伊勢貞丈(読み)イセサダタケ

デジタル大辞泉 「伊勢貞丈」の意味・読み・例文・類語

いせ‐さだたけ【伊勢貞丈】

[1718~1784]江戸中期の有職ゆうそく故実家。江戸の人。号、安斎。家学伊勢流を継ぎ、武家故実大成。著「貞丈雑記」「安斎随筆」など。いせていじょう。

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精選版 日本国語大辞典 「伊勢貞丈」の意味・読み・例文・類語

いせ‐さだたけ【伊勢貞丈】

  1. 江戸中期の有職故実家。号安斎。江戸の人。家学伊勢流を継ぎ、文献学的な考証によって武家の故実を大成。著書に「貞丈雑記」「安斎随筆」「軍用記」などがある。享保二~天明四年(一七一七‐八四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊勢貞丈」の意味・わかりやすい解説

伊勢貞丈
いせさだたけ
(1717―1784)

江戸中期の故実家。とくに武家故実の研究に一時期を画した。幕臣通称平蔵、名は貞丈(「ていじょう」とも)、安斎、銀卿(ぎんけい)と号す。伊勢氏室町幕府以来、小笠原(おがさわら)、今川両氏と並んで武家諸礼式、故実を家職とし、その伝統を伊勢流と称した。貞丈の父貞益(さだます)は家禄(かろく)の1000石を継ぎ、1717年(享保2)には8代将軍徳川吉宗(よしむね)の命により家伝の書52部・63巻を台覧に備えたが、25年、33歳の若さで死去し、その跡を継いだ兄貞陳(さだのぶ)もまた13歳で夭折(ようせつ)し、一家断絶の悲運にみまわれた。翌26年8月に至り、特旨により10歳の貞丈が家名を継ぐことを許されたが、家禄は大幅に削減されて、わずか300石を給せられた。

 こうした宗家の動揺・減知は、すでに元禄(げんろく)(1688~1704)前後から小笠原流に圧せられた伊勢流の退勢に拍車をかけたが、それだけに年少気鋭の貞丈にかける一門の期待は大きかった。貞丈は博覧強記、家伝の豊富な書籍を読破し、よく公武の故実に通じ、1745年(延享2)御小姓組(おこしょうぐみ)番士に列し、家名をあげた。その後も研究に専念し、その著述は武家の制度、典章、弓馬、武器武具、服飾などの分野に及び、実に300部を数える。そのうち『貞丈雑記』『安斎随筆』『安斎雑考』『安斎小説』『武器考証』『軍器考百首』『軍用記』『四季草』『座右書』『伊勢弓馬叢書(そうしょ)』『伊勢平蔵家訓』などが著名である。

[渡邉一郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「伊勢貞丈」の意味・わかりやすい解説

伊勢貞丈 (いせさだたけ)
生没年:1717-84(享保2-天明4)

江戸中期の故実家。通称平蔵,号は安斎。室町幕府の政所執事伊勢氏の末裔で,貞丈4代の祖貞衡が江戸幕府に仕えて以来,殿中の礼法故実を伝えて伊勢流と称した。兄の夭死により遺領のうち300石を領し,寄合に列した。貞丈の故実は,家学の上に,みずからの考証を加えて展開し,その内容は公武の故実,典礼作法から神道に及んでいる。主著に《貞丈雑記》《安斎随筆》《武器考証》などがある。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊勢貞丈」の解説

伊勢貞丈 いせ-さだたけ

1718*-1784 江戸時代中期の有職(ゆうそく)家。
享保(きょうほう)2年12月28日生まれ。伊勢貞親(さだちか)の後裔(こうえい)。伊勢貞春の祖父。幕臣。享保11年早世した兄貞陳(さだのぶ)の跡をうけて10歳で家督をつぎ,延享2年小姓組にはいる。伊勢流故実を継承,家伝の古書を研究して綿密な考証をくわえ,「貞丈(ていじょう)雑記」「安斎(あんさい)随筆」「武器考証」など膨大な書物をあらわした。天明4年5月28日死去。68歳。通称は平蔵。号は安斎。
【格言など】万事みな堪忍を本とすべし。主君の敵父母の敵,此二つばかりは堪忍すべからず(「貞丈家訓」)

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朝日日本歴史人物事典 「伊勢貞丈」の解説

伊勢貞丈

没年:天明4.5.28(1784.7.15)
生年:享保2.12.28(1718.1.29)
江戸中期の和学者。有職故実に精通した。江戸の人。室町幕府の政所の執事を務めた伊勢氏の子孫で,伊勢貞益の子。通称は万助,兵庫,平蔵。号は安斎,銀郷散人。12歳のとき兄が病死し,その家督を継ぐ。31歳のとき,幕府御小姓組に入る。殿中の故実を伝えた伊勢流と称する家学に,当時の古儀再興から神道までを反映させた。それらは『貞丈雑記』『安斎随筆』『武器考証』など公武の故実諸分野にわたる多数の著書に残されている。<参考文献>『気吹舎筆叢』『古学小伝』『国学者伝記集成』

(白山芳太郎)

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百科事典マイペディア 「伊勢貞丈」の意味・わかりやすい解説

伊勢貞丈【いせさだたけ】

江戸中期の故実家。伊勢流礼法家貞益の子。通称は平蔵,号は安斎。10歳で家督を継ぐ。公武両面の故実を考究,中世以降の制度・典章・器物・服飾にわたる精密な著述がある。主著《貞丈雑記》《安斎随筆》《武器考証》《鎧着用次第》など。→有職故実
→関連項目伊勢氏

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊勢貞丈」の意味・わかりやすい解説

伊勢貞丈
いせさだたけ

[生]享保2(1717)
[没]天明4(1784).6.5. 江戸
江戸時代中期の故実家。通称,平蔵。号,安斎。室町幕府の礼儀,作法を司る伊勢氏の子孫で,江戸幕府に仕えた。有職故実,特に武家故実の研究家として第一人者。『貞丈雑記』 (16巻) ,『安斎随筆』 (30巻) ,『安斎雑考』 (20巻) をはじめ著書多数。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伊勢貞丈」の解説

伊勢貞丈
いせさだたけ

1717.12.28~84.5.28/6.5

江戸中期の幕臣・有職故実家。通称平蔵,号は安斎。幕府の寄合・御小姓組番士。伊勢家は室町幕府政所執事の家柄で礼法に精通し,江戸幕府にも仕えた。兄貞陳が夭折して断絶したが,弟の貞丈が再興。とくに武家故実に詳しく第一人者とされる。著書「貞丈(ていじょう)雑記」「安斎随筆」「軍用記」「武器考証」など多数。

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旺文社日本史事典 三訂版 「伊勢貞丈」の解説

伊勢貞丈
いせさだたけ

1717〜84
江戸中期の有職故実 (ゆうそくこじつ) 家・幕臣
号は安斎。室町時代の伊勢氏の後裔。武家の制度・典章・調度・器具・服装などにくわしく,精密な考証によって多くの書を著した。主著に『貞丈 (でじよう) 雑記』『安斎雑考』『貞丈家訓』など。

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367日誕生日大事典 「伊勢貞丈」の解説

伊勢貞丈 (いせさだたけ)

生年月日:1717年12月28日
江戸時代中期の和学者
1784年没

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世界大百科事典(旧版)内の伊勢貞丈の言及

【安斎随筆】より

伊勢貞丈の随筆。30巻。…

【包み】より

… 室町時代までは,〈包み〉の礼法は将軍家を中心とする上流階層にしか行われなかったが,江戸時代中期になると和紙が全国各地で大量に生産されるようになり,武士に限らず一般庶民の間でも広く用いられるようになった。先に述べた伊勢氏の中興の祖といわれる伊勢貞丈(さだたけ)(安斎)は江戸中期,宝暦年間に《包結図説(ほうけつずせつ)》を著したが,これは〈包の部〉と〈結の部〉の2部からなり,その前者において,包む中味や用途に従った各種の礼法が定められた。また内容物の端を包紙の上か下から少し出して,なかの物をわかるようにしたり,小さい物を包み込んでしまう場合には包紙の上に品物の名前と数量とを書くべく示されている。…

【貞丈雑記】より

伊勢貞丈(さだたけ)の著した有職故実書。16巻。…

※「伊勢貞丈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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