日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉増剛造」の意味・わかりやすい解説
吉増剛造
よしますごうぞう
(1939― )
詩人。東京生まれ。1945年(昭和20)和歌山に疎開。第二次世界大戦後、東京へ移住。慶応義塾大学国文科卒業。『三田詩人』を復刊。同人誌『ドラムカン』を出して注目されるようになる。処女詩集『出発』(1964)にすでにエネルギーの爆発があるが、第1回高見順賞を受賞した『黄金詩篇(しへん)』(1970)に至って、「狂気を呼びこみ」「一切の説明的なるものを笑殺しつつ飛翔(ひしょう)し炸裂(さくれつ)する」「神速の行動者」(大岡信)となった。1970年から翌年にかけてアメリカ詩人アカデミーの招きでアイオワ大学に留学。1992年(平成4)から1994年まではブラジルのサンパウロに滞在。国内にいても絶えず居を移し、一か所に長くとどまっていたことがない。詩集に『王国』(1973)、『草書で書かれた、川』(1977)、『熱風』(1979。歴程賞)、『静かな場所』(1981)、『大病院脇に聳(そび)え立つ一本の巨樹への手紙』(1983)、『オシリス、石ノ神』(1984。現代詩花椿(はなつばき)賞)、『螺旋(らせん)歌』(1990。詩歌文学館賞)、『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』(1998。芸術選奨文部大臣賞)ほかがある。疾走することばが歩行へと移行、そこに「西行(さいぎょう)にも芭蕉(ばしょう)にも釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫(しのぶ))にもなかった『優しみ』、恐らく日本文学史上唯一無二と言っていいものであるかもしれぬ『優しみ』」(松浦寿輝(ひさき)、1954― )があり、読む者をひきつける。時代の先端をいく、きわめて多産な現代詩人で、これほど多くの文学賞を受賞した詩人は少ない。詩の朗読を試み、写真展「アフンルパルへ」「心に刺青(いれずみ)をするように」ほかを国内外で開催。評論に『緑の都市、かがやく銀』(1986)、『透谷(とうこく)ノート』(1987)、『打ち震えていく時間』(1987)、『生涯は夢の中径(なかみち)――折口信夫と歩行』(1999)などがある。
[首藤基澄]
『『黄金詩篇』(1970・新潮社)』▽『『現代詩文庫41 吉増剛造詩集』『現代詩文庫115 続・吉増剛造詩集』『現代詩文庫116 続続・吉増剛造詩集』(1971、1994・思潮社)』▽『『詩集 草書で書かれた、川』(1977・思潮社)』▽『『吉増剛造詩集 出発』『吉増剛造詩集 王国』(1977、1978・河出書房新社)』▽『『熱風a thousand steps』(1979・中央公論社)』▽『『大病院脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙』(1983・中央公論社)』▽『『オシリス、石ノ神』(1984・思潮社)』▽『『緑の都市、かがやく銀』(1986・小沢書店)』▽『『打ち震えていく時間』(1987・思潮社)』▽『『透谷ノート』(1987・小沢書店)』▽『『螺旋歌』(1990・河出書房新社)』▽『『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』(1998・集英社)』▽『『生涯は夢の中径――折口信夫と歩行』(1999・思潮社)』▽『『花火の家の入口で』新装版(2001・青土社)』▽『『燃えあがる映画小屋』(2001・青土社)』▽『『剥き出しの野の花』(2001・岩波書店)』