土井辰雄(読み)ドイタツオ

デジタル大辞泉 「土井辰雄」の意味・読み・例文・類語

どい‐たつお〔どゐたつを〕【土井辰雄】

[1892~1970]カトリック司祭宮城の生まれ。駐日教皇使節秘書をへて東京大司教。日本人初の枢機卿すうききょうとなる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「土井辰雄」の意味・わかりやすい解説

土井辰雄
どいたつお
(1892―1970)

カトリック指導者。洗礼名ペトロ。仙台市出身。1920年(大正9)ローマ・ウルバノ大学卒業。1921年カトリック司祭になる。1921年から1933年(昭和8)まで東北地方の諸教会司牧(しぼく)にあたった。1933年から4年間、駐日教皇使節マレラ大司教Paolo Marella(1895―1984)の秘書を務め、1937年に東京大司教に任命された。1960年(昭和35)に日本人として最初の枢機卿(すうききょう)にあげられた。日本カトリック司教協議会初代会長。軍国主義の嵐(あらし)吹きすさぶ時代、カトリック教会風前のともしびであったが、謙譲で温厚篤実な人柄なかにも東北人特有の粘り強さと賢明な指導で、カトリック教会を救ったといわれる。

[越前喜六 2018年3月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土井辰雄」の意味・わかりやすい解説

土井辰雄
どいたつお

[生]1892.12.22. 仙台
[没]1970.2.21. 東京
カトリックの聖職者,東京大司教,日本最初の枢機卿。第二高等学校を経てローマの教皇庁立プロパガンダ大学に哲学神学を学ぶ。 1920年帰国,21年司祭となり,一関気仙沼若松伝道従事。 34年,駐日教皇使節秘書に抜擢され,38年,バチカンによる日本教会の邦人化政策により東京大司教に任じられた。第2次世界大戦中は教皇使節マレラ大司教と緊密に協力しつつ,軍部圧迫から弱小な日本カトリック教会を守るために肝胆を砕いた。 41年,宗教団体法の成立とともに日本天主公教団の設立を認められてその統理となり,神社参拝を容認した。戦後は教会の復興に努力し,その功によって 60年枢機卿に任じられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土井辰雄」の解説

土井辰雄 どい-たつお

1892-1970 大正-昭和時代のカトリック指導者。
明治25年12月22日生まれ。二高を卒業後,ローマのウルバノ大に留学して哲学と神学をおさめる。大正10年司祭。駐日教皇使節の秘書をへて,昭和13年東京大司教。35年日本人初の枢機卿(すうききょう)となる。昭和45年2月21日死去。77歳。宮城県出身。洗礼名はペトロ。

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百科事典マイペディア 「土井辰雄」の意味・わかりやすい解説

土井辰雄【どいたつお】

ローマ・カトリック教会の枢機卿,東京大司教。仙台市出身。旧制二高卒後,ローマに留学。帰国後は司祭として東北地方の教会で働き,戦争中はカトリック教会を統合して日本天主公教団と称し,軍部から信徒を守った。1960年日本人初の枢機卿。

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