策彦周良(読み)サクゲンシュウリョウ

デジタル大辞泉 「策彦周良」の意味・読み・例文・類語

さくげん‐しゅうりょう〔‐シウリヤウ〕【策彦周良】

[1501~1579]室町末期の臨済宗の僧。丹波の人。号、謙斎。みんに2回渡り、日記「初渡集」「再渡集」がある。織田信長武田信玄に信任され、甲斐恵林寺、京都天竜寺に住した。著「南游集」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「策彦周良」の意味・わかりやすい解説

策彦周良 (さくげんしゅうりょう)
生没年:1501-79(文亀1-天正7)

戦国時代の臨済宗の禅僧。丹波の生れで,俗姓は井上氏。号は策彦で,怡斎,謙斎,亀陰などとも称した。9歳のとき天竜寺の妙智院で心翁等安について参禅し,その法を継いだ。また漢詩文研究を行い,文筆僧としての才能は早くから五山文学界で高く評価され,五山文学史上末期の巨匠としてその名を残し,天竜寺から文筆僧が世にでる先駆けともなった。詩文集に《謙斎詩稿》《南遊集》《謙斎雑稿》《城西聯句》などがあり,《策彦和尚初渡集(入明記初渡集)》《策彦和尚再渡集(入明記再渡集)》の両書は,1539年(天文8)遣明副使として,47年正使として入明し,日明外交使節で活躍したときの記録である。大内義隆や武田信玄の優遇を受け,また織田信長にあつく帰依され,岐阜の地名は信長の要請を受けて撰したことで知られている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「策彦周良」の意味・わかりやすい解説

策彦周良
さくげんしゅうりょう
(1501―1579)

室町後期の臨済(りんざい)宗夢窓(むそう)派の僧。五山末期の詩文僧。井上宗信(いのうえそうしん)の第3子として京都に生まれる。謙斎(けんさい)、怡斎(いさい)などとも称した。9歳のとき鹿苑寺(ろくおんじ)心翁等安(しんのうとうあん)の門に入り、18歳のとき天竜寺において心翁のもとで薙髪(ていはつ)受具、ついで彼の法を嗣(つ)いだ。1539年(天文8)大内義隆(おおうちよしたか)に請われ、遣明船(けんみんせん)の副使として入明。1547年再度正使として入明した。帰国後、天竜寺妙智院(みょうちいん)に住したが、1555年(弘治1)ごろ武田信玄に招かれて甲斐(かい)(山梨県)の恵林寺(えりんじ)に下った。織田信長は策彦に明の風物を尋ね、妙智院に足を運んで親しくその話を聞いた。天正(てんしょう)7年6月30日、79歳で示寂。入明の記録『初度(しょと)集』『再度(さいと)集』のほか、『城西聯句(じょうさいれんく)』『策彦三千句』『策彦詩集』などの詩文集がある。

[藤岡大拙 2017年7月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「策彦周良」の解説

策彦周良

没年:天正7.6.30(1579.7.23)
生年:文亀1.4.2(1501.4.19)
戦国時代の臨済宗の僧。謙斎とも称する。細川氏被官井上宗信の3子として生まれ,鹿苑寺心翁等安の弟子となり,天竜寺で剃髪受戒する。同寺内妙智院の第3世となり,天文6(1537)年大内義隆の招きで周防国(山口県)に行き,正使湖心磧鼎のもと遣明船の副使となり,同8年博多を出発し,明に渡り,同10年帰国する。さらに同16年正使として再び入明,同19年帰国した。帰国後,妙智院で隠棲するが,武田信玄の請を受け一時甲斐国(山梨県)に行く。その著『策彦入明記』は当時の外交のみならず明の風俗・文化を知るうえで貴重な記録である。<参考文献>牧田諦亮編『策彦入明記の研究』

(原田正俊)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「策彦周良」の解説

策彦周良 さくげん-しゅうりょう

1501-1579 戦国-織豊時代の僧。
文亀(ぶんき)元年4月2日生まれ。臨済(りんざい)宗。心翁等安の法をつぐ。大内義隆の遣明(けんみん)副使,同正使として2度明(中国)にわたる。このときの見聞の記録が「策彦入明記」である。帰国後は京都等持院や甲斐恵林寺住持をつとめ,織田信長や武田信玄の帰依(きえ)をうけた。天正(てんしょう)7年6月30日死去。79歳。俗姓は井上。別号に謙斎。詩集に「謙斎詩集」。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「策彦周良」の解説

策彦周良
さくげんしゅうりょう

1501.4.2~79.6.30

戦国期の禅僧。諱は周良,字は策彦。謙斎とも称する。井上宗信の子。1518年(永正15)天竜寺で得度。大内義隆の要請で37年(天文6)と47年の2度,入明進貢船団の副使・正使の任につき入明。その後,天竜寺妙智院に住み,同寺の護持につとめた。2度の入明の旅を克明に記録した「策彦入明記」がある。また五山文学僧として活躍し,詩文集を残す。

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367日誕生日大事典 「策彦周良」の解説

策彦周良 (さくげんしゅうりょう)

生年月日:1501年4月2日
戦国時代;安土桃山時代の臨済宗の僧
1579年没

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