コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

伊勢貞丈 いせさだたけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊勢貞丈
いせさだたけ

[生]享保2(1717)
[没]天明4(1784).6.5. 江戸
江戸時代中期の故実家。通称,平蔵。号,安斎。室町幕府の礼儀,作法を司る伊勢氏の子孫で,江戸幕府に仕えた。有職故実,特に武家故実の研究家として第一人者。『貞丈雑記』 (16巻) ,『安斎随筆』 (30巻) ,『安斎雑考』 (20巻) をはじめ著書多数。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

いせ‐さだたけ【伊勢貞丈】

[1717~1784]江戸中期の有職(ゆうそく)故実家。江戸の人。号、安斎。家学の伊勢流を継ぎ、武家の故実を大成。著「貞丈雑記」「安斎随筆」など。いせていじょう。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

伊勢貞丈【いせさだたけ】

江戸中期の故実家。伊勢流礼法家貞益の子。通称は平蔵,号は安斎。10歳で家督を継ぐ。公武両面の故実を考究,中世以降の制度・典章・器物・服飾にわたる精密な著述がある。
→関連項目伊勢氏

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊勢貞丈 いせ-さだたけ

1718*-1784 江戸時代中期の有職(ゆうそく)家。
享保(きょうほう)2年12月28日生まれ。伊勢貞親(さだちか)の後裔(こうえい)。伊勢貞春の祖父。幕臣。享保11年早世した兄貞陳(さだのぶ)の跡をうけて10歳で家督をつぎ,延享2年小姓組にはいる。伊勢流故実を継承,家伝の古書を研究して綿密な考証をくわえ,「貞丈(ていじょう)雑記」「安斎(あんさい)随筆」「武器考証」など膨大な書物をあらわした。天明4年5月28日死去。68歳。通称は平蔵。号は安斎。
【格言など】万事みな堪忍を本とすべし。主君の敵父母の敵,此二つばかりは堪忍すべからず(「貞丈家訓」)

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

伊勢貞丈

没年:天明4.5.28(1784.7.15)
生年:享保2.12.28(1718.1.29)
江戸中期の和学者。有職故実に精通した。江戸の人。室町幕府の政所の執事を務めた伊勢氏の子孫で,伊勢貞益の子。通称は万助,兵庫,平蔵。号は安斎,銀郷散人。12歳のとき兄が病死し,その家督を継ぐ。31歳のとき,幕府御小姓組に入る。殿中の故実を伝えた伊勢流と称する家学に,当時の古儀再興から神道までを反映させた。それらは『貞丈雑記』『安斎随筆』『武器考証』など公武の故実諸分野にわたる多数の著書に残されている。<参考文献>『気吹舎筆叢』『古学小伝』『国学者伝記集成』

(白山芳太郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

いせさだたけ【伊勢貞丈】

1717‐84(享保2‐天明4)
江戸中期の故実家。通称平蔵,号は安斎。室町幕府の政所執事伊勢氏の末裔で,貞丈4代の祖貞衡が江戸幕府に仕えて以来,殿中の礼法故実を伝えて伊勢流と称した。兄の夭死により遺領のうち300石を領し,寄合に列した。貞丈の故実は,家学の上に,みずからの考証を加えて展開し,その内容は公武の故実,典礼作法から神道に及んでいる。主著に《貞丈雑記》《安斎随筆》《武器考証》などがある。【橋本 政宣】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

いせさだたけ【伊勢貞丈】

1717~1784) 〔「貞丈」は「ていじょう」とも〕 江戸中期の故実家。号、安斎。江戸の人。武家故実の考証で家学伊勢流の一時代を画した。著「貞丈雑記」「安斎随筆」「軍用考」など。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊勢貞丈
いせさだたけ
(1717―1784)

江戸中期の故実家。とくに武家故実の研究に一時期を画した。幕臣。通称平蔵、名は貞丈(「ていじょう」とも)、安斎、銀卿(ぎんけい)と号す。伊勢氏は室町幕府以来、小笠原(おがさわら)、今川両氏と並んで武家諸礼式、故実を家職とし、その伝統を伊勢流と称した。貞丈の父貞益(さだます)は家禄(かろく)の1000石を継ぎ、1717年(享保2)には8代将軍徳川吉宗(よしむね)の命により家伝の書52部・63巻を台覧に備えたが、25年、33歳の若さで死去し、その跡を継いだ兄貞陳(さだのぶ)もまた13歳で夭折(ようせつ)し、一家断絶の悲運にみまわれた。翌26年8月に至り、特旨により10歳の貞丈が家名を継ぐことを許されたが、家禄は大幅に削減されて、わずか300石を給せられた。
 こうした宗家の動揺・減知は、すでに元禄(げんろく)(1688~1704)前後から小笠原流に圧せられた伊勢流の退勢に拍車をかけたが、それだけに年少気鋭の貞丈にかける一門の期待は大きかった。貞丈は博覧強記、家伝の豊富な書籍を読破し、よく公武の故実に通じ、1745年(延享2)御小姓組(おこしょうぐみ)番士に列し、家名をあげた。その後も研究に専念し、その著述は武家の制度、典章、弓馬、武器武具、服飾などの分野に及び、実に300部を数える。そのうち『貞丈雑記』『安斎随筆』『安斎雑考』『安斎小説』『武器考証』『軍器考百首』『軍用記』『四季草』『座右書』『伊勢弓馬叢書(そうしょ)』『伊勢平蔵家訓』などが著名である。[渡邉一郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の伊勢貞丈の言及

【安斎随筆】より

伊勢貞丈の随筆。30巻。…

【包み】より

… 室町時代までは,〈包み〉の礼法は将軍家を中心とする上流階層にしか行われなかったが,江戸時代中期になると和紙が全国各地で大量に生産されるようになり,武士に限らず一般庶民の間でも広く用いられるようになった。先に述べた伊勢氏の中興の祖といわれる伊勢貞丈(さだたけ)(安斎)は江戸中期,宝暦年間に《包結図説(ほうけつずせつ)》を著したが,これは〈包の部〉と〈結の部〉の2部からなり,その前者において,包む中味や用途に従った各種の礼法が定められた。また内容物の端を包紙の上か下から少し出して,なかの物をわかるようにしたり,小さい物を包み込んでしまう場合には包紙の上に品物の名前と数量とを書くべく示されている。…

【貞丈雑記】より

伊勢貞丈(さだたけ)の著した有職故実書。16巻。…

※「伊勢貞丈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

伊勢貞丈の関連キーワード備後国恩田杢義山皇輿全覧図護持院越谷吾山大丸中津城叉手浜松大空襲

今日のキーワード

金城湯池

1 《「漢書」蒯通伝から。「湯池」は熱湯をたたえた堀》守りが非常に固く、攻めるのが難しい城。金湯。2 堅固で、他から侵害されにくい勢力範囲。「保守派の金城湯池」...

続きを読む

コトバンク for iPhone