照国神社(読み)てるくにじんじや

日本歴史地名大系 「照国神社」の解説

照国神社
てるくにじんじや

[現在地名]鹿児島市照国町

しろ山の東麓、南泉なんせん院跡に鎮座祭神は明彦神勲照国命(照国大明神)すなわち鹿児島藩主島津斉彬。旧別格官幣社。文久三年(一八六三)朝廷は安政五年(一八五八)に没した島津斉彬の勲功を追賞して従三位権中納言とし、照国大明神の神号を与えた。翌元治元年(一八六四)鹿児島城の南、南泉院内に社殿を建立し、照国神社と号した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「照国神社」の意味・わかりやすい解説

照国神社
てるくにじんじゃ

鹿児島市照国町に鎮座。祭神は旧薩摩(さつま)藩主島津斉彬(なりあきら)公を照国大明神として祀(まつ)っている。斉彬は1809年(文化6)江戸にて出生生前とくに殖産興業に力を入れ、洋式兵器の充実、製錬所や反射炉を設置するとともに、電信・ガス灯の実験など各種の事業を一括して集成館を設立した。58年(安政5)50歳で生涯を閉じたが、63年(文久3)従三位権中納言(じゅさんみごんのちゅうなごん)を賜るとともに、照国大明神の神号が授けられ、城西南泉院の地に一社を創建、64年(元治1)鎮座祭が執行され、照国神社となった。73年(明治6)県社に列せられ、82年別格官幣社となった。太平洋戦争戦災にあった社殿は、1958年(昭和33)に造営なり、今日に至っている。例祭10月28日。7月15、16日は頌徳(しょうとく)祭が行われる。

[落合偉洲]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「照国神社」の意味・わかりやすい解説

照国神社
てるくにじんじゃ

鹿児島市照国町にある元別格官幣社。祭神は照国大明神 (島津斉彬 ) 。文久2 (1862) 年,天台宗南泉院内に斉彬を祀る祠がつくられたが,翌3年神号の下賜により社殿を造立して元治1 (64) 年に完成し,照国神社と称するようになった。社殿は 1877年の西南戦争と太平洋戦争によって焼失し,そのたびに再建された。社宝に 13世紀の「国宗」の銘のある太刀1口があり,国宝。身幅が広く,腰反りの高い鎌倉時代中期の名刀である。

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百科事典マイペディア 「照国神社」の意味・わかりやすい解説

照国神社【てるくにじんじゃ】

鹿児島市照国町に鎮座。旧別格官幣社。島津斉彬(なりあきら)をまつる。1864年の創建。1882年列格。例祭は10月28日。

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