王昌齢(読み)オウショウレイ

デジタル大辞泉 「王昌齢」の意味・読み・例文・類語

おう‐しょうれい〔ワウシヤウレイ〕【王昌齢】

[698~757]中国盛唐詩人京兆陝西せんせい省)の人。あざなは少伯。五言絶句にすぐれ、雄渾ゆうこん詩風生前から高く評価された。辺塞へんさい人の一人

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精選版 日本国語大辞典 「王昌齢」の意味・読み・例文・類語

おう‐しょうれい ワウシャウレイ【王昌齢】

中国盛唐期の詩人。字(あざな)は少伯。清新な着想で、七言絶句に秀で、李白と並び称された。代表作は「出塞」「芙蓉楼送辛漸」。(七〇〇頃‐七五五頃

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王昌齢」の意味・わかりやすい解説

王昌齢
おうしょうれい
(700?―755?)

中国、盛唐の詩人。字(あざな)は少伯。京兆(けいちょう)(陝西(せんせい)省西安(せいあん)市)あるいは江寧(こうねい)(江蘇(こうそ)省南京(ナンキン)市)の出身という。校書郎から氾水(はんすい)(河南省)の尉(い)となったが礼儀作法を無視し、江寧の丞(じょう)に左遷された。安禄山(あんろくざん)の乱のとき郷里に逃げ帰り、そこで刺史の閭丘暁(りょきゅうぎょう)に殺された。「七言絶句の聖人」と称され、辺塞(へんさい)や閨怨(けいえん)の詩に巧みであった。「青海長雲 雪山暗し/孤城遙(はる)かに望む 玉門関(ぎょくもんかん)/黄沙百戦 金甲を穿(うが)つも/楼蘭(ろうらん)を破(やぶ)らずんば終(つい)に還(かえ)らじ」(従軍行)。『王昌齢詩集』5巻、『詩格』1巻が伝わる。

[市川桃子]

『高木正一著『新訂中国古典選14 唐詩選 上』(1965・朝日新聞社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王昌齢」の意味・わかりやすい解説

王昌齢
おうしょうれい
Wang Chang-ling

[生]聖歴1(698)?
[没]天宝14(755)
中国,盛唐の詩人。『旧唐書』によれば京兆 (陝西省西安) ,『新唐書』『唐詩紀事』によれば江寧 (江蘇省南京) ,『唐才子伝』によれば太原 (山西省) の人。字は少伯。開元 15 (727) 年進士に及第,秘書省校書郎となった。のち氾水の尉となったが,素行が悪いかどで江寧の丞,竜標の尉と左遷された。その任地の名によって,王江寧ともまた王竜標とも呼ばれる。のち安史の乱にあって故郷に帰ったが,刺史の閭丘暁 (りょきゅうぎょう) に殺された。七言絶句の名手とされ,女性の恋の嘆きをうたう詩にすぐれ,また一方では辺境の守りをうたう詩でも,高適 (こうせき) ,王之渙と並び称される。詩集『王昌齢詩集』 (5巻) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「王昌齢」の意味・わかりやすい解説

王昌齢 (おうしょうれい)
Wáng Chāng líng
生没年:698-757

中国,盛唐の詩人。字は少伯。京兆長安(陝西省)の人。李白,孟浩然らと交遊があった。開元15年(727),進士に及第。放漫な性格のため,官僚としては不遇におわった。閨怨の情を主題とする七言絶句にすぐれるが,辺境従軍の詩や送別の詩にも佳作が多い。また詩作の技法を論じた書《詩格》があり,空海の《文鏡秘府論》に節録される。《王昌齢詩集》3巻が伝わる。
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