伊勢流(読み)イセリュウ

デジタル大辞泉 「伊勢流」の意味・読み・例文・類語

いせ‐りゅう〔‐リウ〕【×勢流】

武家礼法一派。室町中期、伊勢貞親貞宗ころに形成され、江戸時代伊勢貞丈に至って大成された。
伊勢ふう

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精選版 日本国語大辞典 「伊勢流」の意味・読み・例文・類語

いせ‐りゅう ‥リウ【伊勢流】

〘名〙
① 武家典礼の流派の一つ。伊勢武蔵守満忠を祖とする。足利義政に仕えて政所職にあった伊勢貞親以降、代々足利幕府の殿中の作法の指導にあたった。元祿(一六八八‐一七〇四)頃からは小笠原流諸礼が盛行したため、だんだん非実用化した。
随筆・貞丈雑記(1784頃)一「我家に伝へ来る所の礼法、故実は、〈略〉足利流といふべき事なれども、世上にて左様にはいはず。伊勢流と云也」
※浮世草子・元祿大平記(1702)七「伊勢流(イセリウ)は松下見林」
③ 鞍打師の一流派。足利義満の臣伊勢貞継の孫貞長が鞍鐙(くらあぶみ)の製法を大坪道禅の高弟畠山中務少輔から受けて以来数代続いた。
※俳諧・俳論(1764)一「伊勢流〈略〉他国より呼んで世俗伊勢流と号する事此乙由より称す」
砲術の一派。佐伯毛利家の始祖、毛利伊勢守高政を祖とする。仙台藩二代目藩主、伊達忠宗も弟子の一人。
[語誌](1)①は室町後期においては、将軍家の傅育役、殿中の作法をとりしきる殿中総奉行、御厩別当などいわゆる故実礼式家として活躍した。
(2)徳川幕藩体制下になって、武家故実家として、旗本並みに祿されたが、武家儀礼の下問に答える家柄にとどまり、伊勢流は次第に衰えた。

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改訂新版 世界大百科事典 「伊勢流」の意味・わかりやすい解説

伊勢流 (いせりゅう)

武家諸礼式の一流。室町期には武家の儀礼形成が進んだが,その中でも足利将軍周辺の故実家として重んぜられたのが伊勢氏であった。伊勢氏は代々幕府政所職(執事)を世襲し,また幕府殿中の諸事を総轄していたため,もともと儀礼面とは深いかかわりをもっていたが,将軍義政の政所職貞親,その子貞宗のころから,伊勢氏は儀礼面の有識者として世の注目を浴びるようになった。彼らは将軍近侍としての必要性から,自家の職掌柄詳しい殿中諸儀礼のほか,装束,書札をはじめ,弓馬,甲冑,作鞍,軍陣故実などをも意欲的に学び,当時における屈指の故実家といわれた。後世の伊勢流故実の基盤もこの期に形成されている。室町幕府の崩壊後も,伊勢家の人々は織田豊臣,島津,近衛家などに故実家として重用され,貞衡が徳川家に仕え,江戸幕府の諸礼式に参与する幸運を得た。世に知られる江戸幕府の故実家伊勢貞丈も,こうした家系の中に生まれたのである。
有職故実
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旺文社日本史事典 三訂版 「伊勢流」の解説

伊勢流
いせりゅう

武家故実の一流派
伊勢氏は代々室町幕府の政所 (まんどころ) 執事として幕政に参画し,また小笠原流とともに礼法故実の権威者としても重きをなし,伊勢流の名が生まれた。江戸時代には幕府の礼法となり,子孫に伊勢貞丈 (さだたけ) がある。

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