機構が有効に働かず,市場の競争に任せると資源の最適配分が達成されない,(2)市場の競争にゆだねるならば,一部の国民に対して最低必要な移動可能性を保証できなくなる--の2点である。(1)は市場の失敗であり,このような理由の場合,政府は(a)鉄道がその典型であるが,費用逓減の現象が存在し,自然的独占のケースであるから自由競争は資源の浪費をもたらすこと,(b)騒音,排気ガス,振動等の公害による外部不経済が存在すること,(c)交通施設に対する投資は完了までに長い年月を要するので将来についての不確実性が大きいこと--を考慮しながら,資源配分の適正化をはかるために直接市場を規制する必要がある。(2)の理由の場合,たとえば交通需要が著しく小さいために運賃収入で費用を償うことができないような地域では,公共交通機関は経営が成り立たないので交通サービスを提供しなくなる。したがって自家用車を利用できない住民の足を確保するために,政府が補助政策を行う必要がある。(1),(2)のほかに,交通の安全を確保するためにも政府による規制が必要である。

 交通政策の枠組みを形づくる政策手段は,大別して投資,課税・補助,交通事業の直営,法的規制,許認可からなっている。投資は,政府が道路,公共港湾,空港等をみずから建設・管理することである。課税・補助は,交通サービスの費用を増加あるいは減少させることを通じて交通サービスの消費を減少あるいは増加させる政策手段である。巨額の費用がかかる地下鉄の建設費に対する補助はこの例である。公害を発生させる交通手段に課税したり,政府が行う公害対策の経費を課税によって負担させる方式もこの例である。交通事業の直営は,国有鉄道や地方公営交通のように,独占の弊害を防ぐために私企業にゆだねる代りに,国や地方自治体が直接交通事業の経営に当たることである。鉄道国有化については,しばしば軍事上の配慮や収入確保という財政上の目的が加えられた。法的規制は,交通事業者あるいは利用者の行動に法的規制を課することで,交通事業者の運送引受け義務,運賃公示義務,利用者の危険物持込み禁止,自動車の車両検査等の例がある。運輸行政がしばしば許認可行政と同一視されるように,許認可は主要な交通政策の手段である。許認可は事業免許と運賃認可の2本の柱からなる。事業免許は交通施設の二重投資による資源の浪費を防いだり,交通市場において競争が行き過ぎないように供給を統制する役割をもっている。運賃認可は,交通事業者が不当に大きな利潤を得たり,不当な運賃差別を行うことがないように運賃を規制するものである。運賃の規制はJR,民営鉄道,航空,バス,トラック運送,タクシーハイヤー,海運のすべての運送事業に及んでいる。

第1次世界大戦後から鉄道と自動車運送の競争が激化しつつあったイギリス,アメリカでは,1929年に始まった世界大不況によって輸送需要が減少し,競争がいっそう激しくなったとき,政府は鉄道と自動車運送との間の競争および自動車運送業内部の競争を規制し,政府の市場介入を通じてこれらの交通手段の調整co-ordinationないし統合化integrationをはかった。しかし,政府の競争規制政策は必ずしもよい結果をもたらさなかった。その理由として(1)政府が交通需要の変化など交通市場の変化を正確に把握する能力に欠けていたこと,(2)自家用乗用車や自家用トラックの存在によって,鉄道や自動車運送事業の競争を規制しただけでは交通市場の競争を完全に統制できなかったこと,(3)独占時代に課された鉄道に対する規制が鉄道の競争力を弱めたこと,(4)交通事業者に対する規制が政治的圧力によってゆがめられ,彼らを競争の圧力から保護するようになったこと,(5)競争条件に影響を与える技術革新をかえって妨げる役割を果たしたこと--などがあげられている。加えて,政府の規制行政のための組織が巨大化し,規制行政に要する経費が膨張したので,政府の市場介入に対する批判が強まった。そこでイギリスやアメリカでは,しだいに交通市場に対する政府の介入,すなわち規制を緩和して,市場の競争に任せる方向へ移り,この傾向は1970年代に入っていっそう顕著になっている。イギリスは50年代に入ってまず国鉄に対する規制の緩和を始め,60年代末にはトラック運送業の規制緩和,80年にはバス事業についても規制緩和を行った。一方,アメリカも78年に民間航空規制緩和法を制定し,80年にトラック運送業の規制緩和を行った。このように両国は,いずれも交通政策の目的である効率的な交通を規制によってではなく,市場の競争を通じてつくり出す政策へ転換している。

 日本の交通市場は,1960年代半ばからしだいに競争的になってきていたが,高い経済成長に支えられた交通需要の増大によって目だたなかった。しかし,70年代の2度の石油危機などで経済成長が鈍化し,交通需要の増加が停滞するとともに交通市場における競争が一段と激しくなった。国鉄の独占は失われ,交通市場が競争的になっているにもかかわらず,国鉄に対する独占を前提にした規制が存続した。国鉄に対する細微にわたる規制は,交通市場における国鉄の地位低下の一因となった。すでに交通市場において競争化が進行しているので,規制によって競争を全面的に抑制することは不可能である(日本国有鉄道は1987年に分割・民営化)。

 現代の交通政策の課題は,多様化した交通手段それぞれの特性を生かして人や物の移動可能性を効率的に確保することである。今日では,各交通手段は,一方で相互に代替的であるが,他方では相互に補完的である。たとえばトラック輸送は鉄道と貨物を奪い合う競争関係にあるが,他方では鉄道貨物を駅からあるいは駅まで輸送する端末の輸送を行う点で補完的な役割も果たしている。このように,一面で相互に競争関係にあり,他面で補完協調の関係にある複数の交通手段を適切に組み合わせて,国民に効率的な交通サービスを提供しようとするのが,総合交通政策あるいは総合交通体系の考え方である。日本政府は1971年に総合交通体系を策定したが,その後,73年と79年の2度にわたる石油危機によって経済成長が鈍化したので,81年にその見直しを行った。同年の運輸政策審議会の答申は,総合交通政策の目的を達成するために交通部門において〈競争すべきところは競争するが,協調すべきところは協調し,相互に連携し補完しあっていく〉という協調と連携補完の原理を主張した。また,91年に運輸政策審議会は21世紀に向けての1990年代の交通政策の基本的な考え方として,(1)利用者の視点に立脚し,(2)社会的要請に積極的に対応し,(3)国際的な視野に立った取組みを行い,(4)効率性と社会的公正の調和を確保し,(5)他部門の政策との連携を強化し,(6)21世紀への長期展望に立って早期に推進,という基本的な考え方に基づく交通政策を答申した。
交通計画 →交通投資
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「交通政策」の意味・わかりやすい解説

交通政策
こうつうせいさく

交通問題の緩和・解決のために、そしてよりよい交通社会の実現のために、政府や地方自治体が行う施策。政府や地方自治体が交通サービスを提供する民間事業者に政策介入することもあれば、政府や地方自治体が直接交通サービスを供給することもあり、これらはいずれも交通政策の一環である。

 交通サービスには、軍事的な意味もあって、国家による政策介入が昔から強く行われていた。道路整備や空港整備などは主として国家の役割であったし、それらを運営する事業主体も国有会社で行われることが多かった。日本の1906年(明治39)の鉄道国有法はその代表例である。したがって、交通政策の果たす役割はかなり重要で、その介入の度合いも強かった。しかし現在では、利用者の利便性の向上(たとえば混雑問題の緩和)という観点や、シビル・ミニマムの確保(たとえば赤字ローカル線の維持)という観点などから、交通政策への要請が強まっている。

 許認可制から届出制に変更するなどの参入・退出規制や運賃規則の緩和など、1990年代以降の規制緩和の進展によって、従来よりも交通への公的介入(政策)の程度は低くなったといえる。しかし、これは交通政策の重要性が低くなったことを意味しない。混雑の緩和、赤字バス路線の維持、交通機関の安全の確保、民間独自ではむずかしい道路や港湾や空港などの交通社会資本の整備など、交通政策の果たす役割は依然大きい。また交通政策は、交通を直接の目的とするものだけでなく、マクロ経済政策上の観点から行われることもある。たとえば、景気浮揚のための公共事業としての道路建設、インフレ抑制を目的とした運賃の据置きなどは、その代表的なものである。

 交通問題は日常生活に直接影響が及ぶことが多いため、交通政策に対する世間の注目も大きい。そのため、一定の資源制約のなかで、できるだけ効果の大きい政策を、公正の観点も考えつつ実施する必要がある。さらに国際競争の激化に伴う国家間の競争という観点からの要請(たとえば使いやすい空港を提供することによる観光客の誘致など)も加わり、交通政策に求められる多様性は広がりつつある。

[竹内健蔵]

『藤井弥太郎監修、中条潮・太田和博編『自由化時代の交通政策――現代交通政策2』(2001・東京大学出版会)』『衛藤卓也監修、大井尚司・後藤孝夫著『交通政策入門』(2011・同文舘出版)』

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世界大百科事典(旧版)内の交通政策の言及

【自動車】より

…また,自動車を使用した犯罪の増加,性道徳の退廃にしても,社会における犯罪一般の増加,性道徳の低下そのものに根本的な原因がある。
[交通政策]
 自動車の大衆化,貨物自動車の急増に直面して採用された日本の交通政策の基本的な方向は,鉄道,バスなどの公共交通機関の利用者の減少と経営悪化を防ぐために自動車交通,とくに自家用車による交通を抑制することであった。自動車保有の急増とともに交通事故と公害が社会問題化したことも自動車交通を抑制する方向に作用した。…

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