小野金六(読み)おの・きんろく

朝日日本歴史人物事典 「小野金六」の解説

小野金六

没年:大正12.3.11(1923)
生年嘉永5.8.18(1852.10.1)
明治大正期の実業家。甲州巨摩郡河原部村(韮崎市)で酒造業を営む富屋の次男。父は弥左衛門,母はうら。政商小野組に入るも破綻遭遇。明治13(1880)年第十銀行に入行し,山梨経済界の重鎮である栗原信近若尾逸平に認められ18年甲信鉄道の創立に参画する。その後,東京割引銀行頭取や富士製紙社長をはじめ,両毛鉄道,日本練炭,東京電燈などの取締役を歴任した。早くから桂川水力発電に目を付け,大正1(1912)年富士身延鉄道(JR東海身延線)を設立し,7年富士北麓開発を企画するなど,甲州財閥の実業人として山梨県の地域開発に尽力した。

(齋藤康彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野金六」の解説

小野金六 おの-きんろく

1852-1923 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)5年8月18日生まれ。明治6年上京。13年山梨第十銀行東京支店長となり,26年東京割引銀行をつくり頭取に就任。東京市街鉄道,富士身延鉄道,富士製紙,日本電灯など数おおくの会社の設立・経営にかかわった。大正12年3月11日死去。72歳。甲斐(かい)(山梨県)出身

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世界大百科事典(旧版)内の小野金六の言及

【甲州財閥】より

…彼の株界引退を機に,その事業は新設の山一証券合資会社に譲渡された。小野金六は,1933年王子製紙に吸収されるまで,王子と業界を二分した富士製紙の創設に参加した。彼のおい穴水要七は富士製紙の経営を掌握し,同社は東電と並び〈甲州財閥の砦〉と称された。…

※「小野金六」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」